重なる月

志生帆 海

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第7章 

戸惑い 8

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「ただいま」

 つい癖で、誰も待っていない部屋なのに言ってしまう。

 大学に入って一人暮らしを始めた当初は、とにかく解放された気持ちで一杯だったことを、ふと思い出した。あの頃はとにかく早く洋との想い出がちらつく実家から出たかった。

 でも今はこの家に涼の気配がないのを寂しく感じている。とにかく次またこういうことが起きたら、今度はちゃんと逃げずに会おう。

 全く俺はどうしてあんな臆病な真似をしたのか。歳を取るってこういうことなのかとネクタイを緩めながら考えてしまった。

 シャワーを浴び机にやり残した仕事を広げた。涼に会うために無理矢理切り上げて来てしまったので持ち帰りだ。コンビニの弁当をつまみながら、次第に雑念を払って仕事に没頭していった。

 それからどの位経ったのだろうか。玄関のチャイムが控えめに鳴った。
 こんな時間に誰だろう。夜間の宅急便か……重い腰をあげて応答した。

「はい?」
「あっ! 安志さん良かった! もう戻っていたんだね」
「涼? 」

 なんで今日来るんだよ。恥ずかしい。あんな行動を取った自分に対して嫌悪感がふつふつと沸いてきて、涼がせっかく来てくれたのに素直になれない自分がいた。それでも嬉しい気持ちが勝って玄関を開けると、涼は走ってきたのかハァハァと肩で息をしていた。

「どうした? こんな時間に? 」
「安志さん……僕」

 寒い中走ってきたせいで鼻の頭をうっすら赤らめた涼は、何故だか今にも泣き出しそうな気がした。

「とにかく入れよ。その……今日は悪かったな。急な残業で……」

 ドアの内側に連れ込んだものの、なんだか気まずくて、ついまた嘘を重ねてしまう。玄関のたたきで、そんな気まずい俺の顔を涼はじっと見つめ、ふるふると頭を横に振った。

「いいんだ、安志さん。僕はそれでもいい」
「どういう意味だ? 」
「意味なんてないよっ、安志さんが好きだから、安志さんが一歩引くなら僕が一歩踏み込んでいくから!」

 その言葉にはっとした。

 俺のとった行動……すべて分かっているんだな。涼はそれでも俺のこと責めないで、一歩ぐっと踏み込んで来てくれる。今こうやって訪ねてくれたように。

 涼は本当に素直で真っすぐだ。そこがいいところだ。

 真っ赤な顔をして真剣に俺と真正面から向き合ってくれる涼が、本当にカッコよくて可愛くて、こんな人もう二度と出会えない。そう思うと熱い気持ちがドクドクと込み上げて溢れそうだ!

「涼の躰冷えてるな。とにかく中に入れよ」

 玄関から手を引いて温かい部屋に誘い、リビングに足を一歩踏み入れた涼のことを優しく抱きしめてやる。

 その途端に、涼はうっと声を詰まらせた。

 その背中を優しく撫でてやる。上下にゆっくり擦るように言葉を促す様に、そっとそっと……

「だから、だから……」
「あぁ」
「安志さん、お願いだ。何処にも行かないで欲しい。僕は必ずここに戻って来るから、信じて欲しい」

 あぁ……そうか。俺はこんなにも想われている。
 じんわりと優しい気持ちが込み上げてくる。

「涼、悪かった。嫉妬だった。不安で、戸惑っていた」
「……うん」
「モデルの雑誌見てさ、それで急に雲の上の人みたいに感じて」
「……うん」
「でも涼は涼のまんまだ。それを忘れていた。俺、本当に格好悪いな」
「違う、格好悪いのは僕の方だ。安志さんの気持ちを、ちっとも分かっていなかった。甘えていた」
「いや……涼には甘えて欲しい」
「安志さん……」

 涼だって、急な変化に戸惑っていたのだ。
 当の本人が一番負担が大きかったはずだ。

「あの……」
「なんだ? 」
「安志さんがすごく近くに感じる」
「そうか。でも俺はこの程度の奴だよ? 年上のくせに嫉妬して不安がって……恋に不慣れで臆病だ。幻滅しただろう? 」

 恥を捨て本心を告げると、涼はその綺麗な顔を綻ばせた。

 こういう時の涼はドキッとするほど色っぽい。

「幻滅なんてしなかった。むしろ嬉しい。もっともっと近くに感じることが出来て」

 そう言いながら涼が少しだけ背伸びをして、唇を合わせて来た。ひんやりと冷えた綺麗な唇から漏れる吐息は、いつもよりも熱く甘く感じた。

 クラクラと抗えない魅力でジンジンしてきてしまう。

「涼っ駄目だ……」

 慌てて唇をずらした。

「駄目? 」
「ううっ……今それをされると止まらなくなる」
「止まらなくていい。進みたいな」
「煽るなよ…涼」

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