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完結後の甘い話の章
完結後の甘い物語 『雨の悪戯 5』
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「丈先生、今日はもうお帰りですか」
勤務時間が終わり急患もいないので帰宅の準備をしていると、同じ外科の後輩に声を掛けられた。
「あぁ、もう帰るところだ」
「僕も今日は上がれるんですよ。よかったら一杯いきませんか」
「……いや、今日はやめておくよ」
「えー残念です。この前はつきあってくれたのに」
「悪いな、今日は雨も降りそうだし真っすぐ帰るよ」
「あっ丈先生の家って北鎌倉でしたっけ。駅から遠いのですか。どの辺ですか」
「……まぁな、それじゃまた明日」
話足りなさそうな雰囲気だったが、早々に切り上げた。今日は洋がずっと家で仕事をしているから、早く帰りたいというのが本音だ。
洋もここ最近、積極的に仕事をうけて頑張っていた。そのせいか横浜や東京の出版社に打ち合わせに行くことも多くなっていた。
二人の結婚から一か月が過ぎ、少しづつ生活も落ち着いてきていた。
そのまま洋が稀に飲み会に誘われたり、私が飲み会に行ったりする余裕も出来ていた。私の方は未だに洋が一人で酒の席に行って大丈夫かと心配になることも多いが……
本当に大きな高い山を登り終えたあとのような清々しい表情を浮かべることが多くなった。
同時に洋は強くもなった。
****
北鎌倉の月影寺。
ここは私が小学生の時に引っ越して来た場所だ。当時はあまりこの地に馴染めず、寮のある中学校に入学したので、ここで過ごした時期は短かった。
そんな私がここを永住の地としようと思うなんて、洋と出逢わなかったら到底考えつかないことだ。
車から降りて空を見上げると月は出ていたが、大きな暈を被っていた。やはり雨になるのか……今宵は。
「ただいま、洋」
「あ…お帰り、丈」
真っすぐに仮住まいの部屋に行くと、洋が薄暗い電灯の下で翻訳作業をしていた。どうやら仕事の追い込みのようだ。
「まだ終わらないのか」
「ん……あと少しなんだ、丈、食事は?」
「今日は病院で済ませたよ」
「そうか、今日は流さんが鮭フライを作ってくれて美味しかったよ」
「流兄さんはマメだな。揚げ物なんて」
「うん、流さんの作ってくれるごはんが美味し過ぎて太りそうだ。それに俺が手伝おうと思っても手際が良すぎてついていけない」
洋が楽しそうに笑っている。
それだけで胸が熱くなる。
この寺で、洋が自分の居場所を見つけてくれて、こうやって過ごしてくれている。そのことが本当に嬉しい。こんな風に私の大事な人を、快く迎え入れてくれた二人の兄には本当に感謝している。
私は可愛い弟とは程遠い幼少時代だったのに。人に馴染めない私を父が気遣って、あちこちへと私だけ旅行に連れていってくれたことも同時に思い出す。
兄達と、どこか隔たりを感じていたのは何故だろう。今となっては不思議な話だが。
それにしても、翠兄さんは一度結婚したものの、流兄さんは相変わらず飄々と生きていて、そんな気配はない。月影寺は今後どうなっていくのか少し案じることもあるが、翠兄さんには息子がいるから、なんとか存続していけるのだろう。
「丈、聞いてる?」
「あっああ」
「俺の仕事もう少しで終わるから、先に風呂に入ってきたら」
「洋は?」
「俺はもう入ったよ、ほら」
そう言いながら浴衣の襟元を摘んでみせると、ほっそりとした首筋が見え隠れして艶めかしい。そんな洋の姿がゾクッと官能的に見えた。
「そうか……薄暗い電灯も悪くないな」
「ん?どういう意味だ?それ」
「あとで分かるよ」
「ははっ、丈お得意のいやらしさだな」
あぁまた笑ってくれる。
随分と……無防備に屈託なく笑うんだな。
今私の目の前にいるのは……新しい洋なのか。
それとも本来の洋なのか。
毎日が新鮮で見飽きない。
その存在の有り難みを感じる瞬間だった。
やはり……今夜はいい加減に我慢できそうもないな。
勤務時間が終わり急患もいないので帰宅の準備をしていると、同じ外科の後輩に声を掛けられた。
「あぁ、もう帰るところだ」
「僕も今日は上がれるんですよ。よかったら一杯いきませんか」
「……いや、今日はやめておくよ」
「えー残念です。この前はつきあってくれたのに」
「悪いな、今日は雨も降りそうだし真っすぐ帰るよ」
「あっ丈先生の家って北鎌倉でしたっけ。駅から遠いのですか。どの辺ですか」
「……まぁな、それじゃまた明日」
話足りなさそうな雰囲気だったが、早々に切り上げた。今日は洋がずっと家で仕事をしているから、早く帰りたいというのが本音だ。
洋もここ最近、積極的に仕事をうけて頑張っていた。そのせいか横浜や東京の出版社に打ち合わせに行くことも多くなっていた。
二人の結婚から一か月が過ぎ、少しづつ生活も落ち着いてきていた。
そのまま洋が稀に飲み会に誘われたり、私が飲み会に行ったりする余裕も出来ていた。私の方は未だに洋が一人で酒の席に行って大丈夫かと心配になることも多いが……
本当に大きな高い山を登り終えたあとのような清々しい表情を浮かべることが多くなった。
同時に洋は強くもなった。
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北鎌倉の月影寺。
ここは私が小学生の時に引っ越して来た場所だ。当時はあまりこの地に馴染めず、寮のある中学校に入学したので、ここで過ごした時期は短かった。
そんな私がここを永住の地としようと思うなんて、洋と出逢わなかったら到底考えつかないことだ。
車から降りて空を見上げると月は出ていたが、大きな暈を被っていた。やはり雨になるのか……今宵は。
「ただいま、洋」
「あ…お帰り、丈」
真っすぐに仮住まいの部屋に行くと、洋が薄暗い電灯の下で翻訳作業をしていた。どうやら仕事の追い込みのようだ。
「まだ終わらないのか」
「ん……あと少しなんだ、丈、食事は?」
「今日は病院で済ませたよ」
「そうか、今日は流さんが鮭フライを作ってくれて美味しかったよ」
「流兄さんはマメだな。揚げ物なんて」
「うん、流さんの作ってくれるごはんが美味し過ぎて太りそうだ。それに俺が手伝おうと思っても手際が良すぎてついていけない」
洋が楽しそうに笑っている。
それだけで胸が熱くなる。
この寺で、洋が自分の居場所を見つけてくれて、こうやって過ごしてくれている。そのことが本当に嬉しい。こんな風に私の大事な人を、快く迎え入れてくれた二人の兄には本当に感謝している。
私は可愛い弟とは程遠い幼少時代だったのに。人に馴染めない私を父が気遣って、あちこちへと私だけ旅行に連れていってくれたことも同時に思い出す。
兄達と、どこか隔たりを感じていたのは何故だろう。今となっては不思議な話だが。
それにしても、翠兄さんは一度結婚したものの、流兄さんは相変わらず飄々と生きていて、そんな気配はない。月影寺は今後どうなっていくのか少し案じることもあるが、翠兄さんには息子がいるから、なんとか存続していけるのだろう。
「丈、聞いてる?」
「あっああ」
「俺の仕事もう少しで終わるから、先に風呂に入ってきたら」
「洋は?」
「俺はもう入ったよ、ほら」
そう言いながら浴衣の襟元を摘んでみせると、ほっそりとした首筋が見え隠れして艶めかしい。そんな洋の姿がゾクッと官能的に見えた。
「そうか……薄暗い電灯も悪くないな」
「ん?どういう意味だ?それ」
「あとで分かるよ」
「ははっ、丈お得意のいやらしさだな」
あぁまた笑ってくれる。
随分と……無防備に屈託なく笑うんだな。
今私の目の前にいるのは……新しい洋なのか。
それとも本来の洋なのか。
毎日が新鮮で見飽きない。
その存在の有り難みを感じる瞬間だった。
やはり……今夜はいい加減に我慢できそうもないな。
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