重なる月

志生帆 海

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第7章 

上弦の月 7

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「涼くん、じゃあ1週間ゆっくり過ごしてね」
「はい。マネージャー」
「傷、早く治るといいね。あっそれからこれSoilから預かって来たよ」
「えっ?」

 マネージャーが車の後部座席に乗せていた薔薇の花束を、ぽんっと僕に手渡してくれた。
深紅の深い色が目にも鮮やかで、それでいて何故かしっくりこないような……妙な違和感を感じてしまった。

「……ありがとうございます」

 Soilさんやっぱりあれから顔出してくれなかった。やっぱり洋兄さんとのこと、わだかまりになっているんだろうな。洋兄さんの義理のお父さんがSoilさんの本当のお父さんだったという事実は、僕にとってもかなりの衝撃だった。

 もしも僕がモデルになんかならなかったら、Soilさんと知り合うこともなく、洋兄さんとSoilさんも巡り合わなかったかもしれないのだ。僕が余計なことをした。そんな罪悪感が込み上げて来てしまう。

 僕にとって大事な洋兄さんと、モデルの先輩で可愛がってくれ、僕も信頼しているSoilさん。

 僕にとって……ふたりは大切な存在だ。それになぜだか僕は二人の人間的な面に惹かれてやまない。

「涼くん、ちゃんと聞いてる? 」
「あっはい」
「じゃあ僕は帰るから、大人しくしていてね。大学には通えそう? 」
「ええ、大丈夫です」
「1週間後、雑誌の撮影から仕事再開だよ。あぁスケジュールが前後して大忙しだ」
「すみません」

****

 マネージャーがマンションの前まで送ってくれ、久しぶりに一人暮らしをしている自分の家へと戻った。大きな花束を抱えてエレベーターに乗ると、正面の鏡に自分の姿がぱっと映った。真っ赤な花束を抱く僕は、洋兄さんと見間違えるような表情を浮かべていたことに驚いてしまった。

 僕も、こんな表情をするようになったのか。
 アメリカで何も知らずに過ごしていたあの日々はもう戻らない。

 安志さんに恋して、抱かれ、求められ、求めて……洋兄さんの気持ちと心と躰がリンクして……大きな宇宙に突然放り出されたような、心もとない世界に漂っているような、少し不安な日々。

 そんな時間が僕にこんな表情をさせるのか。

 部屋のカウンターにむせ返るような香りの漂う薔薇の花束を置くと、メッセージカードがはらりと床に落ちた。

……
涼へ
退院おめでとう。もう周りから聞いていると思うが、少し頭の中を整理したいことがあって、今日は直接会いに行けなくて悪い。また連絡するから、それまでゆっくり休めよ。また一緒に撮影する日を楽しみにしている。    Soil/陸より


 陸さんか。かつては『崔加 陸』という名前だったということか。これは本当に現実なんだ。そのメッセージカードの文面は、少しだけ僕を暗い気持ちにさせた。

 それにしても結局入院は1週間以上にも及んでしまった。

 大学には明日から通えそうだ。山岡が心配するのも一理ある。入学早々や済んでばかりじゃ単位のことが心配になってくる。でも今日はまだゆっくりしたいな。少し外の空気も吸いたいし。締めきってこもった部屋の空気を解放したく窓を開けると、春風がふわっと舞い込んで来た。その風にのって桜の花びらが迷い込み、部屋の中で踊っているようだった。

 ……もう桜が咲いているのか。

 打ち身の痣はもううっすらとして、頭の傷も抜糸も終えて調子がいい。バスケは無理だけど、少しなら走れるだろうか。

 こんな日は太陽の世界を駆け巡りたい。そう思うともう我慢できなくて、急いでTシャツとジーンズに着替え、スポーツシューズに履き替えキャップを被り外にもう一度出た。日の当たる坂道を軽くジョギングしながら登り、さらに小高い丘の上まで行ってみた。

 誰もいない高台が僕を自由に解放的な気分にさせてくれる。

「ふぅ……」

 高い丘の上から見下ろす町並み。
 頬をかすめる爽やかな風。
 いつの間にか季節が次へと巡っていたんだな。

 深呼吸して新鮮な空気で肺を満たしていく。

 涼、しっかりしろ。
 僕らしくいこう。
 なるようになる。

 そんなことを思いながら樹にもたれて空を見上げていると、声がした。

「涼っ」

 あっ……これは僕が大好きな人の声だ! 

 弾けるようにそちらを振り返るとスーツ姿の安志さんが立っていた。安志さんも走って、この高い丘の上まで登って来たのか、うっすらと額に汗をかいていた。

「こんなところにいたのか」
「うん、外の空気吸いたくて、よく分かったね」
「ちょうど下の道を通りかかったら、姿が見えたんだ。涼、退院おめでとう! 」
「安志さん……ありがとう。いっぱい心配かけてごめん」

 こんな風に、風が吹き抜ける公園で安志さんと話していると、アメリカでの日々を思い出すな。あの時も僕は安志さんとこうやって公園の大木の幹に隠れるようにして、向かい合って立っていた。

 セントラルパークの公園でのあの時間。
 日陰の土の湿った匂いのする大地。
 爽やかな初夏の風が、木立の間を吹き抜けていく中……初めてのキスを交わした。

「涼、うう……そんな目で見るなよ。我慢できなくなるだろう。可愛すぎて」
「ふっ」

 男なのに可愛いなんて言われて喜ぶのは変だ。でも安志さんになら、そう言われたい。

 もっともっと僕だけを見つめて、欲して欲しい。たった半年たらずで僕はこんなにも貪欲になってしまったのか。

 僕は安志さんの肩に手を置き、少しだけ背伸びして、ちゅっと軽く触れあうような口づけをした。

 途端に風がふわりと吹きこんで、どこからともなく桜吹雪が舞い降りて来た。

 その風は僕たちを祝福するかのように優しく包んでくれた。
 視界が淡い桜色で染まっていく中、二度目の口づけをした。

「好きだ」
「好きだよ」

 お互いの影と声が一つに重なった。


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