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第6章
贈り物 14
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立派すぎる母の墓。
もしも母が義父と再婚しなかったら、俺はあんな目に遭わなかったのでは……ここに立っていると昔のことが、どんどん思い出されて息が苦しく、胸が締め付けられるように痛くなる。
そして次の瞬間には、あの日の押さえつけられた腕の痛みまでもが蘇ってきてしまう。
躰を貫かれる痛みは強烈だった。触れられてはいけない人、触れられたくない人に無理やりに躰をこじ開けられ支配され続けた。あの日の悔しさ、何もできなかったもどかしさ……なんとも言えないドロドロとした感情の渦に巻き込まれそうだ。
母は結局何も語らずに亡くなってしまったから、真相は分からない。
俺は墓の横に座って、母に話しかけた。
「母さんにとって、あの時は……再婚という選択しかなかったのですか」
答えはない……その選択を恨んでいないといったら嘘になる。だがそのお陰で丈と知り合い深く結ばれた。それにあの過去からの縁を考えても、すべては俺の運命だったのかもしれない。
だが……置き場のない虚しい気持ちだけは、いつまでも癒えない傷となり燻っている。
どんなに前を向いて歩いて行こうとしても、時々こうやって忘れたい記憶がまざまざと蘇り俺に襲い掛かって来るのが、強がっていても事実だ。
今になって思えば、あの日の母は緊張した面持ちだった。恐らく母が再婚への覚悟を決めた日だったのだろう。今の俺と大して歳が変わらない少女のような若い母の姿を思い出す。
淡い紫色のワンピース姿は、美しい菫の花のようだった。気高く美しい花のような母。
その姿が小さくなるまで見送ったのを思い出す。
****
小学校から帰ると、母が家にいなかった。いつも帰りを楽しみに待っていてくれるのに、一体何処へ。今日は具合が悪いから仕事は休むと言っていたのに……
「……どこ?」
キッチンにもリビングにもいない。風呂場にも寝室にも……部屋中を探すが、何処にも姿が見えない。
「どこに行ったの?」
一気に不安が押し寄せてくる。父が亡くなってから、いつも心の片隅に潜んでいる不安は、母もまた俺を置いて逝ってしまうのではないかということ。病弱で儚げな母を見る度に心を痛めていた。不安で泣きそうになっていると玄関から声がした。
「洋、ごめんね。遅くなってしまって」
玄関に、見慣れぬ姿の母が立っていた。夕日を背に……野に咲く菫のような淡い紫色のワンピースが風でふんわりと膨らみ、真っ白なボレロが目に眩しかった。
「……ママなの?」
「そうよ。どうしたの?」
「だって、いつもと違う洋服を着ているから」
「そうね……似合わない? 」
母が悲しそうな表情を浮かべたので、慌てて取り繕った。
「ううん、すごく綺麗だ」
「ありがとう」
母が笑顔になったのでほっとして、もう一度顔をじっと見つめると、髪の毛先がくるんと丸まっていて、お化粧も綺麗にしていて不思議な感じがした。
ママなのに……なんだかママじゃないみたい。一体どこへ行っていたのだろう…
それから母は僕の手をとり、こう囁いた。
「洋はパパが欲しい? 」
「パパはもういないよ。天国にいるから欲しくても無理だよ」
「そうよね……じゃあ新しいパパはいらない? 」
「えっいらない……それよりずっとママに元気でいて欲しい」
「……そうなのね。でもママはあなたを守りたいの」
「うん、僕も大きくなったらママを守りたいよ。だから早く大きくなりたい」
「洋はまだ十一歳だもの。今はママの言うことを聞いてね。お願いだから」
「うん、もちろんだよ」
なんでそんなことを言うのか、その時は分からなかった。
それからちょうど一週間後の夕方のことだった。僕が学校から帰ると母はまたあの紫色のワンピースを着て、綺麗にお化粧をしていた。その美しいはずの母の姿に何故か底知れぬ不安を覚えた。
「ママ、どこへ行くの?」
「洋お帰りなさい。あのね…ママ……大切な用事ができたの。今日は遅くなるから安志くんのお家にお泊りできるように頼んであるの。ごめんね。洋……そうしてもらえる?」
「……どこへ行くの?」
「大切なことがあるの……ごめんね。洋、ママの我が儘を聞いてね」
綺麗なワンピースに綺麗なお化粧。なのに母の眼はとても悲し気だった。それからふわりと抱きしめられた。
「洋が一番大切なの。ママにとって……あなたは大事な贈り物なのよ」
母の優しい呟きは砂糖菓子のように甘く、僕の心を少しだけ安心させてくれた。僕はまだ母を守れない小さな子供なんだ。だからもう何も言えなかった。
それから母は振り向きもせずに、まっすぐ家から出て行った。
玄関先で……その後姿を、いつまでもいつまでも見送った。
もしも母が義父と再婚しなかったら、俺はあんな目に遭わなかったのでは……ここに立っていると昔のことが、どんどん思い出されて息が苦しく、胸が締め付けられるように痛くなる。
そして次の瞬間には、あの日の押さえつけられた腕の痛みまでもが蘇ってきてしまう。
躰を貫かれる痛みは強烈だった。触れられてはいけない人、触れられたくない人に無理やりに躰をこじ開けられ支配され続けた。あの日の悔しさ、何もできなかったもどかしさ……なんとも言えないドロドロとした感情の渦に巻き込まれそうだ。
母は結局何も語らずに亡くなってしまったから、真相は分からない。
俺は墓の横に座って、母に話しかけた。
「母さんにとって、あの時は……再婚という選択しかなかったのですか」
答えはない……その選択を恨んでいないといったら嘘になる。だがそのお陰で丈と知り合い深く結ばれた。それにあの過去からの縁を考えても、すべては俺の運命だったのかもしれない。
だが……置き場のない虚しい気持ちだけは、いつまでも癒えない傷となり燻っている。
どんなに前を向いて歩いて行こうとしても、時々こうやって忘れたい記憶がまざまざと蘇り俺に襲い掛かって来るのが、強がっていても事実だ。
今になって思えば、あの日の母は緊張した面持ちだった。恐らく母が再婚への覚悟を決めた日だったのだろう。今の俺と大して歳が変わらない少女のような若い母の姿を思い出す。
淡い紫色のワンピース姿は、美しい菫の花のようだった。気高く美しい花のような母。
その姿が小さくなるまで見送ったのを思い出す。
****
小学校から帰ると、母が家にいなかった。いつも帰りを楽しみに待っていてくれるのに、一体何処へ。今日は具合が悪いから仕事は休むと言っていたのに……
「……どこ?」
キッチンにもリビングにもいない。風呂場にも寝室にも……部屋中を探すが、何処にも姿が見えない。
「どこに行ったの?」
一気に不安が押し寄せてくる。父が亡くなってから、いつも心の片隅に潜んでいる不安は、母もまた俺を置いて逝ってしまうのではないかということ。病弱で儚げな母を見る度に心を痛めていた。不安で泣きそうになっていると玄関から声がした。
「洋、ごめんね。遅くなってしまって」
玄関に、見慣れぬ姿の母が立っていた。夕日を背に……野に咲く菫のような淡い紫色のワンピースが風でふんわりと膨らみ、真っ白なボレロが目に眩しかった。
「……ママなの?」
「そうよ。どうしたの?」
「だって、いつもと違う洋服を着ているから」
「そうね……似合わない? 」
母が悲しそうな表情を浮かべたので、慌てて取り繕った。
「ううん、すごく綺麗だ」
「ありがとう」
母が笑顔になったのでほっとして、もう一度顔をじっと見つめると、髪の毛先がくるんと丸まっていて、お化粧も綺麗にしていて不思議な感じがした。
ママなのに……なんだかママじゃないみたい。一体どこへ行っていたのだろう…
それから母は僕の手をとり、こう囁いた。
「洋はパパが欲しい? 」
「パパはもういないよ。天国にいるから欲しくても無理だよ」
「そうよね……じゃあ新しいパパはいらない? 」
「えっいらない……それよりずっとママに元気でいて欲しい」
「……そうなのね。でもママはあなたを守りたいの」
「うん、僕も大きくなったらママを守りたいよ。だから早く大きくなりたい」
「洋はまだ十一歳だもの。今はママの言うことを聞いてね。お願いだから」
「うん、もちろんだよ」
なんでそんなことを言うのか、その時は分からなかった。
それからちょうど一週間後の夕方のことだった。僕が学校から帰ると母はまたあの紫色のワンピースを着て、綺麗にお化粧をしていた。その美しいはずの母の姿に何故か底知れぬ不安を覚えた。
「ママ、どこへ行くの?」
「洋お帰りなさい。あのね…ママ……大切な用事ができたの。今日は遅くなるから安志くんのお家にお泊りできるように頼んであるの。ごめんね。洋……そうしてもらえる?」
「……どこへ行くの?」
「大切なことがあるの……ごめんね。洋、ママの我が儘を聞いてね」
綺麗なワンピースに綺麗なお化粧。なのに母の眼はとても悲し気だった。それからふわりと抱きしめられた。
「洋が一番大切なの。ママにとって……あなたは大事な贈り物なのよ」
母の優しい呟きは砂糖菓子のように甘く、僕の心を少しだけ安心させてくれた。僕はまだ母を守れない小さな子供なんだ。だからもう何も言えなかった。
それから母は振り向きもせずに、まっすぐ家から出て行った。
玄関先で……その後姿を、いつまでもいつまでも見送った。
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