重なる月

志生帆 海

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第7章 

鏡の世界 5

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 寺の離れは街灯の明かりもなく、本当の意味で暗黒だった。

 夜も深まり、闇夜に目が慣れてきた。

 今、離れの部屋で俺たちは躰を求め合っている。息を潜め丈の口づけと愛撫を一身に受け止めていけば、躰は開かれ徐々に快楽の波に誘われていくのが分かる。こうなってしまえばもう抗えない。いや抗うつもりはない。

 俺はずっと暗闇が怖かった。底なしの沼のような暗黒は、どこまでも俺を蔑み踏みつぶしていくあの日のようだったから。でも今は怖くない。こうやって丈に抱かれ、丈の世界に誘ってもらえるから。

「洋、大丈夫か。挿れてもいいか」
「あぁ……もう大丈夫だ。来てくれ」

 丈の長い指先によって解された場所が丈を欲しがっている。襞が絡みつくように丈を迎え入れ、ずんっと躰の奥底でそのすべてを受け止める。何度も何度も繰り返されたこの行為の意味を俺は知っている。

 この瞬間に触れ合っているのだ。俺の心と丈の心が、お互いの躰に入り込み溶け込むようなこの瞬間が好きだ。

 そして揺さぶられ高められ、丈の胸にしがみつくように縋りつくように手を伸ばす。伸ばした手を丈は力強く握ってくれ、ぎゅっと腰を支え、俺が零れ落ちないように抱きしめてくれる。

 俺はもう一人じゃないと実感できる瞬間に、いつも何故か小さな子供のように泣きたくなる。

 そっと下腹部をなでると中を蠢く丈の存在を感じた。

「温かいな……」
「そうか」

 俺はずっと人肌が恋しかったのかもしれない。今は手を伸ばせば丈がいてくれる。

「んっ……あっすごくいい。ここに丈を感じる」

 腹をさする手に、そっと丈の手も重なる。

「洋、ここにいよう。ここは静かな湖のような場所だ」
「そうだな。俺もここにいたい。ここが好きだ」

 泣きたいほどの幸せだ。丈がいてくれて丈の元で暮らせて……それを実感する夜の深い営みだった。


****

 静かに流れるように鎌倉の寺での生活が始まった。

 早起きをして朝食の準備を手伝った。流さんは僧侶なのに長髪を束ねいつも作務衣を着ていて、どこか芸術家のような風貌だった。でも大らかで面白く明るい雰囲気で、まるで実の兄のような存在でもあった。それから翠さんとお父さんに誘われて一時間程、写経をするようになった。

「洋くんも写経をしてみないか。身と心と調えて行う写経の心が、そのまま仏の教えの心に通っていくのだよ。君も写経によって静かに落ち着いた時間を持つといいよ」
 
 そう誘われて興味を持った。

「おはようございます。今日もよろしくお願いいたします」

 今日も月影庵で姿勢を正して呼吸を整え、浄水を硯に少量ひたし、静かに墨を磨り、心を落ちつけていく。

 合掌し『四弘誓願(しぐせいがん)』、『般若心経』を唱えてから静かに筆をとり、表題から書き始めていけば、心は無になり、煩悩から解放され静かに落ち着いていく。

「洋くんお疲れ様。おはよう、丈は?」
「翠さん、おはようございます、丈は今日はもう病院へ行きました」
「そうか、洋くんの今日の予定は? 」
「あっ俺も今日は外出してきます」
「一人で大丈夫? 心配だな」
「くすっ翠さん、俺はもういい歳の大人ですよ。迷子になるとでも? 」
「いやそういう意味じゃなくて……どこまで行くつもりか」
「横浜まで、語学学校の課題を提出して、少し講義を受けてきます」
「そうか頑張っているんだな」

 いつもなら写経のあとは書斎を借りて、翻訳の通信教材で勉強するのだが、今日は課題の提出とスクーリングの日だった。

「ありがとうございます。じゃあ夕方には戻りますので」

 そう挨拶して部屋を出ようと思ったが、翠さんは心配そうな顔を崩さなかった。

「いや駄目だ。やっぱり心配だ。流を呼ぶから一緒に行きなさい」
「そんな、一人で大丈夫ですよ」
「僕達がそうしたいから従いなさい。どうも洋くんを一人で行かせるのは不安を覚える」
「あっはい」
 
 翠さんとお父さんは、こんな風に俺をまるで箱入り娘のように大切にしてくれて恥ずかしくなるほどだ。そんな愛情に包まれた日々は、俺が実の両親と遠い昔、幸せな家族でいた頃を思い出させてくれる。

 丈のお陰だ。丈が俺に与えてくれたこんな穏やかな時間と空間は、かけがえがない宝物だ。

「さぁ行こうか。洋くんと横浜までデート出来て嬉しいよ、今日はバスを使おう」
「流さん忙しいのにすいません。よろしくお願いします」

 外出の支度をして流さんと一緒にバスに乗った。

 日本に帰国し鎌倉に来てからは、ずっと閉じこもるように寺内にいたので、久しぶりの外出になる。



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