重なる月

志生帆 海

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第9章

花の咲く音 8

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「翠兄さん、ただいま」
「お帰り。随分遅かったな」
「誰かお客さんですか」

 帰ろうと思ったら急患で、すっかり遅くなってしまった。夜遅くに医師としての仕事を終え帰宅すると、玄関に見慣れぬスニーカーがあった。

「ああ、洋くんの従兄弟の涼くんが来ているよ。丈は会ったことがあるだろう」
「涼くんが?明日じゃなかったのか」
「とてもいい子だね。洋くんのために今日来てくれたのだろう」
「洋のために?」
「……丈、少し話そうか」
「……はい」

 そのまま翠兄さんの部屋に誘われるがままに、入った。

「改まってなんですか」

「んっいや大した話ではないが……丈、明日だな。洋くんを張矢家の戸籍に迎えるのは」
「ええ、いよいよです。長い時間がかかりましたが、洋がこれで落ち着いてくれるのなら嬉しいです」

「そうだな。ところで、丈は洋くんの今日の気持ちを考えたことはあるか」

「今日の洋の気持ち?それは一体どういう意味です?」

「丈には両親と僕たち兄二人、全部揃っているよな。でも洋くんは両親は他界され、兄弟もいない。日本での親戚づきあいも皆無だと聞いている。そんな洋くんが一人で明日を迎える準備をする様子は、健気だったよ」

「……」

「次々と変わる姓……明日、また変わっていくことを彼はどう思っていただろう。もちろん丈と共に暮らせる喜びの方が大きいのは知っているが、心の奥底では彼も男性だ。それなりの抵抗というものはなかろうか。そこを僕は案じていたのだよ」

 兄に言われてはっとした。

 私は洋のそんな深い気持ちまで汲み取っていなかったのかもしれない。どちらの姓を名乗るとか、そういう繊細な部分を相談もなしに、当たり前のように私の家の戸籍に入ればいいと思っていた。

 両親も兄弟もいない洋に、賑やかな家族を作ってやりたかった。私たちは男同士だから、永遠に子供なんて望めないのだから、その代りに両親を兄を贈りたかった。おこがましいが、そのことしか頭になかった。

「兄さん…私は…」

「丈、人の気持ちは簡単に測れない。君が思うことが全てではない。そのことだけを知っていてくれればいいのだよ。涼くんという身内が今日傍にいてくれて、洋くんもとても安堵していた。あぁ見えても心細かったのだろう。最近の洋くんはここに来た当初よりもずっと明るく、しなやかな逞しさを見せるようになってはいるが、やはり心の奥底の寂しさは、まだ癒えてはいない」

「そうだ……そうでした」

 兄に言われて気が付かされたこと。大事にしていたつもりでも、その好意が上辺だけをなぞっていたのなら。もっと深い所の寂しさと悲しみ、それを癒すのが、これからの私の役目。
洋とこの先の人生を共に過ごし少しづつ解いてやりたい、繊細な硝子のような心を。

 焦るな。一度に一気になんて無理だ。洋が今まで生きて来た時間と同じ位かかるかもしれない。兄に言われて、改めて洋と共にこの先の長い人生を過ごす心構えが出来た。

「ありがとうございます。翠兄さん…」

「いや、すまない。きつい言い方をしたな。兄として花婿に贈る言葉のようなものだよ。お前は立派だよ。僕には到底出来ないことをしてくれる自慢の弟だ」

「翠兄さん?」

「いや……なんでもない。さぁ早く明日に備えて寝なさい。忙しくなるよ」

 兄の部屋を出て、離れの自室に戻る。もう灯りは消えていたので、洋は寝てしまったのだろう。そっと部屋に入ると、まるで双子のように、洋と涼は向かい合って手を握りあって眠っていた。

 二人が丸まって布団に横たわる姿は、まるで半月と半月が組み合わった満月のように見え、幸せな円を描いていた。

 寝息がとても穏やかだ。
 お互いに、いい夢を見ているのか。

 洋と血を分けた従兄弟の涼くん、君の存在が今日は有難い。
 こんな大事な日に、洋を一人で過ごさせないで済んだ。
 明日を迎える今日という日を。

 時計の針は、間もなく零時。
 日付が変わる。
 ずっと待ち望んでいた日が、ついにやってくる。


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