重なる月

志生帆 海

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第7章 

隠し事 1

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「流さん、おはようございます」
「洋くん、おはよ! あれ? 目の下にクマ出来ているぞ。眠れなかった? 」
「えっ? いや、そんなことないですよ」
「じゃあ丈に眠らせてもらえなかった? 」

 流さんに朝から揶揄うように言われて恥ずかしくなるが、そうやって俺を元気づけてくれていることが分かってありがたいと思った。

「流さんっ。朝からふざけないで下さい」
「んーそれくらい元気があったら大丈夫か」
「……ありがとうございます」
「無理するなよ。心配事があったら何でも言えよ」
「……はい」

 北鎌倉の朝は早い。早春の鎌倉の新鮮な朝日を浴びながら、いつものように流さんの庭掃除の手伝いをした。

 なるべくいつも通りに過ごしたかった。昨晩、本当はなかなか寝付けなかった。丈の胸に抱かれ規則正しい心臓の音を聴けば、いつだって深い眠りにすぐに落ちていくのに。昨日の出来事を反芻すれば、躰がどうしたって強張ってしまった。

 何を要求されるのか。陸さんはどうしたら俺を許してくれるのか。いや許してもらうなんて、そもそもおこがましいのか。ふたりの間には取り返せない時の流れがあるのだから。何もかも分からないことばかりで、それが怖い。

「どうした? ぼんやりして。今日は出かけるのか」
「いや……今日は、ここにいる予定です」
「そう? 少し疲れているみたいだからゆっくり出来るといいな。あとで一緒に茶でも飲もう。前に話していた抹茶の点て方を教えてあげるよ」
「本当ですか。ありがとうございます!」

 寺の庭園に、桜の季節には参拝客のためにお茶席を設けると聞いていた。俺もその時は、何か手伝いたかったので嬉しい誘いだった。

 桜の舞い散る庭園はさぞかし美しいことだろう。その日を笑顔でどうか迎えられますように。

****

 出勤する丈が心配そうに、俺の額に手をあててきた。

「熱はないな? インフルエンザも流行っているし、あまり人混みに行くなよ」
「今日は出かけないよ」
「そうか。なら少し休め。昨日も遅かったし……」
「あぁ、今日は部屋で通訳の通信教育をして、流さんに抹茶の点て方を習ってみようかと思って」
「ふっ流兄さんは相変わらずだな。気に入った子には手取り足取りだ」
「ふふっ、丈……本当に流さんには良くしてもらっているよ」
「あぁそうみたいだな、私が妬くほどな」
「なっ」

 微笑みながら甘いキスを交わした。

「いってらっしゃい」

 こんな毎日が大切だ。手放したくない。だから守りたい。

 丈に話せないでいるのは、本当に単純な理由なんだ。

 丈が出かけてから離れの書斎を借りて勉強をすることにした。なんとなく連絡がすぐにくるような気がしたので、机の上にはスマホを置いていた。

 彼はずっと前から俺を探していたようだった。あの彼の友達という編集者の遠野 空さんという人も、どうやら深く事情を知っているようだった。だから名字を名乗った時あんなに驚いていたのだろう。「崔加」という名字は珍しいからな。それから、きっと俺のこともいろいろ調べたのだろう。

「モデル Soil」

 思い切ってネットで検索してみると、すぐにモデル事務所のWEBにプロフィールが出て来た。

 17歳で街でスカウトされてモデルデビュー。現在28歳か。やっぱり同い年だった。彼は5月生まれなのか……俺は2月だから少し年上になるのか。きゅっと胸が痛む。本当に俺は、彼のこと何も知らない。

 暫くそのまま仕事に没頭していると、やはり電話が鳴った。覚悟していたことだ。

「……もしもし。崔加です」
「あぁ俺だ、早速だが今日会えるか」
「ええ、どこへ行けば」
「恵比寿の涼の事務所まで来い」
「えっ」
「場所知っているだろう? 」
「それは……はい」
「じゃあ13時までに来い」

 一方的な電話だった。でもいきなり見ず知らずのところへ呼び出されるわけでなくてほっとした。涼の事務所なら住所も知っているし他の人もいるだろうから、いきなり危ないことにはならないだろう。話すことで解決していければいいのだが。

 すぐに支度をして出かけようと思ったら、部屋の前で流さんと鉢合わせしてしまった。抹茶の道具を手に持っているので、誘いに来てくれたのだろう。それなのに隠し事をして出かけるのが忍びない。

「あれ、洋くん出かけるの? 」
「あ……そうなんです。涼のことでちょっと」
「あぁ昨日丈から聞いたよ。従兄弟のモデルやっている子が怪我して入院したって」
「はい、そうなんです。そのことで東京まで」
「一緒に行こうか」
「えっ……いや大丈夫です」
「そう? 」

 心配そうにのぞき込まれて、思わず目をふっとそらしてしまった。小さな溜息をつかれてしまって焦ってしまう。

「ふぅ丈にはちゃんと伝えていくんだぞ。あいつ心配するからな。どうも洋くんは危なっかしい所があるから心配だよ」
「……はい」

 言ってしまえば、どんなに楽になるのだろうか。皆に守って助けてもらえれば、うまく切り抜けられるかもしれない。でも陸さんの今までの気持ちを考えると、俺だけ楽できないと思ってしまった。

 陸さんの背負ってきた気持ちとしっかり向き合ってみないと、いつまでも逃げることになってしまうだろう。今回切り抜けられたしても、また次々に襲い掛かってくるような気がした。

 とにかくちゃんと向き合って話し合ってみよう。そこから分かり合えるか。それは俺と陸さんの問題だ。

 ごめんなさい流さん……こんなに心配してくれているのに。

 俺は昨日から、心のなかで謝ってばかりだ。

 もしかしたら一番卑怯なのは俺かもしれない。そう寂しく思ってしまった。

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