294 / 1,657
第5章
番外編 Kai&松本 『捻じれた心』2
しおりを挟む
いきなり交代した洋くんの仕事。
ランチを終えて戻って来るアメリカ人の代議士が、急に通訳者が変わっていることにがっかりしないだろうか。洋君に比べたら僕は若くもないし、洋君みたいな誰もが振り返るような美しさなんて、欠片もないからずっと見劣りするだろうに。そんな風に悪い方へ悪い方へと考えてしまうのはいつもの癖だ。
「松本さん、もうすぐスミス氏の昼食が終わるけど、大丈夫?」
「えっ何が?」
「えっと……なんか不安そうな顔をしているから」
「はっ?」
なんてことを言い出すんだろう?
意外なことを言われて思わず苦笑してしまった。
五歳も年下の男の子に心配されるほど、僕は頼りないのだろうか。
「しっかりやるから安心して」
「松本さんはしっかりしているようで、なんか……その…危なっかしいな」
「ふっ……大丈夫だよ、僕は」
陽気で快活なKaiくんが少し真顔になっていた。
もう大丈夫。
一人でも大丈夫。
不安な時は、そういつも自分に言い聞かせている。あいつが傍にいなくても、もう三年間も一人きりで過ごして来られたのだから。
いつも明るい輪の中にいるKaiくんが眩しかった。そんなKaiくんを見ていると眩しすぎて、もう手が届かない、僕が手放した世界のことを思い出してしまう。
僕だって……あんな明るい日差しの中にいたこともあったんだ。あいつの腕の中で幾度となく迎えた朝の明るい日差しを思い出してしまう。
ただ、ずっとずっと続くと思っていた幸せが、あんなにも脆く人の心の移ろい次第で……しゃぼん玉がはじける様に消えてしまうんなんて、知らなかっただけなんだ。
幸いなことに、アメリカ人の代議士は洋くんでなくても大丈夫だったようで、僕の英語の発音も褒めてくれた。それを横で聞いていたKaiくんが自分のことのように喜んでくれた。嬉しそうに顔を綻ばせるKaiくんの横顔をそっとのぞき見すると、なんだか冷え切っていた心の奥に灯がともるように感じてしまった。
Kaiくんと仕事が終わり廊下を歩いていると、Kaiくんが今日の僕の仕事ぶりを改めて振り返るように嬉しそうに語ってくれた。
「松本さん、お疲れ様! 今日は一緒に仕事が出来て良かった!」
「……僕で大丈夫だったのかな」
「もちろん! とても先方も喜んでいたし、松本さん、英語の発音がとても綺麗だから驚いたよ」
嬉しい。
五歳も年下の男の子に褒められて嬉しい気持ちになるなんて。
僕は人の温もりに飢えているのだろうか。
最近少しおかしいんだ。
どんどんKaiくんの温もりが欲しくなっている。自分自身を戒めないといけないのに、温もりを欲する自分のことを見て見ぬふりをしていた。
その少しの気のゆるみが僕を駄目にした。
もしかしたら今日なら誘えるかも……言えるかも。Kaiくんともっと一緒にいたい。話してみたい。
Kaiくんはこの後、空いているだろうか。
この後、飲みにでも誘ってみようか。
本当に何年振りだろう。自分からこんな風に人に声をかけてみたいと思うことがまたあるなんて……そう思いながらその誘いを口に出そうとした瞬間、それは見事に打ち消された。
「松本さん、俺、ちょっと上司に報告してくるから、先にロッカーに行ってもらってもいいですか」
もちろん落胆した気持ちを見せるほど、僕は愚かじゃない。何も感じていないと、取り繕うことなんてお手の物さ。
「うん、分かった。じゃあ僕は帰るので……お疲れ様」
「はい。明日もよろしくお願いします!じゃっ!」
そう言い捨てて、Kaiくんは突然廊下を逆走していってしまった。振り返りもせずに。
僕としたことが…またあんな気持ちになるなんて……
あの日……ボロボロになりながら
ーもう二度と恋はしない。ー
そう誓ったじゃないか。
自分がさっきうっかり言いそうになってしまった甘い言葉を、くしゃくしゃに丸めて心の外に投げ捨てた。それでも未練がましくロッカーに入る前に、ちらっとKaiくんが去って行った方向を振り返ってしまったんだ。
見なければよかった光景を見るために。
廊下の影で、洋くんがKaiくんを頼るように、もたれるように立っている姿を……
その光景は僕をそのまま暗闇へと突き落としてくれた。
あの日あいつに唐突に落とされたあの場所へ。
そこはもう思い出したくもない、あいつとの甘い思い出の片鱗が沢山散らばっている場所でもあった。
****
四年前 ー日本ー
「優也……アイシテル、アイシテル」
皺くちゃのシーツをお互いの躰に絡めあい、何度も何度も呪文のように僕の耳元で囁かれる愛の言葉が甘く、くすぐったかった。あの頃の僕は、その言葉を心の底から信じ、その言葉にすべてを託して生きていた。あいつの躰をきつく抱き寄せ、僕からも魔法の呪文を唱えた。
「翔……僕もアイシテル。もっと抱いて……もっと翔のことが欲しい」
「優也のこと絶対に離さない」
ぴったりと重ねられた口づけが、心地よい。もう数えきれないほど抱かれて抱いて、僕たちはどこまでも一緒だと疑う余地がないほど、お互いがお互いに溺れていた。そんな僕と翔が共に同じ目線で世界を見つめていた頃のことを思い出してはいけない。
そう思って一人で生きているのに、今日のようにあまりに一人が寂しくてしょうがない時……僕は禁断の甘い蜜を吸うように、翔との思い出の中に深く潜り込んでしまう。
その思い出は僕を駄目にするのに…
****
この続きは『深海』で。
ランチを終えて戻って来るアメリカ人の代議士が、急に通訳者が変わっていることにがっかりしないだろうか。洋君に比べたら僕は若くもないし、洋君みたいな誰もが振り返るような美しさなんて、欠片もないからずっと見劣りするだろうに。そんな風に悪い方へ悪い方へと考えてしまうのはいつもの癖だ。
「松本さん、もうすぐスミス氏の昼食が終わるけど、大丈夫?」
「えっ何が?」
「えっと……なんか不安そうな顔をしているから」
「はっ?」
なんてことを言い出すんだろう?
意外なことを言われて思わず苦笑してしまった。
五歳も年下の男の子に心配されるほど、僕は頼りないのだろうか。
「しっかりやるから安心して」
「松本さんはしっかりしているようで、なんか……その…危なっかしいな」
「ふっ……大丈夫だよ、僕は」
陽気で快活なKaiくんが少し真顔になっていた。
もう大丈夫。
一人でも大丈夫。
不安な時は、そういつも自分に言い聞かせている。あいつが傍にいなくても、もう三年間も一人きりで過ごして来られたのだから。
いつも明るい輪の中にいるKaiくんが眩しかった。そんなKaiくんを見ていると眩しすぎて、もう手が届かない、僕が手放した世界のことを思い出してしまう。
僕だって……あんな明るい日差しの中にいたこともあったんだ。あいつの腕の中で幾度となく迎えた朝の明るい日差しを思い出してしまう。
ただ、ずっとずっと続くと思っていた幸せが、あんなにも脆く人の心の移ろい次第で……しゃぼん玉がはじける様に消えてしまうんなんて、知らなかっただけなんだ。
幸いなことに、アメリカ人の代議士は洋くんでなくても大丈夫だったようで、僕の英語の発音も褒めてくれた。それを横で聞いていたKaiくんが自分のことのように喜んでくれた。嬉しそうに顔を綻ばせるKaiくんの横顔をそっとのぞき見すると、なんだか冷え切っていた心の奥に灯がともるように感じてしまった。
Kaiくんと仕事が終わり廊下を歩いていると、Kaiくんが今日の僕の仕事ぶりを改めて振り返るように嬉しそうに語ってくれた。
「松本さん、お疲れ様! 今日は一緒に仕事が出来て良かった!」
「……僕で大丈夫だったのかな」
「もちろん! とても先方も喜んでいたし、松本さん、英語の発音がとても綺麗だから驚いたよ」
嬉しい。
五歳も年下の男の子に褒められて嬉しい気持ちになるなんて。
僕は人の温もりに飢えているのだろうか。
最近少しおかしいんだ。
どんどんKaiくんの温もりが欲しくなっている。自分自身を戒めないといけないのに、温もりを欲する自分のことを見て見ぬふりをしていた。
その少しの気のゆるみが僕を駄目にした。
もしかしたら今日なら誘えるかも……言えるかも。Kaiくんともっと一緒にいたい。話してみたい。
Kaiくんはこの後、空いているだろうか。
この後、飲みにでも誘ってみようか。
本当に何年振りだろう。自分からこんな風に人に声をかけてみたいと思うことがまたあるなんて……そう思いながらその誘いを口に出そうとした瞬間、それは見事に打ち消された。
「松本さん、俺、ちょっと上司に報告してくるから、先にロッカーに行ってもらってもいいですか」
もちろん落胆した気持ちを見せるほど、僕は愚かじゃない。何も感じていないと、取り繕うことなんてお手の物さ。
「うん、分かった。じゃあ僕は帰るので……お疲れ様」
「はい。明日もよろしくお願いします!じゃっ!」
そう言い捨てて、Kaiくんは突然廊下を逆走していってしまった。振り返りもせずに。
僕としたことが…またあんな気持ちになるなんて……
あの日……ボロボロになりながら
ーもう二度と恋はしない。ー
そう誓ったじゃないか。
自分がさっきうっかり言いそうになってしまった甘い言葉を、くしゃくしゃに丸めて心の外に投げ捨てた。それでも未練がましくロッカーに入る前に、ちらっとKaiくんが去って行った方向を振り返ってしまったんだ。
見なければよかった光景を見るために。
廊下の影で、洋くんがKaiくんを頼るように、もたれるように立っている姿を……
その光景は僕をそのまま暗闇へと突き落としてくれた。
あの日あいつに唐突に落とされたあの場所へ。
そこはもう思い出したくもない、あいつとの甘い思い出の片鱗が沢山散らばっている場所でもあった。
****
四年前 ー日本ー
「優也……アイシテル、アイシテル」
皺くちゃのシーツをお互いの躰に絡めあい、何度も何度も呪文のように僕の耳元で囁かれる愛の言葉が甘く、くすぐったかった。あの頃の僕は、その言葉を心の底から信じ、その言葉にすべてを託して生きていた。あいつの躰をきつく抱き寄せ、僕からも魔法の呪文を唱えた。
「翔……僕もアイシテル。もっと抱いて……もっと翔のことが欲しい」
「優也のこと絶対に離さない」
ぴったりと重ねられた口づけが、心地よい。もう数えきれないほど抱かれて抱いて、僕たちはどこまでも一緒だと疑う余地がないほど、お互いがお互いに溺れていた。そんな僕と翔が共に同じ目線で世界を見つめていた頃のことを思い出してはいけない。
そう思って一人で生きているのに、今日のようにあまりに一人が寂しくてしょうがない時……僕は禁断の甘い蜜を吸うように、翔との思い出の中に深く潜り込んでしまう。
その思い出は僕を駄目にするのに…
****
この続きは『深海』で。
10
お気に入りに追加
443
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ
紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか?
何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。
12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる