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第7章
アクシデント 1
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「空、随分遅かったな」
「悪い、残業だった」
「早く話せよ」
「ちょっと落ち着けって。まず一杯飲ませて。喉がカラカラだよ」
陸が話の続きを聞きたくてイライラしているのが、ひしひしと伝わって来る。いつ僕が話し出すか、そのタイミングを待ちきれないようだった。
崔加 洋くんについてあれから情報を駆使して調べてみた。どうやら崔加 貴史氏の義理の息子であることは間違いないようだが、それ以上のことには踏み込めなかった。もっと知らなくてはいけないことがある気がしたのに……。彼は本当に、陸の恨みを晴らすために怒りをぶつけるだけの相手でよいのか。なにかしっくりこないものを感じている。
はぁ本当に僕が迂闊だった。もっとよく知ってから陸には伝えるべきだった。
バーのカウンターでワインを一杯飲んだ後、重たい口を開いた。
「なぁ陸、どうしても話さないと駄目か」
「当たり前だろう。あいつの行方を俺がずっと探していたこと、お前なら知っているだろう」
「恨んでいるのか」
「あぁ恨んでいる。俺から父親を奪った奴だ。あの二人が手を繋いで歩いて行く後姿が忘れられない」
「やっぱりそうか。なぁ僕たちはもういい大人だ。一時の感情だけで行動するほど若くはない」
「空、一体何が言いたい?」
「つ・ま・り、僕からは話せないってこと。僕が迂闊だったよ。あんな電話すべきじゃなかった。僕は君には穏かに過ごして欲しいんだ。もう過去の嫌なことなんて忘れてくれないか」
「何言っているんだ?過去と向かい合わないと、俺はいつまでもあの時の置いていかれた子供のままだ。空だってそう思ったから探すの手伝ってくれていたのだろう?」
陸は僕のネクタイをぎゅっとひっぱって、怒りを露わにした。
「苦しい!やめろっこんな所で」
「空、じゃあ全部話せよ」
「いや……話せない。僕の一言で何かが大きく変わってしまうのが許せない」
「くそっ、お前は実際に会ったんだろ。なのに何故教えてくれないんだっ。お前にとって俺はその程度の人間だったのかよ!」
「陸……すまない。僕の口からは言えない。もしも本当に会うべき人なら、陸自身と直接巡り合うようになっているだろう」
「そんな夢みたいなこと言うな。幻滅したよ。お前だけは味方だと思っていた」
「陸、違うんだ。味方だからこそ言えない。お前がもうこれ以上傷つく姿を見たくない」
「そんなことわかんねえよ!」
僕だけじゃ駄目か…お前の怒りも喜びも全部受け止めてあげたい。ずっと思っているその言葉を口に出して言うことはない。
今までも、これからも……
****
「洋くん、おはよう!」
「流さん、おはようございます」
頬をなでる風の温かさに、春の訪れの気配を感じていた。
あれからしばらく平和な日が過ぎていた。何も起こらないことへの幸せを噛みしめるそんな日々だった。
早起きをすることにも慣れ、朝から流さんを手伝って寺の境内を忙しなく掃除した。それにしてもこれは、いい運動になるな。廊下を磨き上げ庭を綺麗に掃いていくと、心も浄化されていくような清々しい気分になるから好きだ。
丈はそんなことしなくてもいいと言うが、もう俺の生活リズムの一部になっている。
「洋くん、今日も横浜へ行くのか?」
「あっはいそうです。昼前に出かけます」
「そうか、ひとりで大丈夫か」
「大丈夫ですよ」
流さんと、こんな風にいつもの会話を繰り返すのも日課のようになっていた。
翻訳の勉強も順調で、講師の先生は、実際に翻訳者でもあるので勉強になることが多い。最近はここで勉強するよりも、より実践を学びたくて、横浜の学校まで毎日のように通っている。
流さんも暇がある時は、よく俺と一緒に横浜へ出てくれるのだが、今日は何か用事があるようだ。
「気を付けてな」
「ありがとうございます。じゃあそろそろ丈を起こしてきます」
「あいつは寝坊ばかりしてんな」
「昨日も遅かったから……」
「はいはい。じゃあ手早く起こして来い。朝からは余計なことしちゃ駄目だよっ」
「なっ!」
クスクスと冷やかすように笑う流さんに背中を押されて、赤面しながら俺は丈の元へ向かった。
「悪い、残業だった」
「早く話せよ」
「ちょっと落ち着けって。まず一杯飲ませて。喉がカラカラだよ」
陸が話の続きを聞きたくてイライラしているのが、ひしひしと伝わって来る。いつ僕が話し出すか、そのタイミングを待ちきれないようだった。
崔加 洋くんについてあれから情報を駆使して調べてみた。どうやら崔加 貴史氏の義理の息子であることは間違いないようだが、それ以上のことには踏み込めなかった。もっと知らなくてはいけないことがある気がしたのに……。彼は本当に、陸の恨みを晴らすために怒りをぶつけるだけの相手でよいのか。なにかしっくりこないものを感じている。
はぁ本当に僕が迂闊だった。もっとよく知ってから陸には伝えるべきだった。
バーのカウンターでワインを一杯飲んだ後、重たい口を開いた。
「なぁ陸、どうしても話さないと駄目か」
「当たり前だろう。あいつの行方を俺がずっと探していたこと、お前なら知っているだろう」
「恨んでいるのか」
「あぁ恨んでいる。俺から父親を奪った奴だ。あの二人が手を繋いで歩いて行く後姿が忘れられない」
「やっぱりそうか。なぁ僕たちはもういい大人だ。一時の感情だけで行動するほど若くはない」
「空、一体何が言いたい?」
「つ・ま・り、僕からは話せないってこと。僕が迂闊だったよ。あんな電話すべきじゃなかった。僕は君には穏かに過ごして欲しいんだ。もう過去の嫌なことなんて忘れてくれないか」
「何言っているんだ?過去と向かい合わないと、俺はいつまでもあの時の置いていかれた子供のままだ。空だってそう思ったから探すの手伝ってくれていたのだろう?」
陸は僕のネクタイをぎゅっとひっぱって、怒りを露わにした。
「苦しい!やめろっこんな所で」
「空、じゃあ全部話せよ」
「いや……話せない。僕の一言で何かが大きく変わってしまうのが許せない」
「くそっ、お前は実際に会ったんだろ。なのに何故教えてくれないんだっ。お前にとって俺はその程度の人間だったのかよ!」
「陸……すまない。僕の口からは言えない。もしも本当に会うべき人なら、陸自身と直接巡り合うようになっているだろう」
「そんな夢みたいなこと言うな。幻滅したよ。お前だけは味方だと思っていた」
「陸、違うんだ。味方だからこそ言えない。お前がもうこれ以上傷つく姿を見たくない」
「そんなことわかんねえよ!」
僕だけじゃ駄目か…お前の怒りも喜びも全部受け止めてあげたい。ずっと思っているその言葉を口に出して言うことはない。
今までも、これからも……
****
「洋くん、おはよう!」
「流さん、おはようございます」
頬をなでる風の温かさに、春の訪れの気配を感じていた。
あれからしばらく平和な日が過ぎていた。何も起こらないことへの幸せを噛みしめるそんな日々だった。
早起きをすることにも慣れ、朝から流さんを手伝って寺の境内を忙しなく掃除した。それにしてもこれは、いい運動になるな。廊下を磨き上げ庭を綺麗に掃いていくと、心も浄化されていくような清々しい気分になるから好きだ。
丈はそんなことしなくてもいいと言うが、もう俺の生活リズムの一部になっている。
「洋くん、今日も横浜へ行くのか?」
「あっはいそうです。昼前に出かけます」
「そうか、ひとりで大丈夫か」
「大丈夫ですよ」
流さんと、こんな風にいつもの会話を繰り返すのも日課のようになっていた。
翻訳の勉強も順調で、講師の先生は、実際に翻訳者でもあるので勉強になることが多い。最近はここで勉強するよりも、より実践を学びたくて、横浜の学校まで毎日のように通っている。
流さんも暇がある時は、よく俺と一緒に横浜へ出てくれるのだが、今日は何か用事があるようだ。
「気を付けてな」
「ありがとうございます。じゃあそろそろ丈を起こしてきます」
「あいつは寝坊ばかりしてんな」
「昨日も遅かったから……」
「はいはい。じゃあ手早く起こして来い。朝からは余計なことしちゃ駄目だよっ」
「なっ!」
クスクスと冷やかすように笑う流さんに背中を押されて、赤面しながら俺は丈の元へ向かった。
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