重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
272 / 1,657
第5章

すぐ傍にいる 4

しおりを挟む
「おいっ洋?」

 そのままずるずると玄関にしゃがみこむように蹲っていく洋の腰を、慌ててぐっと支えた。

「んっ……」
 
 かなり酔っているのだろうか。それとも疲れているのだろうか。やれやれ……これじゃせっかくの可愛い誘いが台無しじゃないか。腕の中で寝てしまった洋が憎たらしくも可愛いのだから困ったものだ。

「しょうがないな。誘っておいてこれか……」

 私は洋を横抱きにしてベッドまで連れて行ってやる。酒のせいか少し上気した頬に口づけ落とし、布団を胸までかけてやると安心しきった寝顔になった。

 ふっ……小さな子供みたいに無防備に。いい夢を見ろ。疲れが取れるといいな。

「おやすみ……」

 リビングに戻った途端、スマホが鳴った。病院から急患の呼び出しだったので、私はもう一度、洋がよく眠っていることを確かめて急いで家を出た。

「洋、続きはまた明日な」

 そう心の中で呟いて。

****

「では、また明日8時の朝食時間にお迎えに上がります」
「あぁ」

 やれやれ、もう23時か。重役の希望でソウル観光にあちこち連れまわされて、やっと解放された。ふぅ……これで今日の仕事は終わりだ。

 ボディガードとして日本からずっと気を張り詰めていたので、一気に疲れが出た。それにしても腹が減ったな。何か食べにいくか。

 まだホテルのレストランは、やっているだろうか。そう思いながら廊下を歩いていると、丁度ホテルマンが通りかかったので、声をかけてみる。

「Excuse me.」(すいません、ちょっといいですか)
「あっ日本人の方ですか?」

 意外にも若いホテルマンから流暢な日本語が返って来て驚いた。

「えぇ、あなたの日本語上手ですね」
「ありがとうございます。良い先生に習いましたから」

 にっこりと微笑みながら答える青年は、やり手のホテルマンらしく爽やかで嫌味がなかった。

「あの、この時間に夕食をちゃんと食べられるレストランってホテル内にありますか。俺すごく腹減ってしまって」
「こんな時間まで大変でしたね。この時間ですとホテルで営業しているのはバーしかありませんので、もしよろしければルームサービスはいかがでしょうか」
「……そうですか」

 ルームサービスなんて洒落たことは経験がないので勝手が分からず戸惑っていると、思いがけない提案を受けた。

「よろしければ、特別に日本のおにぎりも作れますよ」
「えっ? 本当ですか。じゃあそれをお願いします!」
「かしこまりました」

 ラッキーだな。ソウルで日本のおにぎりが食べられるなんて。しかも俺の大好物だ!

「それにしても、よく日本のおにぎりのことを知っていましたね」
「実は大切な友人が日本人なんです。それでたまにランチに分けてもらっているんですよ。とても美味しいものですよね」

 少しプライベートな話なので小声でホテルマンが囁いた。

 へぇ一体どんな友人なんだろう。随分と親しみを込めてホテルマンが話すので興味を持った。

「じゃあ俺は802号室ですので、よろしくお願いします」
「はい、私は※ホテルコンシェルジュのKaiといいます。では、20分ほどでお届けいたしますので、お部屋でお待ちください。」
「分かりました、楽しみだな」

 おにぎりか。部屋に戻り夜景を眺めていると、急に昔のことを思い出した。

 あれは高校に入ってすぐだった。俺と洋はよく高校の屋上で昼食を一緒に取っていた。

◇◇◇

「洋~駄目じゃん。またパンなのか。栄養が偏るぞ」
「……そうだな」

 洋は中学生の時、お母さんを病気で亡くしていた。中学は給食があったから良かったが、高校は弁当だ。洋の新しい父親は家事を何もしない人らしいから、さずかし困っていただろう。

 洋は来る日も来る日も購買で買ったパンを食べているのに、俺は母が作った豪華な弁当を持ってきていたので、申し訳ない気持ちで一杯になった。

「ほら、卵焼きやるよ」
「安志、いいよ、おまえの分が減る」
「いいから食え!」

 見かねた俺は、いつもそんな風に少しおかずを分けたりしていたんだ。

 そんなある日……

「あれ、洋、昼食は?」
「んっ……今日は買い損ねた」
 
 儚げに寂しそうに笑う洋は屋上のコンクリートの壁に躰を預け、眩しそうに空を見上げた。

「お前は……馬鹿だな」

 そう言いながら自分の弁当の包みを開くと、今日はおにぎりで、三角の大きなおにぎりが四つも入ってた。

「洋、これやる」
「えっいいのか」
「流石に四つも食えないからな」
「安志、助かるよ。ありがとう」

 その瞬間……少し照れ臭そうに、少し嬉しそうに洋が花のように微笑んだ。あぁ久しぶりの優しい笑顔だ。洋の笑顔が嬉しくて、俺は気分よく青空を見上げた。

 よかった。
 洋が笑ってくれた。

「……っ」

 すると、隣から小さなすすり泣くような声が耳に届いたので不思議に思って見ると、洋が涙ぐんでいた。

「洋、どうした?」

 はっと我に返った洋は手の甲で慌てて、涙を拭った。

「いや……このおにぎり……具が二つ入っているから」
「あぁ、卵焼きと鮭だろ? 欲張りなんだよ。それよりなんで泣いたんだ?」
「これ……」
「何?」
「具が二つのおにぎり……母がよく作ってくれたんだ」
「……そうか」
「懐かしい……母の味みたいで……嬉しくて、つい。ごめん安志」
「いいんだよ。今度うちのおふくろにおにぎりの作り方習うといいよ」

 胸が切なくなるよ。そんな泣き顔見せられると。
 洋にはもう母親がいない。あんなに仲がよい親子だったのに。

「えっいいのか」
「もちろんだ!」
「安志、いつもありがとう」

 幼馴染の大事な洋のためなら、洋が喜ぶのなら、どんなことだってしてあげたかった。

 俺が守ってやりたかった大事な人だった。



※ホテルコンシェルジュ
コンシェルジュとは、一流ホテルで観光名所の案内からチケット手配、旅のプランづくりまで、お客様のありとあらゆるリクエストにお応えするホテルスタッフのこと。お客様にとって何でも相談できる頼もしい存在であり、ホテルの印象を左右する「ホテルの顔」的存在の職業です。

しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...