重なる月

志生帆 海

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第7章 

影を踏む 1

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「涼、お疲れさん、もうすっかり慣れたようだな」
「あっSoilさん、今帰りですか」
「んっちょっと飲みにいってくる」
「いいですね。楽しんで来て下さい」
「あぁ涼も早く帰れよ。気を付けてな」
「はい、ありがとうございます」

 Soilさんにポンポンっと労わる様に頭を叩かれて心地よかった。彼は事務所の大先輩で、超売れっ子のモデルだ。背も高くエキゾチックな顔立ちが本当に素敵な人だ。そんな雲の上のような人に僕はこんな新人なのに初日に一緒にバスケをして緊張をほぐしてもらったのが縁で、何かと気にかけてもらえてありがたい。

「もうあれから2週間か……」

 ロッカーの中に貼ったカレンダーを見つめると、いつの間にかどんどん日にちが過ぎて行ってしまっていることに気が付いた。

 あの日、安志さんの家で朝まで抱き合って過ごしてから、もう半月ほど過ぎてしまったんだな。有り難いことに最初にピンチヒッターで雑誌に載ったものが予想以上に好評で、事務所にきちんと所属したこともあり、モデルの仕事が山のように舞い込んで来て嬉しい悲鳴だ。

 その代わり安志さんに会えるのが激減してしまった。
 
 また時間が出来たらすぐに会いたい。安志さんに会うと僕は本当に癒されるし、元気をもらえる。でもその逆に僕は安志さんに安らぎを与えられているのだろうかと、心配になってしまう。

 ロッカーでそんなことを悶々と考えながら着替えていると、誰かが無言で入って来た。こんな時間に誰だろう? ふと振り返ると、僕と同じくらいの少年が立っていた。

 恐らく彼もモデルだろう。洗練された綺麗な顔立ちにセンスがよい服を着こなしていてお洒落な感じだった。でもその表情はきつく、僕をじっと睨むように見つめる視線は冷ややかだった。

「あの……何か? 」
「君が月乃 涼? 」
「そうですが、君は? 」
「ちっ、お前が俺の仕事を奪った奴だなっ」
「えっ」

 最初何を言われているか分からなくて混乱したが、その少年の手に握りしめられたカッターナイフを見てゾッとした。

「お前っ俺のこと分からないのか」
「わ……分からない。ちょっと待てよ。その手のものは一体っ」
「五月蠅いっ!退院して仕事に復帰してみて驚いたよ。お前のせいで仕事がこっちは激減したんだよっ!くそっ、俺はお前なんかにピンチヒッターを頼んで覚えはない。しかもその後しゃあしゃあとモデルになんかになりやがってっ」
「えっ」

 今、目の前で僕を罵倒してくるのは、そうか……水族館で具合が悪そうに蹲って救急車で運ばれていったあの少年なのか。合点したが、これは危険な状況だ。

「同じように怪我でもして、仕事降りろよっ」

 そう言いながら振り下ろされるカッターの刃をすっとかわすと、彼は余計にカッとして目を見開いた。

「逃げるなよっ。狡い奴! 泥棒猫と同じだっ、Soilさんまでたらしこんでっ」
「やめろっ! soilさんは関係ないっ。それに、こんなことしたら君が傷つくだけだっ」
「うるさい! うるさいっ! 俺に仕事返せよっ! 全部返せっ!!」

 まずい。もう我を失っている。アメリカでも何度かこういう目にあっている。僕はずっと習って来た護身術で逃げ続けるが、彼も無我夢中でカッターを振りかざしてくるので、決着がつかない。

「はぁはぁ……」

 息があがってしまう。モデルの仕事ばかりで勘が鈍ってしまったのか。とにかく狭いロッカーで逃げ惑っているだけじゃ駄目だ。出口を目指して逃げないと!

「うっ」

 その時カッターの刃がシャツをかすめてしまった。

 シュッ──

 風を切る音がして、シャツがすっと切れて、じわっと血が滲んで来た。

「くそっそこじゃないっ!顔だっ!」

 そう言いながら再びカッターの刃が振り下ろされるのを見て、もう避けられないと思い、せめてもと腕で顔を覆い目をぎゅっと瞑り痛みに耐える準備をした。

 だが、覚悟を決めて待っても腕にも頬にも何も痛みは走らなかった。

 その代わりにその少年のぐぅと低く唸る声がロッカー室に不気味に響いた。

 



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