重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
609 / 1,657
完結後の甘い話の章

完結後の甘い物語 『雨の悪戯 3』

しおりを挟む
「はっくしょんっ」

「洋、風邪か」

「いや……なんか鼻がムズムズする」

「それはハウスダストだな。薬があったはずだ。ちょっと待っていろ」

 午後になって使っていた離れを引き払い、仮住まいの部屋に引っ越しをした。ずっと閉めきっていたせいで湿気が多い部屋だったので、どうも鼻の調子が悪い。

「ほらこれを一錠飲んでおけ。しかしこんな部屋しかないなんてな」

「でも、流さんが気を利かせてくれたから」

「だが、なんでこんな母屋から遠い部屋なんだ。トイレや風呂に行くのも大変じゃないか」

「ははは……」


 首を傾げる丈の様子に苦笑してしまう。
 それは丈のせいだ!と、声を大にして言いたかった。

……

 翌日から工事の業者さんがやってきて、部屋の内装の解体を始めた。
 さぁいよいよリフォーム工事のスタートだ。

 俺はその様子を庭先から眺めていた。

「洋くんこんにちは」

「あっ野口さん」

「いよいよ今日からね。二か月ほどかかるけど大丈夫そう?」

「はい。よろしくお願いします」

 この女性はリフォームを依頼した建築会社のデザイナーさんだ。
 リフォームの全貌は、俺は数回しか立ち会っていないので、実はよく理解していない。

 翻訳などの作業をするデスクと、大きな本棚だけはリクエストさせてもらったが……あとは丈に任せた。最初は空調設備を付けたり傷んだ畳や襖を取り替えるだけのはずが、いつのまにかこんな大規模なリフォームになっていて驚いた。

「でも、本当に大がかりですね」

「そうね。丈先生の希望?っていうか妄想……いやいや夢が多すぎて、全部取り入れるのに苦労したのよ」

「丈の夢?」

「えぇ出来上がったら大いに楽しんで欲しいの。あちこちでね……ふふふ創意工夫を凝らしたつもりなのでよろしくね」

「……楽しむ?何をですか」

「まぁまぁ……」


 まったく、みんなして俺を揶揄う。
 それにしても……丈の夢というのに嫌な予感が込み上げてくる。
 また変なこと考えていないといいのだが。

 マスクをしながら新しい部屋で段ボール箱を開けて荷物整理をしていると、翠さんが様子を見に来てくれた。

「洋くん、丈から鼻の調子が悪いって聞いたよ。本当にこの部屋で大丈夫なのか。やっぱり埃っぽいね。僕の部屋に来る?」

 いやいやそれは無理だ。
 翠さんと同室なんて、緊張してしまう。

「翠さん、二カ月だしちゃんと掃除すればなんとかなりますよ」

「そうかな。そういえば丈から聞いたよ。いいね。」

「えっ何をですか?」


 今度はなんだ?丈は張り切りすぎだから心配だ。

「新婚旅行に行くんだって」

「えっあれ本気だったのか!」

「ふっ、また丈が勝手に決めてしまった?丈はだんだん流と似て来るな。流もいつも勝手にあれこれし出すけど」

「あの……何処に行くって言っていましたか」

 確かにこの前そんな話をしたけれども、いつ決まったんだが。
 まぁ俺は丈の行く所に必ず付いていくから、いいけど……

「確か宮崎だったかな。随分と張り切っていたよ。僕は南国リゾートなんて、ほとんど行ったことがないから羨ましいよ」

「そうなんですね。じゃあ……翠さんは、どういう所へ旅行したのですか」

「ん……仏門の修行で北陸とか東北とか、そういう渋い旅行ばかりだよ」

「そうなんですね。流さんはいろいろ行っていそうなのに意外です」

「あぁそうだね。流は若い頃は突然家を飛び出し数日帰らないことがよくあったな。後から聞くと自転車でふらっと旅をして野宿したとか、青春18きっぷで電車を乗り継いで京都まで行ったとか。一番遠くはエジプトまで行っていたよ。本当にあいつは、昔から自由奔放だったよ」

 流さんの話をする翠さんは、どこかいつも眩しそうでもあり嬉しそうだと思った。

「流さんらしい。あ……そういえば、翠さんに聞いてもいいですか」

「んっなんだい?」

 昨日引っ越しをする時に見つけた古い木箱を取り出して、翠さんに見せた。

「これ、誰のものだか知っていますか」

 翠さんの感情が一瞬揺れたような気がした。

「あ……これ…」

「もしかして翠さんのですか?」

「あ?うん……これをどこで?」

「離れの俺達が使っていた押し入れに入っていて」

「そうか……そんなところに。ありがとう。これは僕のものだよ。僕が受け取ってもいいかな」

「もちろんです!よかった。持ち主が見つかって」

 宝物のように大切そうに木箱を抱く翠さん。

 俺よりずっと年上で、丈の一番上のお兄さんなのに、時折すごく若くそして儚げな印象を受けるんだよな。

 翠さんは普段は落ち着いて立派に若住職として勤めているのに、たまにふっとこんな危うい表情を浮かべるのが、不思議でもあり魅力的だと思った。




****

 若い頃の丈と洋に出逢うまでの、流と翠の話は「忍ぶれど…」で連載中です。いよいよこの二人の話も本格的に始まります。
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...