521 / 1,657
第9章
雨の降る音 7
しおりを挟む
おばさんが持ってきた白い和紙の包みの中には、上等そうな黒地の無地の着物が綺麗に折り畳まれていた。その胸元には白く家紋が染め抜いてあった。
「あの、これって? 」
「これはね、紋付羽織袴なのよ」
「……紋付き? 」
「結婚式に男性が着る正装の着物よ。これは夕のたっての願いで浅岡さんのために仕立てたものだったの」
「父さんの?」
「そうなの。あなたも知っていると思うけど、夕と浅岡さんは駆け落ちして結婚したので、ちゃんとした結婚式を挙げていなかったのよ」
それは知っている。あの人から返してもらった写真の中に、グレーのスーツと菫色のワンピースを着た母が並んで写っている写真があった。母の華奢な手には可憐なスズランの花束が握られていた。幸せそうに微笑む二人の笑顔から、ウェディングドレスや白無垢を着ていなくても、結婚式の写真だとすぐに伝わって来た。
「じゃあ……この着物は何故? 」
「あなたが小学生にあがる頃には、浅岡さんの翻訳の仕事が軌道に乗り、二人の生活も順風満帆だったの。それで白無垢と紋付き袴できちんと写真を撮ってみたいという夕の願いで、仕立てていたのよ。おばさんの親戚に京都の呉服屋さんがいてね。それで……」
「そうだったのですか……じゃあ、これを父が実際に着たのですか」
そう問うとおばさんは悲し気に目を伏せ、それからゆっくりと首を横に振った。その仕草からすぐに理解できた。そうか……着ることはなかったのだ。事故に遭ってしまい、母を残してこの世を旅立たねばならなかったから。
「とにかく、私がずっとこれを預かっていたのよ」
「ありがとうございます。でもなんで急に…」
「それはね、洋くん前我が家に寄った時、ソウルで大事な人と過ごしているって話していたでしょう。安志から洋くんがソウルを引き払って日本に戻って来たって聞いた時、あぁとうとう結婚するのかなって思ったのよ。もう水臭いわね。早く教えてくれたらよかったのに。それで、相手はどんな子なの?」
いきなり核心に迫られ、心臓が跳び跳ねた。
告白するなら今だ。今しかない。驚かれてもいい。
もう俺が進む道は決まっているのだから。
「あの実は……」
そう言いかけた時、階段の上の扉がギィっと開く音がした。
それから一歩一歩階段を降りて来る確かな足音が聴こえてくる。
丈、来てくれるのか……
振り返らなくても分かる。
心強いよ。
俺は……大事な人の気配に勇気づけられた。
「あの、これって? 」
「これはね、紋付羽織袴なのよ」
「……紋付き? 」
「結婚式に男性が着る正装の着物よ。これは夕のたっての願いで浅岡さんのために仕立てたものだったの」
「父さんの?」
「そうなの。あなたも知っていると思うけど、夕と浅岡さんは駆け落ちして結婚したので、ちゃんとした結婚式を挙げていなかったのよ」
それは知っている。あの人から返してもらった写真の中に、グレーのスーツと菫色のワンピースを着た母が並んで写っている写真があった。母の華奢な手には可憐なスズランの花束が握られていた。幸せそうに微笑む二人の笑顔から、ウェディングドレスや白無垢を着ていなくても、結婚式の写真だとすぐに伝わって来た。
「じゃあ……この着物は何故? 」
「あなたが小学生にあがる頃には、浅岡さんの翻訳の仕事が軌道に乗り、二人の生活も順風満帆だったの。それで白無垢と紋付き袴できちんと写真を撮ってみたいという夕の願いで、仕立てていたのよ。おばさんの親戚に京都の呉服屋さんがいてね。それで……」
「そうだったのですか……じゃあ、これを父が実際に着たのですか」
そう問うとおばさんは悲し気に目を伏せ、それからゆっくりと首を横に振った。その仕草からすぐに理解できた。そうか……着ることはなかったのだ。事故に遭ってしまい、母を残してこの世を旅立たねばならなかったから。
「とにかく、私がずっとこれを預かっていたのよ」
「ありがとうございます。でもなんで急に…」
「それはね、洋くん前我が家に寄った時、ソウルで大事な人と過ごしているって話していたでしょう。安志から洋くんがソウルを引き払って日本に戻って来たって聞いた時、あぁとうとう結婚するのかなって思ったのよ。もう水臭いわね。早く教えてくれたらよかったのに。それで、相手はどんな子なの?」
いきなり核心に迫られ、心臓が跳び跳ねた。
告白するなら今だ。今しかない。驚かれてもいい。
もう俺が進む道は決まっているのだから。
「あの実は……」
そう言いかけた時、階段の上の扉がギィっと開く音がした。
それから一歩一歩階段を降りて来る確かな足音が聴こえてくる。
丈、来てくれるのか……
振り返らなくても分かる。
心強いよ。
俺は……大事な人の気配に勇気づけられた。
10
お気に入りに追加
443
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ
紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか?
何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。
12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる