重なる月

志生帆 海

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第9章

花の咲く音 16

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「流さんっ、いつからそこに?」
「んっ?今来たところだよ。何かまずいことでも?」
「いっいえ」
「しかし丈も洋くんも石鹸の匂いプンプンさせて、どんだけどこを洗ったんだか。ははっ」

 流さんはわざと丈の体に顔を近づけて、くんくんと嗅ぐような仕草をした。

「流兄さんっ!いい加減にしてくださいよ。洋後でな。早く着付けしてもらえ」
「あっうん」

 丈はかなり決まり悪そうな顔で、ぶっきらぼうに出て行った。それもそうだろう、実の兄だもんな。いやいや残された俺の方もかなり気まずい。全く好きなように抱いて、放りだすんだから。丈は大胆な癖に、結構恥ずかしがりやな面があることに、最近気が付いた。


「さてと、邪魔ものは消えたことだし、洋くんと二人きりだな」
「えっ」
「ははっ、それよりさっきは心配したよ。丈がびしょ濡れの君を抱きかかえて戻って来た時には。裏山には行くなって警告しただろう。あそこの岩場は滑りやすいんだよ」
「……ごめんなさい」
「でも何もなくて良かったよ。さぁ着付けしてやるから、これを着て」

 最初に長襦袢を手渡された。俺はまったく着物に対する知識なんてないので従うだけだ。肌襦袢の上に、長襦袢を着て、足袋を履いていく。

「うん、いいね。じゃあ、次はこの着物に袖を通して」
「はい」
「そうそう、背縫い部分を中心に合わせるのと、衿元をしっかりと身体に沿わせることがポイントだよ」

 手際よく着付けられ、きゅっと腰紐を結ばれる。それから帯も結んでもらった。

「う、きつい」
「ははっ着慣れない?洋くんは着物をあまり着たことないのか」
「着物なんて、きっと七五三の時以来ですよ」
「ははっ五歳の洋くんかぁ、さぞかし愛くるしかったことだろうな」
「記憶にないですよ。ほとんど」
「さてと、やっぱり君にはこんな淡い色が似合うな。ほら出来上がり」

 本当にわずかな記憶しか残っていない。五歳の俺の記憶なんて、写真を見てやっと思い出す程度だ。それでも母に手を引かれて、千歳飴を持って立っている写真を見たことがある。

 撮ったのは実父だろう。愛情の籠ったその写真は、幸せ色に褪せていた。

 着物を着ると、いよいよ今日なんだという緊張感が走った。

「さぁ鏡を見て」

 導かれるように鏡の前に立たされると、そこには着物姿の俺が映っていた。本当に控えめにそれでいて凛とした佇まいで描かれた白き花は、夕凪からの贈り物だ。

 夕凪と俺がふっと重なるようなそんな不思議な雰囲気が、鏡の中には広がっていた。

 夕凪はあれからどうしたのだろう?
 夕凪を助けたのは誰なのだろう。
 君は確かに助かり、この着物と手紙を俺に残してくれた。
 それならば……君もちゃんと幸せになったのだろうか。

「よく似合っているよ。丈の黒羽二重姿と並んだら、本当に夫婦みたいだ」
「夫婦って、男同士なのに」
「まぁね。でもそれくらいしっくり来るよ」
「ありがとうございます」

****

 着物を着つけてもらい母屋に戻るや否や、涼が一目散に駆けつけてくれた。

「洋兄さん!もう大丈夫なの?本当に心配したんだよっ」

 そう言いながら子犬のように、俺に飛びついて来た。

「涼、ごめんな」
「洋兄さん、ほらっこれ!」

 そしてとびっきりに甘い笑顔と共に、後ろ手に隠していたものを、ぱっと眼前に見せられた。

「あっこれは!」

 それはあの白い花だった。滝の上の岩場を駆け上がるように咲いていた白き花。夜空に輝く星のように凛とした六枚の乳白色の花弁を持つオーニソガラムだ。

 俺の誕生花。

「洋兄さん、今日はおめでとう!」

 涼から渡された白い花はブーケのように束ねられていた。本当に小さな星たちが集まるような可憐な花だ。

 こうやって幸せはどこまでも重なっていく。
 俺のために皆が集まり、皆が祝ってくれる。

 今日はハレの日だ。
 それを実感した瞬間だった。
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