重なる月

志生帆 海

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第6章

帰国 4

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「ふぅ、なんとか間に合った」

 金浦空港に着くとすでに搭乗手続きが始まっていて、日本へ向かう人々で行列が出来ていた。俺は列には並ばずに、その中から安志を探した。

 安志に会えたら、まずなんて言おう。日本までの飛行時間少しでもまた一緒に話せたらどんなにいいだろう。そんな甘いことを考えていた。

 いた! 前方の列に姿勢のよい後姿。竹のように爽やかな雰囲気のビジネスマンがすぐに目に入った。近づいていくと、手にスマホを持ちメールを打っている最中だった。あっ、もしかして羽田空港に涼が迎えに来るのかな。

 あいつのあんなに嬉しそうな顔。子供の頃、大好きな団子を前にしたような笑顔を浮かべちゃって、恥ずかしい奴。

 涼と楽しくおしゃべり中か。そう思うと俺はなんとなく、安志に声をかけるのがためらわれて後列に並んだ。

 そうか。こういうことなんだな。安志に好きな人が出来るっていうのは……

 妙に納得してしまった。

 機内の座席も離れていたので、ますます安志を遠くに感じてしまった。

 少しだけ寂しい。でもこれでいい。あいつの幸せを素直に願おう。

 一度ずれたタイミングはもう一度合わせることが難しくて、結局着陸しても話しかけられなかった。きっとこの後、安志は涼と会うのだろう。恋人たちの邪魔をするほど野暮じゃないよ。もうお前の一番じゃないんだな。俺はお前を受け入れられなかった癖に、なんて我が儘なんだろう。

 到着ロビーを出た途端に、涼が安志の所へ駆け寄って来た。そして二人は少しの間を置き、ふわっとハグをしあった。

 なんて自然なんだろう。

 俺がなかなか出来なかったこと、今でもうまく出来ないことを、涼は軽々と乗り越えていく。なんだか二人が眩しくて、結局声を掛けることが出来なかった。

 そしてスーツケースを押しながら小さくなっていく二人の背中を、少し羨ましくぼんやりと見つめていた。

 さてと、どうするか。今日は適当にホテルに泊まって、明日以降どこかで二人に会えばいい。何も今日じゃなくていい。そう自分に言い聞かせた。

 空港から電車で都心に出て、そのまま駅前のホテルに泊まることにした。ビジネスマン専用らしく、機械的にキーを渡され部屋に入った。すぐにカーテンを開けて窓の外を見るが、低層階なので隣のビルの屋上しか見えなかった。空を見上げると、高層ビルが俺を見下ろす様に建っていた。

 随分、圧迫感のある景色だ。

「ここからは……月が見えない」

 その時スマホが鳴った。タイミングよく丈からだった。

「洋、もう着いたか」
「あぁホテルにいる」
「安志くんとちゃんと会えたのか。同じ飛行機だったろう?」
「ありがとう。でも……今日は声をかけなかったよ」
「なぜ?」
「ん、別に」
「ふっ洋は可愛い奴だな。安志くんが急に幸せになって戸惑っているのだろう」
「そっそんなことない。俺はあいつの幸せを望んでいた……」
「強がらなくてもいいんだよ。洋は少しだけ寂しいのだろう?」
「丈……どうして分かる?」
「さぁな、まぁ5年以上一緒に暮らしているしな」
「丈はやっぱりすごいな」

 あぁずっとザワザワとしていた心が、丈と話しているとすっと落ち着いてくる。やっぱり丈はすごい。俺だけの丈だ。

「やっぱり丈と一緒に日本に戻ればよかったな」
「そうか? 誘われなかったぞ? 」
「馬鹿っ……でも一人は寂しいよ」
「洋、愛してる」
「うん、俺も愛してる。丈ありがとう。せっかく行かしてくれたのに早速弱音を吐いてごめん」
「いや、嬉しいよ。洋が寂しがってくれて、さぁ今日はもう寝ろ。疲れただろう。おやすみ、また明日」
「うん、おやすみ」

 丈の声を聞いたらほっとして、急に眠気が襲ってきた。

 すべてはまた明日だ。


****

 部屋に入るなり、俺は涼の唇を奪った。もうさっきからずっと我慢できなかった。空港で顔を見た瞬間にその場で奪ってしまいたいほど、涼は魅力的だった。

「んっ……ん」

 壁に押し付けられた涼も小さな吐息を吐きながら、俺の求めに応じてくれる。さらに涼の腰を抱きしめ躰をぴたりと合わせながら、少し怯えた涼の舌を誘い出し絡めていく。

「あっ……」

 涼が襟元を掴んで苦しそうな仕草をしたので、慌ててぱっと離すと肩でぜーぜーと息をしていた。

「ごめんっ涼」   
「はぁ息が止まるかと思ったよ」
「つい夢中で悪かった。大丈夫か」
「安志さん、僕こそ……下手でごめん。実はフレンチキス程度しか経験なくて」
「それっ誰としたんだ?」
「えっあの高校の時、ガールフレンドと……あ、でも挨拶みたいなキスだよ」
「もうするな」

 そんなことをいちいち気にしてもしょうがないのに、俺って本当に涼のことになると見境がなくなって恥ずかしい。自己嫌悪で額に手をやってうなだれていると、覗き込むような仕草で、涼から唇を合わせて来た。

 まだたどたどしい、慣れないキスが心地良い。俺だけのことを思って、必死になっている涼が可愛くて仕方がない。


「涼、無理するなよ」
「んっ……でも僕がしたいから」

 このままでは、がっつくようなことになってしまうと、自分に何とか言い聞かせ、まだ物足りなさそうな表情を浮かべる涼を引き離し、わざと話を逸らした。

「買ってきてくれた空弁を食べたいな」
「あっ、そっそうだね」

 なんとなく気まずい沈黙が続いてしまう。でもまずは洋とのことをきちんと話したい。

「あのさ、涼」
「なに? 」
「洋の話をしてもいいか」
「あぁそうだ! うん聞かせて。洋兄さんとどこで会ったの? 」
「それがな、たまたま俺がボディガードしている重役の通訳のピンチヒッターで現れたんだ」
「凄い偶然だね。それで洋兄さんに何かあった……?なんだか随分立て込んでいたみたいだったから気になっていたんだ」

 心配そうに涼が聞いてくる。

 洋のこと、一体どこまで話せばいいのか迷ってしまう。あのホテルの部屋で、変な薬を飲まされ動けなくなってしまった洋の裸体をこの腕で抱きしめたことをふと思い出して、焦ってしまった。

 あれは、やましいことじゃない。
 ただ救ってやりたかった。
 断ち切ってやりたかった。

「あっ……そうだな。ちょっと揉め事に巻き込まれて。洋がピンチで、それで洋の恋人と友人と協力して乗り越えたんだ。ちゃんと解決したよ。」
「揉め事? それって」

 涼は心配そうに見つめて来る。

「あっうん。察しがつくかもしれないが、俺の口からは詳しいことは話せない。あいつは本当に苦労しているから、普通に生きていたら体験しなくていいことだ。沢山嫌な目にあって」
「そうか。無理にはいいよ。なんとなく分かるよ。僕もあのサマーキャンプで恐ろしい思いをして、あの後、洋兄さんがいつも怯えていたことは、こういうことかもと思ったから」
「そうか……涼も怖い思いしたな、本当に涼に何もなくて良かった」
「洋兄さん驚いていた? 僕と安志さんのこと聞いて」
「あぁ驚いていたけれども、すぐに喜んでくれたよ。涼に会いたいって言ってたよ」
「本当? 僕もすごく会いたい。いろいろ話したいし教えてもらいたいこともあるんだ」
「んっ? 教えてもらいたいことって何だ?」
「えっと……何でもない。さぁ安志さん早く食べよう」


 何故か耳まで真っ赤にしている涼のことが不思議だったが、コロコロ変わる表情が可愛くていつまでも見惚れてしまうよ。


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