重なる月

志生帆 海

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第7章 

影を踏む 8

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「一体どんな奴だった?空はそいつと会ったんだろ?」
「あぁ……でも」

 陸にとって、さっき会ったばかりの崔加 洋と名乗るあまりに美しい青年はどう映るのだろうか。彼は僕たちが想像していたような生意気そうな人物ではなく、とても儚げでなにか大きな不幸を乗り越えたような研ぎ澄まされたような澄んだ美しさを持っていた。

 僕の一言が、彼の人生を……陸の人生を変えることになってしまうかもしれない。そう思うとこの先のことを簡単に告げてしまうのが、急に躊躇われた。

「おい、どうしたんだ。ちゃんと話せよ」
「ちゃんと会って話そう。これは電話で話すことじゃない」
「空……?」


****

── サイガ リク ──

 僕と陸は同じ小学校に通っていて家も割と近く同級生として普通に接する程度の友達だった。僕たちが十一歳のあの日までは。

 ある日突然、陸の名字が「崔加(さいが)」でなく「砂川(すながわ)」に変わってしまった。

「あいつは父親に捨てられたんだってさ」
「父親が突然家に帰って来なくなったんだって」
「あいつの親、離婚したんだってさ」
「可哀想な奴」
「父親がいない奴」

 そんな噂が立ち込め、陸はあっという間にクラスで学校で、孤立していった。

 陸は背も高く端正な顔立ちでカッコ良く、女子にも男子にも人気のクラスのリーダー的存在だったのに、そんな地位は脆く儚く崩れ落ちてしまった。それからは教室でも校庭でも公園でも陸はいつもぽつんと孤独になった。

 それでも……その意志の強そうな瞳は、以前と変わらず真っすぐに周囲を見渡していた。陸の瞳はキラキラと輝くものではなく、何かを恨むような厳しいものになっていたが。僕はそんな陸の境遇の変化を目の当たりにして、どう声を掛けるべきかずっと迷っていた。

 そんなある日の休み時間、校庭で友人と影踏みをして遊んでいると、陸がフェンスにもたれてじっとその様子を見ていることに気が付いた。目を凝らして陸の様子を伺うと、それまで見せたことがないような泣きそうな顔をしていることに気が付いた。

「陸……どうした?」

 やっと声を掛けれた。弱みに付け込むわけではないが、それまでどう声をかけたらいいのか分からず、幼いながらにタイミングをはかっていたのかもしれない。

「空……俺に近づくな。お前まで馬鹿にされるぞ」

 そう言い放つ陸の様子が、強がっていても悲しげで心配になった。

「でも……」
「くそっ影踏みなんて遊び大っ嫌いだ!」

 そう乱暴に言い放つ陸の目からぽろっと涙が零れ落ちた。絶対泣かないと思っていた陸の目から零れ落ちた一滴の涙は、とても重そうに校庭の土にじわじわと溶けて行った。

「……泣いているよ」

 はっとした陸は踵を返し、そのまま校庭を走り抜け、校舎の中に姿を消した。どうしたんだ? あんなに揶揄われても絶対に泣かなかった陸が泣くなんて。いやそうじゃない。やっと泣けたのかもしれない。

 今、陸を一人にしては駄目だ。そう思って僕も陸の後を追った。陸が行きそうな所を校舎中探しまくり、屋上で見つけた時はほっとした。

 屋上のフェンスにもたれ空を仰ぐ陸の目はもう濡れていなかった。

「陸……大丈夫か」
「空はお節介だな」

 もう泣き止んでいたが真っ赤になった目をこすりながら、陸は寂し気に笑った。

「陸、僕でよければ話してくれよ。決して誰にも言わない」
「お前になんて話すかよ。どうせみんなに言いふらすんだろ」
「違う。僕はしない」
「信じられないね」
「僕の影、踏んでいいよ。僕も陸の影を踏む」
「はっ? なんだよ、それ? 」
「いつも僕は陸の影が踏める距離にいるってことだよっ」
「……空」

 屋上のコンクリートには二つの影が真っ黒に伸びていた。
 僕は無言で足を動かして、陸の影をぎゅっと踏んだ。
 陸の足も少しだけ動いて、僕の影を踏んだ。

 すると二つの影はまるで寄り添うように、まるで僕たちの名前のように陸と空が繋がっているように重なったように見えた。

「ほら僕たちはつながっている。陸はもう一人じゃない」
「うっ……う……」

 陸から徐々に嗚咽が漏れ、そして呻くように、心に溜めていたことを一気に吐き出した。

「俺の父さんは、あいつに奪われたんだ」
「あいつって、誰?」
「俺は絶対に行ってはいけないと母さん達から言われていたのに、一人で勝手に父さんの住所を探して見に行ってしまって、そこで見てしまったんだよっ」
「なにを……?」
「俺の父さんが俺以外の父さんになっている姿だよ。あんな後姿、見なきゃよかった。見たくなかった! もう二度と見になんて行かないっ、あんな人、もう父さんなんかじゃない! くそ!」

 影はみるみるうちに小さくなっていった。
 陸はその場に蹲って泣いていたのだ。

 いつも真っすぐで男らしい陸が、こんなに小さく背を丸めて泣くなんて。何も出来ない自分が情けなく、せめて僕だけは陸の傍にいつまでもいてあげたくなった。陸は一人じゃない。そう思って欲しかった。

 そうしないといつも凛としていた陸が崩れて消えてしまいそうだったから、必死で背中をさすって声を掛けた。

「陸……僕は陸を裏切らない。ずっと君の近くにいるよ。今日の僕たちの影踏みを忘れないでくれよ」
「空……」

 陸がそのとき話したあいつというのが、陸の父が再婚した相手の連れ子だったことに気が付いたのは、もう少し後のことだった。

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