重なる月

志生帆 海

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第7章 

下弦の月 1

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 駅からバスやタクシーを使わずに、丈とふたりで夜道を歩いた。

「丈、この辺りは街灯もないのに明るいな」
「あぁ月明りのお陰だろう」

 道標となる月明りを辿って空を見上げると、下弦の月が重たい夜空を支えるようにぽっかりと浮いていた。横を歩く丈も、空を見上げていた。

「洋、見てみろ、今日の月は欠けているな」
「あぁ、あれは下弦の月だよ」
「下弦? へぇ詳しいな」

 昔からよく本を読んでいた。ひとりで……

「うん、月が変化して満ち欠けていくタイミングで、体や心にも色々な影響が現れると言われているんだ。だからそのタイミングに合わせて過ごし方を変えてみると、より生きやすくなるって前に本で読んだ。俺……昔から星や月とか天空のものに興味があって」

「そうか、なんで下弦の月という名前なんだ?」

「下弦の月っていうのはね、月を弓に見立てた呼び方なんだよ。下弦の場合は満月が段々と欠けてきて新月に向かう時の半月のことで、弦にあたる部分が下を向く場合を言うんだよ」

「なるほど、ではそれにも意味があるのか」

「そうだね、何かと情緒不安定になりやすく問題も起きやすく必要以上にストレスを感じてしまい、自分の中に色々と迷いが出る時期だけど……その一方で人との別れに最適な時期でもあり、ネガティブで重苦しい感情も少なく済んで新生活に希望を持つことが出来るようになるんだって。確か人間関係の整理をしてみると良い時期とも書かれていたな」

「よく覚えているな」
「あっ……だから陸さんと俺が出逢ったのか。そうだったのか」
「あぁ考え方を変えれば、今で良かったのかもしれないな」

 なんでこんなタイミングで陸さんと出会ったのかという疑問ばかり浮かんでいたが、考え方を変えれば、今すべきことがあるからなのかもしれない。

 今の俺が出来ることをしてみよう。
 今の俺だから出来ることがあるはずだ。

 きっと……必ず……いい方向へ向かうように……祈りたくなる。空に浮かぶ下弦の月が示してくれるように。

****

「洋くん、その顔一体どうした?」

 寺に戻り、俺の顔を見るなり流さんが心配そうに顔を歪めた。

「あっ……ちょっと」
「丈、お前がついていながら」

 溜息交じりに、流兄さんは丈のことを見つめた。

「丈は後で俺の部屋へ来い。洋くんは丈にしっかりと治療してもらうんだぞ」
「流さん、心配かけてすいません…」
「いいんだよ。でも何故だか……君は傷の割に明るい表情だね。ほっとしたよ」

 確かに陸さんを庇って安志に殴られた頬はズキズキし、切れた口腔内はじくじくと痛んだが、不思議と心は晴れていた。むしろ新鮮な気持ちだった。

 中学・高校と隠れるように生きて来た俺にとっては、こんな風に喧嘩をしたことはない。一方的に暴力を振るわれたことなら何度もあるが、誰かを庇って怪我するなんて初めてだったから。

 それに今日、安志のパンチをこの頬に受け止めた時、ずっと昔からいつも傍にいて、まるで肉親のように俺のことを心配してくれる彼の優しい気持ちが痛いほど伝わって来たから。

「ここ痛いか」

 丈が救急箱を持って来て、口の中を確認し薬を塗ってくれた。

「ちょっとしみるけど、この位大丈夫だ」
「たぶん明日になったら頬はもっと腫れるだろう、よく患部を冷やしておくように」

 まるで患者を扱うような淡々とした口調に、思わずふっと笑みが零れてしまった。病院で丈はこんな風に患者さんと接しているのかな。頼もしいだろうな、丈みたいな先生がいたら。

「洋、笑いごとじゃないだろう? 心配した私の身にもなってくれ」
「あっごめん。丈の先生としての様子が垣間見られて、なんか頼もしいなって思ったから」
「あんまり可愛いこと言うな。その怪我じゃ今日は抱くわけにいけないだろ」
「ん……俺なら大丈夫だよ。でも先に流さんのところへ行かないと怒られちゃうだろ?」
「あっ確かにそうだな」

 流さんの部屋へ向かう丈を見送ろうと立ち上がると、そのままぎゅっと胸の中へ抱きしめられた。

「あっ」

 丈の手が腰に回り、身長差で躰が浮いてしまう程きゅっと強く、その強さに丈が心配してくれていたことがひしひしと伝わって来て、何故だか泣きそうになった。本当に俺は涙腺が弱くなってしまった。一人の時はいつも堪えていたのに。

「丈、心配かけた……陸さんとのこと、ちゃんと向き合おうと思う。その時は丈も一緒にいてくれ」
「あぁそうしてくれ。頼むから……一人でもう行くな」

 空に浮かぶ月は、ここからも良く見えている。

 陸さんと俺の関係はどうすべきなのか、正直まだその答えは出ていない。だが下弦の月が示す通り、逃げずに向き合っていこう。そう胸に誓った。
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