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第6章
番外編 崔加氏の独白 2
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夕……あの人はもう落ちぶれた。
あんなひょろひょろな学生と駆け落ちをするなんて馬鹿な人だ。私だったら、もっと贅沢させてやれた、幸せにしてやれた。
いつまでも蜘蛛の糸のように絡みつく、夕への憎しみなのか恋慕なのか分からない想いを断ち切りたくて、やけくそで見合いをし、私はあれからすぐに結婚した。
夕じゃなければ誰でもいい。そう思っていた結婚生活だったが、それなりに順調で、すぐに息子も産まれた。
妻の百合子は大人しく貞淑だったし、息子の陸(りく)も可愛かった。
新しい幸せを見つけて、私なりに夫らしく父親らしく過ごしていたはずだった。
あの夏の日までは。
****
十年後──
蒸し暑い夏の日のことだった。
急に降り出した夕立に、往来の人々は忙しなく道を走りまわっていた。私はそんな雑然とした様子をぼんやりと車窓から眺めていると、ふと懐かしい光景が目に留まった。
バス停の影で雨宿りしている一人の女性……あれは、あの人は……
「車を停めろ」
車を停めて、私は目を凝らした。
夕だ。忘れもしない私を裏切った女。
その雨に濡れた美しい横顔は十年経っても陰りがなかった。だが着ている服は安物で、ずいぶんとくたびれた様子だ。それに顔色が悪く具合が悪そうだ。
やめろ……今更、話しかけてどうする。そう思ったのに……まるで夕に吸い込まれるように、私は車から降りて近づいていた。
雨は雷雨となり激しく頭上で轟いている。時折鳴り響く落雷に、俯いている夕の肩は小さく震えていた。
一番最初に会った時を思い出す。可憐で守ってやりたくなるような夕……
君は十年経っても変わらないな。駆け落を仕出かしたとは思えない儚さだ。
水たまりを避けながら、一歩……また一歩と夕へ近づいて行くと、怯えたように夕がはっとこちらを見上げた。
「夕……久しぶりだな。いやあれ以来か」
「あ……崔加さん」
夕の顔は青ざめていた。逃げようか、どうしようかと迷う心が読み取れる。だが次の瞬間夕はまっすぐこちらを見てくれた。
「……お久しぶりです」
どの口がいうのかと思ったが、夕がまた前の様に穏やかに私と話してくれたのが素直に嬉しく感じた。忘れていた……溶けるような甘い感情が疼きだす。
「あぁ……君は元気だったのか」
そう問うと、夕は力なく首を横に振った。
「そうでもないの。いろいろ大変で、あなたは?」
「あのままだ」
「ご結婚されたの?」
「……いや……」
私は一体なんでそんな嘘をついてしまったのか。今は妻も子供もいる身なのに、なぜ隠したのか。夕の前ではあのままでいたかったからなのか。
この一言が私と夕の運命を再び嵐の中に引き込むことになってしまったのに。
「そうだったの……あの? 」
「君は雨に打たれてずぶ濡れじゃないか。あちらに車を待たせている。もう私も大人だ。何もしないから……さぁ」
夕は思いつめた表情を浮かべた。警戒するのも無理はない。そんなに簡単には許してもらえないだろう。
そう諦めた時……
「ええ。じゃあお言葉に甘えて、あの……少しお話出来ますか」
驚いたことに、夕の方からそう誘ってくれたのだ。
あんなひょろひょろな学生と駆け落ちをするなんて馬鹿な人だ。私だったら、もっと贅沢させてやれた、幸せにしてやれた。
いつまでも蜘蛛の糸のように絡みつく、夕への憎しみなのか恋慕なのか分からない想いを断ち切りたくて、やけくそで見合いをし、私はあれからすぐに結婚した。
夕じゃなければ誰でもいい。そう思っていた結婚生活だったが、それなりに順調で、すぐに息子も産まれた。
妻の百合子は大人しく貞淑だったし、息子の陸(りく)も可愛かった。
新しい幸せを見つけて、私なりに夫らしく父親らしく過ごしていたはずだった。
あの夏の日までは。
****
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急に降り出した夕立に、往来の人々は忙しなく道を走りまわっていた。私はそんな雑然とした様子をぼんやりと車窓から眺めていると、ふと懐かしい光景が目に留まった。
バス停の影で雨宿りしている一人の女性……あれは、あの人は……
「車を停めろ」
車を停めて、私は目を凝らした。
夕だ。忘れもしない私を裏切った女。
その雨に濡れた美しい横顔は十年経っても陰りがなかった。だが着ている服は安物で、ずいぶんとくたびれた様子だ。それに顔色が悪く具合が悪そうだ。
やめろ……今更、話しかけてどうする。そう思ったのに……まるで夕に吸い込まれるように、私は車から降りて近づいていた。
雨は雷雨となり激しく頭上で轟いている。時折鳴り響く落雷に、俯いている夕の肩は小さく震えていた。
一番最初に会った時を思い出す。可憐で守ってやりたくなるような夕……
君は十年経っても変わらないな。駆け落を仕出かしたとは思えない儚さだ。
水たまりを避けながら、一歩……また一歩と夕へ近づいて行くと、怯えたように夕がはっとこちらを見上げた。
「夕……久しぶりだな。いやあれ以来か」
「あ……崔加さん」
夕の顔は青ざめていた。逃げようか、どうしようかと迷う心が読み取れる。だが次の瞬間夕はまっすぐこちらを見てくれた。
「……お久しぶりです」
どの口がいうのかと思ったが、夕がまた前の様に穏やかに私と話してくれたのが素直に嬉しく感じた。忘れていた……溶けるような甘い感情が疼きだす。
「あぁ……君は元気だったのか」
そう問うと、夕は力なく首を横に振った。
「そうでもないの。いろいろ大変で、あなたは?」
「あのままだ」
「ご結婚されたの?」
「……いや……」
私は一体なんでそんな嘘をついてしまったのか。今は妻も子供もいる身なのに、なぜ隠したのか。夕の前ではあのままでいたかったからなのか。
この一言が私と夕の運命を再び嵐の中に引き込むことになってしまったのに。
「そうだったの……あの? 」
「君は雨に打たれてずぶ濡れじゃないか。あちらに車を待たせている。もう私も大人だ。何もしないから……さぁ」
夕は思いつめた表情を浮かべた。警戒するのも無理はない。そんなに簡単には許してもらえないだろう。
そう諦めた時……
「ええ。じゃあお言葉に甘えて、あの……少しお話出来ますか」
驚いたことに、夕の方からそう誘ってくれたのだ。
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