重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
282 / 1,657
第5章

すぐ傍にいる 14

しおりを挟む
「洋、落ち着け……今から聞くことに正直に答えろ」

 泣きじゃくってしまった俺の震える両肩を、安志がしっかりと支えてくれている。

 二十七歳にもなって、こんな風に子供の時のように、お前に縋りついて泣いてしまうなんて。安志に今更こんなにも素の自分を見せてしまったことに驚く程だ。

 五年も経ったのに……やっと夏のアメリカでの事件を経て、丈と二人並んでしっかり自分の足で歩んでいけると思ったのに……幸せとはこんなに脆いものなのかと、さっきまで絶望的な気持ちだった。

 あの部屋に重役と二人きりでいると、もうすべてが終わった『絶望』という文字しか浮かばなかった。なのにお前は俺に眩しい程の『希望の光』をいつも与えてくれる。

「あぁ、ちゃんと話すよ……」
「まずあの重役とはどういう関係だ? 」
「……前の会社で直属の上司だった」
「そうか、洋が勤めていた信協製薬のだな」
「だがそれだけじゃない。あいつは俺の義父の元部下だった。だから義父の手先とでもいうのか。あの騒動の時……俺の日本での監視役みたいな役割をしていた」
「えっ! 洋のお義父さんと関係があるのか。 くそっ」
「……安志……脅されたんだよ、俺は…」
「くそっ!きっと洋が困るような何かを提示されたのだろう? 」
「……」

 やはり安志には正直に話さないとならないだろう。あの写真のこと……あそこに写っている俺の姿。もう誰にも見られたくなかった。もう二度と安志にも見られたくなかったあの淫らな姿のことを。 そう思うと恥ずかしさと悲しさで胸が押しつぶされそうになっていく。息をするのも苦しい程だ。

「洋っちゃんと話せ。肝心なところだ」
「……丈には話せない。言わないでくれないか。お願いだ」
「洋? 何言って……ちゃんと丈さんにも話さないと駄目だろう? お前たちはあれからうまくやっているんだろ」
「安志……あぁお前が送り出してくれてから二人で歩んできた。しっかりと。だからこそ言えないよっ! 今やっと俺達は落ち着いて幸せになった所なんだ」

 振り絞るように叫んでいた。言い切った途端に、両目からはらはらと涙が零れ落ちて行った。呼吸が苦しく心臓がバクバクと大きな音を立てているのを、どこか客観的に聴いていた。

 呆然とした状態で固まっていると、もう一度安志が俺を落ち着かせるかのように抱きしめてくれる。興奮した子供をなだめるような優しい手つきだ。

「洋……落ち着け。分かった。そのことは後にしよう。まず今やらなくてはいけないことから考えよう。あまり時間がない」
「……安志、俺、我が儘言ってごめん」
「俺には話せるだろう? 俺は洋のすべてを知っている。安心しろ、大丈夫だから」
「……写真だ」
「写真? 」
「あの五年前……義父と関係した時の写真なんだ」
「えっ! まさかそれを重役が持っているのか」

 頷くしかなかった。あの写真がネットなどにもしも流出したら……もう俺はこの街では生きていけないし、医師として社会的地位を保っている丈にも迷惑をかけてしまう。もう俺のせいで丈を振り回したくない。

「どうしたらいいんだ……あの写真と引き換えに、一晩を……強要されている」
「くそっ! あの変態親父っ!」

 安志が悔しそうに壁をドンっと叩いた。そして俺の唇の傷に再びそっと触れながら苦し気に呟いた。

「この傷、あいつにキスされたんだな……無理矢理に……」
「……抵抗出来なかった」
「洋、絶対早まるな。諦めるな。お前はもう二度とそんな目に遭ってはならないんだっ!」

 俺のことを心の底から心配してくる大事な幼馴染の言葉は、俺を安心させてくれる。でも今の俺の頭の中はぐちゃぐちゃに迷っていて、どう解決していけばいいのか、その道が全く見えないから。

 安志は暫く無言のあと、覚悟を決めたように真っすぐに俺を見下ろした。

「洋、ホテルのスタッフに誰か信頼できる知り合いはいないのか」
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...