重なる月

志生帆 海

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第9章

雨の降る音 10

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 丈と一緒に、区役所の戸籍住民課に書類を提出した。証人欄には丈と丈のお父さんがすでに署名をしてくれていたので、手続きはスムーズだった。

 心強い。

 養親、養子双方の協議による離縁の場合は、届出によって効力を生じるとのことだ。役所の職員に次に呼ばれた時には、俺はもう「崔加」ではなく「浅岡」という元の戸籍に戻っていることになるのか。

「洋、長かったな」
「あぁ、ここまで来るのにいろいろありすぎた……でももういいんだ。前だけを見て進むから」

 役所のベンチに丈と座りながら話した。俺の手と丈の手が、二人の間でそっと少しだけ触れあっていた。

「えっと浅岡さん、お待たせしました。書類を無事に受理いたしました。届出した日から法律上の効力が発生しますので、こちらをご覧ください」


****

 細かい雨がしとしと降る中、丈と傘をさして駅までの道を歩いた。

 道の両端に濡れるように咲く紫陽花の花は、どこまでも色鮮やかだった。

 今日から……始まる。

 俺と丈の物語を……もう一度始めよう。

「洋、疲れたか」
「んっ、緊張したし、ほっとしたし……」

 横須賀線の車内の揺れが、揺りかごのように俺を眠りの世界へ誘ってくる。弁護士さんと会って、俺の生まれ育った家に行って、それから安志のおばさんとも会って……それから……本当に長い年月、俺を束縛した「崔加」という姓から解き放たれたという安堵感。

 あの人はあの人の道に戻り、俺は俺の道を進む。

 もう、それでいいじゃないか。

「駅についたら起こしてやるから、ほら肩を貸してやる」
「ん……」

 この前は丈の元へ戻るために、一人で横須賀線に揺られていた。今は丈とこうやって肩を並べ、二人で家に戻っていく。

 幸せは形に見えないというけれども、今、俺の周りには幸せの欠片が沢山あるような気がしてならないよ。

****

「お帰り洋くん、疲れただろう」

 そのままぐっすり眠ってしまった俺は、北鎌倉の駅に着いた時点でも、まだぼんやりしていたので、タクシーに乗って月影寺まで戻って来た。玄関に立つと、すぐに中から明かりがついて、流さんが出迎えてくれた。

「流さん、わざわざありがとうございます」
「んっ。それより弁護士さんの方はどうだった? 」
「あっ無事に戸籍の手続きまで一気にしてきました」

 そう報告すると流さんは一気に破顔した。人懐っこい笑顔の流さん、三人兄弟の中で一番感情がストレートだ。

「ほんとか! 洋くん良かったな! 丈も頑張ったな」
「ええ、洋はいろいろと今日も頑張りましたよ」
「ところで、その大荷物は何? 」
「あっこれは……えっと……」
「まぁいいや。雨で肩口が濡れているし、とにかく中に入れ。その包みの中身は後で見せてくれよ」
「はい」

 丈が手に持っているのは、俺の父が着るために作った紋付き羽織袴だ。次に俺と丈が進めることを暗示すようなものを受け継いできた。

 こうやって何もかも、順調に進んでいく。アイテムもこうやって一つずつ揃っていく。順調すぎて怖い位だが、感謝して進むだけだ。この幸せは、代償なく手に入れたものではない。長い年月の苦難を乗り越えた上での集大成だ。

 間もなく始まろうとしているその日は近い。


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