重なる月

志生帆 海

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第6章

番外編 崔加氏の独白 4

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「夕、君は今……とても困っているのでは」
「何故そう思うの? 」
「それは……私が今でも夕のことが好きだからだ。好きな人のことならなんでも分かる」
「えっ今でも好き? 」
「あぁそうだ。十年以上忘れられなかった」

 夕は困惑の表情を浮かべていた。その美しい顔が曇り出したので、慌てて言葉を付け加えた。

「なぁ……私に夕を助けさせてくれないか、夕の運命を変えたのは私が原因だ」
「それは崔加さんのせいじゃないわ。私が選んだ道だったの」
「いや今……夕はとても困っているはずだ。ご主人を亡くしてから君が女手一つで働きながら息子さんを育てているのが事実だ。ご実家からは勘当されてしまったと聞いているよ。君はそんなに躰が丈夫でないし、いろいろと辛いことが多いだろう? 」

 図星だったのだろう。夕の眼にはじわじわと涙が浮かんできた。

 深窓の令嬢だった夕が急に夫を亡くして、ここまでやってこれただけでもすごいと思うが、いい加減そろそろ限界なのだろう。くたびれた身なり、顔色……すべてが物語っている。

「私は……洋……息子のことが気がかりなの。ちゃんと育ててあげたいの。あの子だけは」
「それならば」

 この先の言葉を一瞬だけ躊躇った。だが今しかない。今……夕は揺らいでいる。それが伝わって来る。

「私とやりなおさないか。結婚しないか。私なら君と息子さんを守ってあげられる。私はもともとは君の婚約者だった。私はずっと君のことだけを想っていた。十年以上も……プロポーズをやり直させて欲しい」
「そんな……」

 夕の反応は、拒絶ではないと思った。あと一押しだ。ソファに座っている夕の手を取った。

 水仕事で荒れてしまった夕の手は、以前のように滑らかではなかった。それでもほっそりとした関節が可愛らしく、愛おしかった。

「そんなこと無理よ。私には息子がいるし、そんな都合がいいこと出来ない」

 その手を出来るだけ優しく握りしめながら囁く。甘い誘惑の言葉を……私に堕ちろと願いを込めて。

「息子さんは夕にそっくりだ。夕の子供なら愛せる。私がそうしたいんだ。私じゃ駄目か。何不自由なく暮らせるようになる。余計な心配もなくなるんだ」
「頭がパンクしそう。お願い……ちょっと待って」

 もうこのまま夕をベッドに押し倒して、力尽くでもいいから抱いてしまいたい。そんな衝動に駆られていた。だがそれでは十年前と変わらない。

 私の中で欲情が高まっていく。

 夕が欲しい。夕に似た綺麗な息子も欲しい。どうしても欲しい。何もかも丸ごと飲み込むように手に入れたい。性的な欲情と物欲が入り交ざる。

「じゃあ一週間後、またこの部屋に来てくれないか。もしその洋服で再び来てくれたらOKだという合図にしよう」
「……」
「よく考えてみてくれ。この先のことを。君一人で息子さんを満足に幸せにしてあげられるのか。息子さんは、これからどんどん大きくなっていくんだぞ…中学高校大学とお金も必要だ」
「……考えさせて」



****

 夕と別れて車に乗り込んだ。頭の中は夕のことで一杯だ。

「社長、次はどちらへ行かれますか」
「自宅へ」

 そう告げてはっとした。自分の妻と子供のことを……

 だが、すぐに決めた。別れることを。

 どうしても夕が欲しい。夕を手に入れるためなら私はどんなことでもしよう。

 二人の顔がちらつく。

 貞淑な妻で文句はなかった。息子は私に似て元気一杯でやんちゃな盛りだ。

 投げやりにスタートした結婚生活だったが、可愛い愛おしいという気持ちを抱かせてくれた存在だった。

 なのにどうしても夕と比べると駄目なんだ。どうして私はこんなにも夕に囚われてしまったのか。何かの悪縁かと思う程、夕のことになるとおかしくなってしまう。

 地獄に落ちてもいいから、夕と結婚したい。そのためにお前たちを切り捨てる。

 許してくれ。
 いや許さなくてもいい。
 恨んでくれ。

 金銭的なものならいくらでも惜しみなく提供する。

 とにかく、もうこの家での生活は続けられない。

 門の前で、私は非情な覚悟を決めた。
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