重なる月

志生帆 海

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第6章

番外編 崔加氏の独白 8

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 とうとうアメリカで洋との二人暮らしが始まった。

 誰も私たちの過去を知らない場所で、二人きりの生活が出来ることに胸が高鳴ったものだ。

 平日は新しくアメリカで立ち上げた事業が多忙で、ほとんど顔をあわせない生活だった。日曜日になると洋は私と二人きりになるのを避けるようにキャップを目深に被って、朝から夜までどこかへ出かけて行った。

 そんなすれ違いの生活を繰り返し……やがて洋は日本人学校からアメリカの大学へと進学した。

 成長と共に、ますます色気が出てきた洋の容姿に感嘆の溜息が漏れてしまう程だった。よくぞここまで夕の面影を残し、美しく成長したものだ。

 あの頃の私は、心の奥底の淫らな欲望が燃えだしそうなのを必死で抑えていた。

 最後の一線を越える勇気は私にも流石になかった。美しい洋とただ一緒に過ごせれば、それでよかった。

 洋は大学に入っても友人らしき友人もいないようで、休日になると一人で暗い顔で何処かへ出かけていくのを相変わらず繰り返していた。

 流石に心配になって一度だけ後をつけて行ったことがある。洋は一人でサウス・フェリーに乗ってスタテン島まで往復していた。ただ一日中それを何度も何度も繰り返していた。日の当たらない暗いベンチに、けだるげに座っている息子の姿。こんな風にしか過ごせない休日……ただただ憐れに感じた。

 私と出会わなければ、この子はもっと明るくのびのびと生きることができたのではないか。でも出逢ってしまった。私という存在がこの子を不幸にしている。

 そして夕の生き写しのようなその顔が、彼に更に不幸を招きそうで怖い。私を駄目にしそうで怖い。

 もう手放してやらねば、そう思うのになかなか決心がつかない。

 そんなある日のことだった。大学の歓迎パーティーに出席していたはずの洋が真っ青な顔で全身びしょ濡れで帰宅したのは。

「洋、一体どうしたんだ?」
「あっ義父さん、帰っていたのですか……なんでもないんです」
「なんでもないという姿ではないだろう。上着はどうした? 」
「あっ……」
「とにかくシャワーを浴びてきなさい」

 動揺した表情・ボタンが弾け乱れたシャツ。日本でも同じようなことがあったので、だいたいのことは察した。同時に私以外の人間が洋に気安く触れたのかと思うと怒りがふつふつと湧いて来る。

 それから洋は一週間以上大学に行けなかった。雨に濡れたのと襲われたショックで、酷い風邪をひいて寝込んでしまったのだ。流石に心配になってしまった。

 この子は一人で何重もの苦労に耐えて来たのだ。血もつながらない私の陰湿な視線にも耐え、友人から好色な目で見られ……憐れな子だ。そう思うと、私が私だけは守ってやりたい。そういう父性に似た気持ちが初めて芽生えて来た。

 あの頃の私はいつになく澄んだ心を久しぶりに取り戻していた。純粋にただ守ってやりたかったのだ。

 数日後一人のアメリカ人の青年が真っ青な顔で、洋のジャケットを持って家を訪ねて来た。

「申し訳ありません。俺が車の中で、youに手を出しました。少し触っただけで、それ以上のことは……でもyouはかなりショックを受けて……本当にすいません。俺のこと殴るなり訴えるなり好きにしてください」

 大柄な青年が震えながら謝る真摯な姿勢に心が打たれ、一つの提案をした。

「君が犯した罪は消えない。だが償っていくことは出来る。それが出来るのなら実行してくれ。洋が大学生活を無事に送れるように陰ながら守って欲しい。君がボディガードを陰ながらしてくれれば、それで君のとった卑劣な行動を許そう」

 その提案は受け入れられ彼は陰ながら洋を守ってくれた。卒業までの四年間、意志を曲げない真っすぐな態度に心を打たれ、卒業後も私の手元で働いて欲しいと打診したのだ。

 それが今、私の側近でもあり、生活のすべてをサポートしてくれているKentだ。私には、Kentを見ていると思い出す人がいる。

 もしも私が夕と再会しなければ……こんな風に私の秘書となり過ごしてくれたかもしれない息子がいたはずだ。

 それは私の血を分けた息子の陸。お前は今どこで何をしているのだろう。

 書斎の引き出しの奥深くにしまっている箱の中には、彼の幼い頃からの写真が何枚も入っている。私の手元に前妻が送ってきたものは、高校卒業の写真が最後だった。

 彼は私が夕と再婚した時に前妻と共に捨てて来た実の息子だ。賢く意志が強そうな目をしていた子供が、いつのまにか立派な青年となっていた。

 サッカーのユニフォームを着た健康そうな笑顔が眩しかった。体格も良く人に慕われているだろう明るい笑顔だった。

 彼の人生は、今も輝いているのだろうか。

 私は彼を捨てた。

 彼は私のことを覚えているのだろうか。あの日突然家に戻らなくなった父親のことを。

 再び会ってみたいという気持ちが過る日もあったが、もう私にはその資格がない。

 もともと夕のために血を分けた息子を捨てた酷い父親な上に、人としての道すらも誤ったのだから。

 すべてはあの日、洋を無理やり犯した日に失った。

 アメリカではその欲望を必死に抑え込んでいたのに。だから洋だけを日本へ帰すことも許したはずだったのに。

 正月に洋から突然切り出された帰国の希望に正直驚いたが、悩みに悩み……なんとか決心した。私の息がかかった会社に就職するという条件はつけたが、あの日私は確かに一旦洋を手放したのだ。

 そのはずだったのに……何故あのようなことをしてしまったのか。

 私は負けたのだ。自分自身に……負けたのだ。

 洋をこの手で踏みにじってしまった。

 父親として……決して侵してはならない領域に踏み込んでしまった。

 義理とはいえ、息子をこの手で無理やり抱いてしまった。

 償えない罪。
 一生許されない罪。
 洋はいまどこにいるのか。

 全力で探そうと思えば、出来ないこともないが、しなかった。出来るはずなかった。

 嫌がるあの子が、羞恥に震え、嫌悪の目で私を睨みつけたあの瞬間。

 結局私は夕も洋も失った。
 何もかも失った。











あとがき 





****

志生帆海です。
これで崔加氏の独白はおしまいです。
きつい話を最後まで読んでくださってありがとうございます。
少し転載するにあたり加筆しました。どうして義理の息子に手を出してしまったのか、そんな心情が少しでも伝われば嬉しいです。明日からは少し甘い番外編を予定しています。


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