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第7章
影を踏む 9
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「そうか……残念だけどしょうがないよ。また東京に用事があると思うから、その時にな」
出版社を出てから安志と涼に連絡をしてみたが、あいにく二人とも都合が悪かった。出版社から受け取った書類のこともあったので、横浜で途中下車をし先生に届け真っすぐ北鎌倉へ戻った。
駅のホームに降りると、ほっとした。
帰って来た。
そういう気持ちが込み上げてくるんだ。ここには俺の帰る家がある。そう思えることへの幸せを噛みしめながら、山道を一人目的を持って真っ直ぐに歩いて行く。
夕暮れ時の影は、長く伸びていった。
影はまるでもう一人の俺のように、皆の待つ場所へ早く帰ろうと導いてくれるようだった。
早く戻ろう。早く丈の元へ。そう焦る様に心がざわついている理由を俺は知っている。
実は出版社で会った遠野さんという人のことが少し気になっている。優しそうで紳士的な感じだったから、大丈夫だろうけど『サイガ』と名乗った時、彼の顔色がさっと変わったのは何故だろう。
それにしても久しぶりに「崔加」という名字を口にした時に、俺は大切な何かを忘れているような、まだ知らない何かがあるような……そんなもどかしい気分になってしまった。
そんなことを考えながらぼんやりと歩いていると、すれ違った車が俺の横でぴたりと停まったのでギクッとした。
「洋、今帰りか。何処へ行っていた?」
それは丈の車だった。
「なんだ驚いたな。今帰り?」
ソウルの語学学校で教えている時も、よく丈はこうやって俺を迎えに来てくれた。そんな懐かしい甘い日々を思い出してしまう。
「そうだが。こんな人気のない道を一人でふらふらと歩いて危ないな。さぁ乗れ」
「うん……心配してくれてありがとう」
最近とても素直に礼を言えるようになった。それは俺はもうひとりではないと思えるようになったからだろうか。とにかく自分をもっと大切にしたくなってきている。
「洋、どうした? 少し顔色が悪いな」
心配そうな手つきで丈が頬にそっと触れてくるので、その手を受け止めて、さっきの不安を素直に話すことにした。
「丈……あのさ、俺、今日、翻訳の先生の使いで書類を受け取りに出版社に行ったんだ。そこで涼の知り合いの編集者に偶然会って……その人、俺の名字を聞いて何故だか、すごく驚いていた。一体何故だろうか気になっている」
「そうか。知り合いだったとか」
「いや、初対面だと思う」
「何かお前のことを知っているのかもしれないな。少しでも気になることがあったら私にすぐに話して欲しい」
「あぁもちろんそうする。もう隠し事はしない」
「洋、お願いだ。もうひとりで突っ走るなよ」
「分かった」
俺はこの山寺で、丈と静かに暮らしたい。ただ安志や涼、丈のお兄さんやお父さんに迷惑がかかるようなことだけは避けたい。それだけは守り通したいことだった。
****
あーついてない。ついてない。せっかく洋兄さんが東京に出て来てくれたのに、撮影が長引いて会えないなんて残念過ぎる。
全ての撮影がやっと終わり楽屋で椅子に深くもたれ、しょんぼりしていると、通りかかったSoilさんが声を掛けてくれた。
「どうした、元気ないな」
「あっSoilさん!」
「がっかりした顔をしているな。今日はデートの約束でもあったのか」
「違いますよ。でも凄く会いたい人がいたのに撮影が長引いて駄目になって」
「へぇ涼にもそんな相手がいるのか。 彼女? それともお前可愛い顔しているから、彼氏か。ははっ」
「ちょっ……ふざけないでくださいよ。ただの従兄弟ですよ。会いたかったのは」
「ふぅん……涼にイトコがいるのか。なぁ紹介しろよ。似てるか」
「絶対イヤです!」
「なんで?」
「Soilさんは手が早そうだから」
「お前っ言ったな」
「痛っ」
Soilさんに背中を力一杯叩かれてしまった。
だって洋兄さんのことを見たら、男女を問わず誰だって見惚れちゃうはずだ。それに洋兄さんには丈さんという大事な人がいるんだから、僕が危険から守ってあげないと。あぁ……願わくばSoilさんと洋兄さんが会うことがありませんように!
「ははっコイツっ。でも涼のイトコだったら、さぞかし可愛いだろうな」
「可愛いっていうより、美人です」
「へぇ、それはますます会いたいな」
「だから駄目ですよ。絶対にっ」
Soilさんは男女を問わずモテモテなのに特定の人がいないのか。それともいるのか、プライベートは謎だらけだ。
いつも外ではツンと取り澄ました感じで掴みどころがない人なのに、僕だけには明るく自然な笑顔を向けてくれるのが本当に不思議だ。同時に実の弟みたいに可愛がってもらっていると実感してしまう瞬間だ。
あ……でも……あの遠野さんという友人には随分と気を許していたみたいだ。あの人とSoilさんってどんな関係だろうか。気になることばかりだな。
出版社を出てから安志と涼に連絡をしてみたが、あいにく二人とも都合が悪かった。出版社から受け取った書類のこともあったので、横浜で途中下車をし先生に届け真っすぐ北鎌倉へ戻った。
駅のホームに降りると、ほっとした。
帰って来た。
そういう気持ちが込み上げてくるんだ。ここには俺の帰る家がある。そう思えることへの幸せを噛みしめながら、山道を一人目的を持って真っ直ぐに歩いて行く。
夕暮れ時の影は、長く伸びていった。
影はまるでもう一人の俺のように、皆の待つ場所へ早く帰ろうと導いてくれるようだった。
早く戻ろう。早く丈の元へ。そう焦る様に心がざわついている理由を俺は知っている。
実は出版社で会った遠野さんという人のことが少し気になっている。優しそうで紳士的な感じだったから、大丈夫だろうけど『サイガ』と名乗った時、彼の顔色がさっと変わったのは何故だろう。
それにしても久しぶりに「崔加」という名字を口にした時に、俺は大切な何かを忘れているような、まだ知らない何かがあるような……そんなもどかしい気分になってしまった。
そんなことを考えながらぼんやりと歩いていると、すれ違った車が俺の横でぴたりと停まったのでギクッとした。
「洋、今帰りか。何処へ行っていた?」
それは丈の車だった。
「なんだ驚いたな。今帰り?」
ソウルの語学学校で教えている時も、よく丈はこうやって俺を迎えに来てくれた。そんな懐かしい甘い日々を思い出してしまう。
「そうだが。こんな人気のない道を一人でふらふらと歩いて危ないな。さぁ乗れ」
「うん……心配してくれてありがとう」
最近とても素直に礼を言えるようになった。それは俺はもうひとりではないと思えるようになったからだろうか。とにかく自分をもっと大切にしたくなってきている。
「洋、どうした? 少し顔色が悪いな」
心配そうな手つきで丈が頬にそっと触れてくるので、その手を受け止めて、さっきの不安を素直に話すことにした。
「丈……あのさ、俺、今日、翻訳の先生の使いで書類を受け取りに出版社に行ったんだ。そこで涼の知り合いの編集者に偶然会って……その人、俺の名字を聞いて何故だか、すごく驚いていた。一体何故だろうか気になっている」
「そうか。知り合いだったとか」
「いや、初対面だと思う」
「何かお前のことを知っているのかもしれないな。少しでも気になることがあったら私にすぐに話して欲しい」
「あぁもちろんそうする。もう隠し事はしない」
「洋、お願いだ。もうひとりで突っ走るなよ」
「分かった」
俺はこの山寺で、丈と静かに暮らしたい。ただ安志や涼、丈のお兄さんやお父さんに迷惑がかかるようなことだけは避けたい。それだけは守り通したいことだった。
****
あーついてない。ついてない。せっかく洋兄さんが東京に出て来てくれたのに、撮影が長引いて会えないなんて残念過ぎる。
全ての撮影がやっと終わり楽屋で椅子に深くもたれ、しょんぼりしていると、通りかかったSoilさんが声を掛けてくれた。
「どうした、元気ないな」
「あっSoilさん!」
「がっかりした顔をしているな。今日はデートの約束でもあったのか」
「違いますよ。でも凄く会いたい人がいたのに撮影が長引いて駄目になって」
「へぇ涼にもそんな相手がいるのか。 彼女? それともお前可愛い顔しているから、彼氏か。ははっ」
「ちょっ……ふざけないでくださいよ。ただの従兄弟ですよ。会いたかったのは」
「ふぅん……涼にイトコがいるのか。なぁ紹介しろよ。似てるか」
「絶対イヤです!」
「なんで?」
「Soilさんは手が早そうだから」
「お前っ言ったな」
「痛っ」
Soilさんに背中を力一杯叩かれてしまった。
だって洋兄さんのことを見たら、男女を問わず誰だって見惚れちゃうはずだ。それに洋兄さんには丈さんという大事な人がいるんだから、僕が危険から守ってあげないと。あぁ……願わくばSoilさんと洋兄さんが会うことがありませんように!
「ははっコイツっ。でも涼のイトコだったら、さぞかし可愛いだろうな」
「可愛いっていうより、美人です」
「へぇ、それはますます会いたいな」
「だから駄目ですよ。絶対にっ」
Soilさんは男女を問わずモテモテなのに特定の人がいないのか。それともいるのか、プライベートは謎だらけだ。
いつも外ではツンと取り澄ました感じで掴みどころがない人なのに、僕だけには明るく自然な笑顔を向けてくれるのが本当に不思議だ。同時に実の弟みたいに可愛がってもらっていると実感してしまう瞬間だ。
あ……でも……あの遠野さんという友人には随分と気を許していたみたいだ。あの人とSoilさんってどんな関係だろうか。気になることばかりだな。
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