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第9章
一心に 5
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北鎌倉。
「やれやれ、まだ洋くんは帰らないのか」
「流兄さん……ええ、おそらく明日になるでしょう」
「へぇ丈は思ったより余裕なんだな」
私が自室のPCに向かって仕事をしていると、すぐ上の兄が部屋に入って来た。兄はいつものように作務衣姿で、風呂上がりなのか肩に白いタオルをかけ、ふぅと片手にビール缶を持ちながら壁にもたれ、しげしげと私の顔を見つめて来た。
「流兄さん……私は余裕でもないですが、不安でもないですよ」
「ふぅん……それって離れていても、信頼しあっているってこと?」
「どうでしょう?ただ前の私だったら居てもたってもいられず、駆けつけていたかもしれませんが、今は大丈夫のようで」
「そうか。丈の嫁さんは強いんだな」
「いや……強くなったんですよ。洋は……」
そうだ。洋は強くなった。以前のように怯えていない。目立たないように私の影に隠れることなく、自分の力で前へ前へとぐんぐんと進んでいる。
(どうしても助けたい人がいる。)
そう連絡が来た。
今頃は……軽井沢の街を必死に駆け回っている様子が目に浮かぶ。
誰かを助けたい。その行為は時に周りから傲慢に見える事があるとしても、今の洋らしい行動だ。
私はそんな洋が好きだ。
人は許し合い、助け合い、生きている。
独りよがりで生きてきた私が……洋と巡り合って共に過ごすうちに素直にそう思えるようになってきた。
口に出さなくても……態度で心で伝わることがある。だがそれは口に出すよりも難しいことだ。
「いいね」
「何がです?」
「丈と洋くんはさ、つまり信じあっているんだな」
何故だか流兄さんが悲しげに見えた。そんなはずはないのに。
「近くにいても何を考えているか分からない人もいるのに、離れていても信じあえるっていいな」
「難しいことですよ。離れていると直接見えないし言葉も届かないので……ですが、それでも信じたいという心があれば何とかなります」
「そうか。心があればか……なるほどね。あっ風呂あいたぞ、次入れよ」
「ええ…」
そう言う兄には誰か想う人がいるのだろうか。近くにいても心が届かない。そんな相手がいるような気がした。
曖昧な笑みを浮かべ廊下をゆったりと歩いて行く兄の背中は、いつになく寂し気に見えた。
****
軽井沢……
間に合う!間に合わせるんだ!
俺は一目散に走った。
乗馬倶楽部へは、タクシーに乗るよりも走った方が早い道だ。
こんなに全速力で走ったのはいつぶりだろう。
こんなにも人のために何かをしたいと思ったのは、いつぶりだろう。
露と共に消えそうだった弱い心なんて、もういらない。
こんなにも溢れてくる感情は一体なんだろう。
「Kaiこっちだ!」
「おう!」
駅前の大通りを抜け白樺の街路樹の小路を曲がる。暗闇の一本道、その先に黒い乗用車が目に飛び込んできた。乗馬倶楽部の大きな看板の下に、ひっそりと停まっているあの車は、確かに松本さんのものだった。
お願いだ!
まだそこにいてくれ!
「やれやれ、まだ洋くんは帰らないのか」
「流兄さん……ええ、おそらく明日になるでしょう」
「へぇ丈は思ったより余裕なんだな」
私が自室のPCに向かって仕事をしていると、すぐ上の兄が部屋に入って来た。兄はいつものように作務衣姿で、風呂上がりなのか肩に白いタオルをかけ、ふぅと片手にビール缶を持ちながら壁にもたれ、しげしげと私の顔を見つめて来た。
「流兄さん……私は余裕でもないですが、不安でもないですよ」
「ふぅん……それって離れていても、信頼しあっているってこと?」
「どうでしょう?ただ前の私だったら居てもたってもいられず、駆けつけていたかもしれませんが、今は大丈夫のようで」
「そうか。丈の嫁さんは強いんだな」
「いや……強くなったんですよ。洋は……」
そうだ。洋は強くなった。以前のように怯えていない。目立たないように私の影に隠れることなく、自分の力で前へ前へとぐんぐんと進んでいる。
(どうしても助けたい人がいる。)
そう連絡が来た。
今頃は……軽井沢の街を必死に駆け回っている様子が目に浮かぶ。
誰かを助けたい。その行為は時に周りから傲慢に見える事があるとしても、今の洋らしい行動だ。
私はそんな洋が好きだ。
人は許し合い、助け合い、生きている。
独りよがりで生きてきた私が……洋と巡り合って共に過ごすうちに素直にそう思えるようになってきた。
口に出さなくても……態度で心で伝わることがある。だがそれは口に出すよりも難しいことだ。
「いいね」
「何がです?」
「丈と洋くんはさ、つまり信じあっているんだな」
何故だか流兄さんが悲しげに見えた。そんなはずはないのに。
「近くにいても何を考えているか分からない人もいるのに、離れていても信じあえるっていいな」
「難しいことですよ。離れていると直接見えないし言葉も届かないので……ですが、それでも信じたいという心があれば何とかなります」
「そうか。心があればか……なるほどね。あっ風呂あいたぞ、次入れよ」
「ええ…」
そう言う兄には誰か想う人がいるのだろうか。近くにいても心が届かない。そんな相手がいるような気がした。
曖昧な笑みを浮かべ廊下をゆったりと歩いて行く兄の背中は、いつになく寂し気に見えた。
****
軽井沢……
間に合う!間に合わせるんだ!
俺は一目散に走った。
乗馬倶楽部へは、タクシーに乗るよりも走った方が早い道だ。
こんなに全速力で走ったのはいつぶりだろう。
こんなにも人のために何かをしたいと思ったのは、いつぶりだろう。
露と共に消えそうだった弱い心なんて、もういらない。
こんなにも溢れてくる感情は一体なんだろう。
「Kaiこっちだ!」
「おう!」
駅前の大通りを抜け白樺の街路樹の小路を曲がる。暗闇の一本道、その先に黒い乗用車が目に飛び込んできた。乗馬倶楽部の大きな看板の下に、ひっそりと停まっているあの車は、確かに松本さんのものだった。
お願いだ!
まだそこにいてくれ!
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