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第7章
上弦の月 2
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「涼、入っていいか」
「安志さん? どうぞ」
病室のドア越しに声を掛けてみると、具合が良さそうな朗らかな涼の声がすぐ返って来たので、ほっとした。この分ならば退院は近いだろう。
「あれ? なんだかいい匂いだね」
「あぁ涼にお見舞いだ。差し入れを買ってきたんだ」
「嬉しいな。何? 」
ワクワクと無邪気な顔で、涼が俺の手元の包みを見つめている。
「クリームパンだよ。好きか」
「うん! 大好きだ! 」
パン屋の紙袋ごとベッドにいる涼の手にポンと渡せば、その可愛いらしい顔をさらに嬉しそう綻ばせてくれた。ほんと素直でかわいい奴だよな。
涼は早速クリームパンをパクッと頬張り、美味しそうにモグモグ食べ出した。
腹減っていたのかな。若い涼に病院食だけじゃ酷だと思うし、怪我だけだから何を食べてもいいのだろう。
「これね、僕も好きだけど、洋兄さんはもっと好きだよ」
「あれ? 洋の好物だってこと知っていたのか」
「うん、アメリカにいる時に教えてもらったんだよ」
「そうか! 向こうのパンも美味しかったか」
「いやそれが向こうのパンは大きくて甘すぎるから、日本のようにはいかなくて。そういえばクリームパンを洋兄さんと一緒に船上で食べたことがあったよ。あれは確か……」
****
あの日も船上のベンチで、いつものように洋兄さんとおしゃべりをしていた。僕は同級生と外を駆け回るのが大好きだったけれども、物静かな洋兄さんと語り合うのも格別な時間だった。
同じ血を分けた従兄弟同士という安心感もあるのか、洋兄さんを取り巻く雰囲気も、その優しい口調も全部本当に大切で、幼い僕にとってかけがえのないものだった。
「洋兄さん! じゃあ次は好きなものを言い合おうよ」
「ふふっいいよ。じゃあね、涼はパンなら何が好き? 」
「パンならね、えっとね、僕はメロンパンかなー。あの周りがクッキーみたいにサクサクで中にクリームが入っているのが特に好き! 日本に行った時に食べてから大好物だよ」
「へぇメロンパンか。うん確かにあれも美味しいな。俺はやっぱりクリームパンかな」
「クリームパンもいいね。こっちのは甘すぎて、いつもうぇってなっちゃうけど、僕のママが作ったクリームパンは甘さが控えめで美味しいんだよ」
「へぇ、手作りなんてすごいな」
その時、ふと少し寂しげな笑顔を浮かべた洋兄さんの横顔に、それまで夢中で喋っていた僕は、洋兄さんにはそんな風に甘さを抑えたパンを手作りしてくれるようなお母さんがいないんだってことにようやく気が付いた。僕だけはしゃいで悪かったな。
「あっじゃあ今度持って来るから一緒に食べようよ! 来週、洋兄さん絶対ここに来てね」
「涼……ありがとう。でも無理するなよ」
「約束だよ! 」
次の週、僕は母にクリームパンを多めに作ってもらって、洋兄さんの待つ船へと向かった。いつものように船の日の当たらない暗いベンチに、洋兄さんは座っていた。
「洋兄さん!」
「あぁ涼、本当に来てくれたんだね」
「うん! 約束だもん、クリームパン持って来たんだ。一緒に食べよう! 」
「うわっ。本当に美味しそうだ。これ……俺が食べてもいいのか」
「もちろんだよ。食べてみて」
「じゃあいただきます。ありがとな。涼」
「あの……日本で食べた味と似ている? 」
「うん似ているよ。すごく美味しいね」
その後は、洋兄さんも僕も無言でクリームパンを頬張った。
なんだか何故だか……気まずくて。
暫く経った後、ぼそっと洋兄さんが呟いた。
「本当に美味しいな。この味……昔を思い出すよ」
洋兄さんの目元が少し赤くなっていた。もしかして泣いていたのかな。でも聞いたら悪いような気がして知らんぷりをした。
「俺が日本で住んでいた所にも美味しいクリームパンが買えるパン屋ががあってね。これ……そこの味と似てるよ。ごめん。なんか思い出しちゃったよ」
「おいしかった? 」
「あぁすごく……そして楽しかったこと思い出した」
「楽しかったことって? 」
「ん……そうだね、俺の親友のこと。日本にいた時いつも傍にいてくれた奴のことを思い出したよ。いつもそいつとクリームパンを学校の帰りに買ったんだ」
「ふうん……洋兄さんにも、そんな人がいたんだ」
洋兄さんは頭の中でその人の顔を思い浮かべたのだろう。いつになく嬉しそうに晴れやかな顔になったので、僕はちょっとだけ妬いてしまった。すると、少しふてくされた僕の唇に、洋兄さんがそっと指を伸ばして来た。
「ほらほら、ゆっくり食べろよ。口の周りクリームだらけじゃないか。まだまだ子供だな」
眩しそうに目を細め、その指で僕の口の端についたクリームをふいっと拭ってくれた。そのほっそりとした指先はひんやりと冷たくて、心地良かった。
「安志さん? どうぞ」
病室のドア越しに声を掛けてみると、具合が良さそうな朗らかな涼の声がすぐ返って来たので、ほっとした。この分ならば退院は近いだろう。
「あれ? なんだかいい匂いだね」
「あぁ涼にお見舞いだ。差し入れを買ってきたんだ」
「嬉しいな。何? 」
ワクワクと無邪気な顔で、涼が俺の手元の包みを見つめている。
「クリームパンだよ。好きか」
「うん! 大好きだ! 」
パン屋の紙袋ごとベッドにいる涼の手にポンと渡せば、その可愛いらしい顔をさらに嬉しそう綻ばせてくれた。ほんと素直でかわいい奴だよな。
涼は早速クリームパンをパクッと頬張り、美味しそうにモグモグ食べ出した。
腹減っていたのかな。若い涼に病院食だけじゃ酷だと思うし、怪我だけだから何を食べてもいいのだろう。
「これね、僕も好きだけど、洋兄さんはもっと好きだよ」
「あれ? 洋の好物だってこと知っていたのか」
「うん、アメリカにいる時に教えてもらったんだよ」
「そうか! 向こうのパンも美味しかったか」
「いやそれが向こうのパンは大きくて甘すぎるから、日本のようにはいかなくて。そういえばクリームパンを洋兄さんと一緒に船上で食べたことがあったよ。あれは確か……」
****
あの日も船上のベンチで、いつものように洋兄さんとおしゃべりをしていた。僕は同級生と外を駆け回るのが大好きだったけれども、物静かな洋兄さんと語り合うのも格別な時間だった。
同じ血を分けた従兄弟同士という安心感もあるのか、洋兄さんを取り巻く雰囲気も、その優しい口調も全部本当に大切で、幼い僕にとってかけがえのないものだった。
「洋兄さん! じゃあ次は好きなものを言い合おうよ」
「ふふっいいよ。じゃあね、涼はパンなら何が好き? 」
「パンならね、えっとね、僕はメロンパンかなー。あの周りがクッキーみたいにサクサクで中にクリームが入っているのが特に好き! 日本に行った時に食べてから大好物だよ」
「へぇメロンパンか。うん確かにあれも美味しいな。俺はやっぱりクリームパンかな」
「クリームパンもいいね。こっちのは甘すぎて、いつもうぇってなっちゃうけど、僕のママが作ったクリームパンは甘さが控えめで美味しいんだよ」
「へぇ、手作りなんてすごいな」
その時、ふと少し寂しげな笑顔を浮かべた洋兄さんの横顔に、それまで夢中で喋っていた僕は、洋兄さんにはそんな風に甘さを抑えたパンを手作りしてくれるようなお母さんがいないんだってことにようやく気が付いた。僕だけはしゃいで悪かったな。
「あっじゃあ今度持って来るから一緒に食べようよ! 来週、洋兄さん絶対ここに来てね」
「涼……ありがとう。でも無理するなよ」
「約束だよ! 」
次の週、僕は母にクリームパンを多めに作ってもらって、洋兄さんの待つ船へと向かった。いつものように船の日の当たらない暗いベンチに、洋兄さんは座っていた。
「洋兄さん!」
「あぁ涼、本当に来てくれたんだね」
「うん! 約束だもん、クリームパン持って来たんだ。一緒に食べよう! 」
「うわっ。本当に美味しそうだ。これ……俺が食べてもいいのか」
「もちろんだよ。食べてみて」
「じゃあいただきます。ありがとな。涼」
「あの……日本で食べた味と似ている? 」
「うん似ているよ。すごく美味しいね」
その後は、洋兄さんも僕も無言でクリームパンを頬張った。
なんだか何故だか……気まずくて。
暫く経った後、ぼそっと洋兄さんが呟いた。
「本当に美味しいな。この味……昔を思い出すよ」
洋兄さんの目元が少し赤くなっていた。もしかして泣いていたのかな。でも聞いたら悪いような気がして知らんぷりをした。
「俺が日本で住んでいた所にも美味しいクリームパンが買えるパン屋ががあってね。これ……そこの味と似てるよ。ごめん。なんか思い出しちゃったよ」
「おいしかった? 」
「あぁすごく……そして楽しかったこと思い出した」
「楽しかったことって? 」
「ん……そうだね、俺の親友のこと。日本にいた時いつも傍にいてくれた奴のことを思い出したよ。いつもそいつとクリームパンを学校の帰りに買ったんだ」
「ふうん……洋兄さんにも、そんな人がいたんだ」
洋兄さんは頭の中でその人の顔を思い浮かべたのだろう。いつになく嬉しそうに晴れやかな顔になったので、僕はちょっとだけ妬いてしまった。すると、少しふてくされた僕の唇に、洋兄さんがそっと指を伸ばして来た。
「ほらほら、ゆっくり食べろよ。口の周りクリームだらけじゃないか。まだまだ子供だな」
眩しそうに目を細め、その指で僕の口の端についたクリームをふいっと拭ってくれた。そのほっそりとした指先はひんやりと冷たくて、心地良かった。
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