重なる月

志生帆 海

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第9章

雨の降る音 9

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 父と母と過ごしたこの家。

 懐かしくもあたたかい空気に包まれながら、おばさんからまるで実の息子のように抱きしめてもらった。あぁそうか。俺は本当はいつだって……こんな風に父にも母にも抱かれてみたかったのかもしれない。

 皆……俺を残して逝ってしまった…

 そのことだけは、どうあがいても変えられない事実だったから、どんなに強がっていても心の奥底には、両親への思慕の念が残っていたんだ。もう二十八歳なのにいつまでもこんなんじゃ駄目だと思うのに、強がって生きてきた分、優しさに慣れていない。

 純粋で無垢な優しさをこの身に受ければ、心の奥底にしまい込んでいた朧げな感情がこうやって蘇って来てしまう。

「洋くん、本当に大きくなったのね」

 おばさんから見上げるようにまじまじと見つめられたので、なんだか急に照れくさくなって、ぱっと躰を離してしまった。

「そういえば背は何cmになったの? 」
「最近は計っていないけれども、たぶん172cmほどです」
「そうなのね。それにしてもあなたは相変わらず華奢ね。えっと丈さん、あなたは?」
「背ですか。恐らく182cmほどですが」
「まぁやっぱり! 丈さんの方がいいみたい」
「何がですか? 」
「この紋紋付羽織袴のことよ。浅岡さんは背が高く、そうだわ、ちょうど丈さん位の背丈だったわ。背格好が似ているから、きっと似合うわよ」
「え? 」

 丈と顔を見合わせてしまった。

「ちょっとこっちに来て」
「え? 」
「あっ丈っ」
「洋くんはいいから、ちょっとここで待っていて」

 安志のおばさんは強引なところあるから、丈は背中を押されながらあっという間に和室へ連れ込まれてしまった。そのままピシャッと襖を閉められてしまったので、中で何が行われているのか分からない。

「おばさんっ、何を? 」
「ふふっ洋くんを驚かせるわね、ちょっとだけ待っていて」

 もしかして……

 少しそわそわしながらも、丈が出てくるのをじっと待った。それから暫くしておばさんと一緒に登場した丈の姿に、思わず息を呑んでしまった。

 そこには、黒地の紋付き羽織袴を粋に着こなした丈がいた。

 長身に屈強な体格。漆黒の髪を吸い上げたような黒い袴がよく似合っていた。
 本当に胸がときめく、心臓がバクバクするというのはこのことか。

「どう? 洋くん」
「あっ……すごい……」
「洋、なんか照れるな。こんな姿」

 低く痺れるような美声を持つ丈。
 本当に本当に素敵だよ。

「丈さん、よく似合っているわ、凄く袴が似合うのね。若かりし頃の浅岡さんも本当に美男子だったけれども、丈さん、あなたも負けずに素敵よ」

 おばさんも妙にうっとりした声になっていた。

「そうですか。洋、どう思う? 」

 わざとらしく丈が聞いてくる。余裕の笑みを浮かべているのが憎たらしいが、本当に似合って、男らしい色香が存分に漂っていた。おばさんの前だけど、俺のほうも感極まってしまったようだ。

「丈……カッコ良すぎるよ」
「ははっそうか。これを私が着ても? 」
「もちろんだ!」

 もちろんだ。父の着物を丈が着てくれる。こんな嬉しいことはない。

「洋くんよかったわね。あなたにも何か着るものがあればいいけど、まさか夕の女物の着物じゃ駄目だしねぇ」
「おっおばさんっ」
「ふふ、冗談よ。じゃあ……鎌倉のお家に帰ったら、丈さんのご家族に相談してみたら」
「ええ、そうさせてもらいます。洋、兄さんたちがお前に着物を作りたがっていたから、帰宅したら早速相談しよう」
「よかったわね。洋くん、その……入籍の結婚式みたいなのはやるの? せっかくだから丈さんにその時、この着物を着てもらったらどうかしら? 」
「ええ一応そのつもりなんです。ごくごく内輪で。あの……その時はよかったら……おばさんもいらして下さいますか」
「いいの? もちろんよ。夕の代わりに参列させて頂戴ね」

****

 おばさんと別れてから、丈と二人で最寄りの役所へ向かった。もっと早く役所に行くつもりだったのに、すっかり遅くなってしまった。

「丈、さっきは悪かったな……その……大丈夫だったのか」

 そう聞くと、丈がじどっとした目で睨んで来た。

「大丈夫なはずが、ないだろう」
「丈、ごめんっ」

 思わず恥ずかしくなってしまう。あの俺の部屋であんな風に抱かれそうになったこと。お互いのものが張りつめてもう限界に近かったこと。寸前で中断させてしまったことも、何もかも今改めて思い出すと恥ずかしい。

「まぁもう怒ってない。それに思いがけず結婚式で着る衣装が手に入ったことだし、安志くんのお母さんにも会えたしな」
「うん……俺もまさか今日カミングアウトするとは思っていなかったから、まだ心臓がバクバクしてる」
「そうだな、すべていい方向に収まったな」
「本当にそうだな」

 おばさんは丈のファンになったのかも。少し顔を赤らめて着付けをしていた姿が急に可愛らしく見えてしまった。父さんの思い出の柱を知ることができたし、今日、あの家に思い切って行ってみてよかった。

 さっきまで家はもう手放してしまおうと思っていたのに、正直迷ってしまうな。

 まぁ……それはまた丈と相談していけばいい。

「洋、先ほどの続きは夜にな」
「えっ、あ……うん…」

 分かっているよ。俺だってあんな中途半端じゃ駄目だ。ニューヨークに行ってから一週間ずっと離れていた。

 そのつもりだ……そう口に出して素直には言えないけれども、今宵は丈のすべてを受け入れ与えるつもりだ。



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