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第8章
交差の時 3
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「えっ何で……」
ホテルの客室の前に立っていたのは、涼のお母さん。つまり俺にとって伯母にあたる朝さんだった。全く予期せぬ人が立っていたことに困惑してしまった。
「あっあの」
「洋くん、やっと帰って来たのね。あら、驚かせちゃった? 」
「……あ……少し」
「実は日本にいる涼から連絡をもらったのよ。洋くんが数日こっちに滞在するって聞いて…それでホテルを教えてもらったの。もぅなかなか帰ってこないから心配したわ」
「すみませんっ」
涼がそういえば……何か困ったことがあったら両親を頼ってくれと言っていたが、本気で連絡しているとは思わなくて動揺してしまった。
「まぁ何て顔をしているの? 可愛い甥っ子がニューヨークまで来ているのに、会わない伯母なんていないわよ。さぁさぁ早く荷物まとめて」
「えっ?」
「せっかくこっちまで来ているのにホテル住まいなんて水臭いわよ。滞在中は我が家に泊まりなさい」
「でも……そんな…」
「大丈夫、うちの人も待っているのよ。さぁ行きましょう」
****
朝さんは、俺の亡くなった母とは違って元気でパワフルで行動的な人のようだった。とにかく、せっかくの好意を無下にするわけにはいかない。それに照れくさくて面と向かって言えなかったが、こんな風に身内が迎えに来てくれるなんて、俺にはもう無縁だと思っていたので素直に嬉しかった。
ホテルの部屋はそのままに、着替えなど細かい荷物をスーツケースから取り出しバッグに詰めて、伯母とホテルを後にした。
伯母の家は、ホテルから車で十五分程度のセントラルパーク沿いの東側エリアにあるアッパーイースト地区にあった。ここはマンハッタンの中でも言わずと知れた超高級住宅地だ。
「さぁここよ。入って」
伯母に案内されて見上げたそこは、風格のある石造りのクラシカルなマンションで、夕日を浴びてどこか郷愁を帯びていた。
「お帰りなさいませ」
マンション入口にはドアマンが立っていて、笑顔と会釈で丁寧に出迎えてくれた。続いて自宅のドアを開けると、すぐに涼のお父さんが出迎えてくれた。
「やぁ洋くん、よく来たね。おぉ本当に涼と似ているな。一瞬息子が帰ってきたのかと思ったよ。さぁ我が家だと思って寛いでくれ」
「あっあの……ありがとうございます。数日ですがよろしくお願いします」
「ははっもっと気楽にしなさい」
朗らかな笑顔を受け止め、ここには心温まる時間が存在することを実感した。
「涼の部屋でいいかしら? あの子の荷物がそのままだけど」
「もちろんです」
通されたのは、涼が高校卒業まで使っていたという子供部屋。
水色の壁紙は空のよう、濃いブルーのベッドカバーは海のよう。
壁に貼られたままになっている写真を眺めると、そこにはまだ幼さの残る涼が屈託のない顔で笑っていた。真っすぐにすくすくと両親の愛情に恵まれて育ったからこそできる、曇りのない笑顔。俺には眩しくも憧れでもある涼の笑顔が壁一杯に広がっていた。
「涼……ありがとうな。俺にこんな時間をプレゼントしてくれて」
朝さんはまるで俺のことを本当の息子のように扱ってくれる。涼のお父さんとお母さんもとてもいい人だ。温厚で穏やかで全然あの人とは違う。壁にかかっている写真に手を添えながら見つめていると、ドアをノックする音がした。
「はい? 」
「洋くん入っていいかしら? 」
「あっもちろんです」
「涼から聞いたんだけど、あのね……あなた崔加さんに会うために来たの? 」
「……ええ」
「あの人は……その…大丈夫だったの? 」
ドキリとした。ザワリとした。
何故そんなことを聞くのだろう。
「あの人……夕との婚約が夕の駆け落ちによって破談した後、すぐに結婚されたと風の便りで聴いたのよ。でも私たちが夕と疎遠になっている間に、夕と再婚していて驚いたの。ということは崔加氏も離婚していたってことなの? 」
「それは……」
「ごめんなさいね。こんなこと幼かったあなたに聞いてもしょうがないのに。どうして夕が一度逃げた相手と再婚したのか、どうしても理解できなくて」
「……」
母の真意は、母にしか分からない。でももうその母は、この世界にはいないんだ。
亡くなった後に分かったことは、再婚した時点で母はもう癌に冒されていた。そして実父が交事故で亡くなった後の俺と母は、かなり生活に困っていたということ。
残されてしまう俺のために再婚したのですか。
そう母に問いたい気持ちは、いつまでも心の奥底にとどまったままだ。
「……母の気持ちは分かりません」
「そうよね。ごめんなさい。こんなこと聞いて……主人の前で崔加さんの話はあまりしたくなくて、ここでこっそり聞きたかったの。でも……あなたもすでに崔加氏とは疎遠になっていると聞いたのに、何故今回わざわざニューヨーク迄来たの? 」
「それは……」
どこまで何から話せばいいのか分からない。
幸せ色のこの部屋で。
言い淀んでいると、伯母は俺をふわっとハグしてくれた。
「あぁ……いいのいいの。ごめんなさいね。言えないことってあるわ。無理には聞かないわ。言わなくていい。これからは洋くんは、私の息子と同様よ。私の大事な妹の夕が、この世であなたを愛せなかった時間を、私が引き継いでもいい? 」
「伯母さん……」
温かい気持ち。
まっすぐな嘘のない世界。
涼のおかげだ。
伯母は……涼が俺にもたらしてくれた大切な肉親だ。
「ありがとうございます」
ホテルの客室の前に立っていたのは、涼のお母さん。つまり俺にとって伯母にあたる朝さんだった。全く予期せぬ人が立っていたことに困惑してしまった。
「あっあの」
「洋くん、やっと帰って来たのね。あら、驚かせちゃった? 」
「……あ……少し」
「実は日本にいる涼から連絡をもらったのよ。洋くんが数日こっちに滞在するって聞いて…それでホテルを教えてもらったの。もぅなかなか帰ってこないから心配したわ」
「すみませんっ」
涼がそういえば……何か困ったことがあったら両親を頼ってくれと言っていたが、本気で連絡しているとは思わなくて動揺してしまった。
「まぁ何て顔をしているの? 可愛い甥っ子がニューヨークまで来ているのに、会わない伯母なんていないわよ。さぁさぁ早く荷物まとめて」
「えっ?」
「せっかくこっちまで来ているのにホテル住まいなんて水臭いわよ。滞在中は我が家に泊まりなさい」
「でも……そんな…」
「大丈夫、うちの人も待っているのよ。さぁ行きましょう」
****
朝さんは、俺の亡くなった母とは違って元気でパワフルで行動的な人のようだった。とにかく、せっかくの好意を無下にするわけにはいかない。それに照れくさくて面と向かって言えなかったが、こんな風に身内が迎えに来てくれるなんて、俺にはもう無縁だと思っていたので素直に嬉しかった。
ホテルの部屋はそのままに、着替えなど細かい荷物をスーツケースから取り出しバッグに詰めて、伯母とホテルを後にした。
伯母の家は、ホテルから車で十五分程度のセントラルパーク沿いの東側エリアにあるアッパーイースト地区にあった。ここはマンハッタンの中でも言わずと知れた超高級住宅地だ。
「さぁここよ。入って」
伯母に案内されて見上げたそこは、風格のある石造りのクラシカルなマンションで、夕日を浴びてどこか郷愁を帯びていた。
「お帰りなさいませ」
マンション入口にはドアマンが立っていて、笑顔と会釈で丁寧に出迎えてくれた。続いて自宅のドアを開けると、すぐに涼のお父さんが出迎えてくれた。
「やぁ洋くん、よく来たね。おぉ本当に涼と似ているな。一瞬息子が帰ってきたのかと思ったよ。さぁ我が家だと思って寛いでくれ」
「あっあの……ありがとうございます。数日ですがよろしくお願いします」
「ははっもっと気楽にしなさい」
朗らかな笑顔を受け止め、ここには心温まる時間が存在することを実感した。
「涼の部屋でいいかしら? あの子の荷物がそのままだけど」
「もちろんです」
通されたのは、涼が高校卒業まで使っていたという子供部屋。
水色の壁紙は空のよう、濃いブルーのベッドカバーは海のよう。
壁に貼られたままになっている写真を眺めると、そこにはまだ幼さの残る涼が屈託のない顔で笑っていた。真っすぐにすくすくと両親の愛情に恵まれて育ったからこそできる、曇りのない笑顔。俺には眩しくも憧れでもある涼の笑顔が壁一杯に広がっていた。
「涼……ありがとうな。俺にこんな時間をプレゼントしてくれて」
朝さんはまるで俺のことを本当の息子のように扱ってくれる。涼のお父さんとお母さんもとてもいい人だ。温厚で穏やかで全然あの人とは違う。壁にかかっている写真に手を添えながら見つめていると、ドアをノックする音がした。
「はい? 」
「洋くん入っていいかしら? 」
「あっもちろんです」
「涼から聞いたんだけど、あのね……あなた崔加さんに会うために来たの? 」
「……ええ」
「あの人は……その…大丈夫だったの? 」
ドキリとした。ザワリとした。
何故そんなことを聞くのだろう。
「あの人……夕との婚約が夕の駆け落ちによって破談した後、すぐに結婚されたと風の便りで聴いたのよ。でも私たちが夕と疎遠になっている間に、夕と再婚していて驚いたの。ということは崔加氏も離婚していたってことなの? 」
「それは……」
「ごめんなさいね。こんなこと幼かったあなたに聞いてもしょうがないのに。どうして夕が一度逃げた相手と再婚したのか、どうしても理解できなくて」
「……」
母の真意は、母にしか分からない。でももうその母は、この世界にはいないんだ。
亡くなった後に分かったことは、再婚した時点で母はもう癌に冒されていた。そして実父が交事故で亡くなった後の俺と母は、かなり生活に困っていたということ。
残されてしまう俺のために再婚したのですか。
そう母に問いたい気持ちは、いつまでも心の奥底にとどまったままだ。
「……母の気持ちは分かりません」
「そうよね。ごめんなさい。こんなこと聞いて……主人の前で崔加さんの話はあまりしたくなくて、ここでこっそり聞きたかったの。でも……あなたもすでに崔加氏とは疎遠になっていると聞いたのに、何故今回わざわざニューヨーク迄来たの? 」
「それは……」
どこまで何から話せばいいのか分からない。
幸せ色のこの部屋で。
言い淀んでいると、伯母は俺をふわっとハグしてくれた。
「あぁ……いいのいいの。ごめんなさいね。言えないことってあるわ。無理には聞かないわ。言わなくていい。これからは洋くんは、私の息子と同様よ。私の大事な妹の夕が、この世であなたを愛せなかった時間を、私が引き継いでもいい? 」
「伯母さん……」
温かい気持ち。
まっすぐな嘘のない世界。
涼のおかげだ。
伯母は……涼が俺にもたらしてくれた大切な肉親だ。
「ありがとうございます」
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