重なる月

志生帆 海

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第4章

時を動かす 9 特別編『七夕の願い』

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 洋がkaiとアメリカへ旅立ってから今日で1週間になる。kaiからの連絡では、洋はまだ親父さんに触れることが出来ず葛藤しているようだ。

 私には洋の気持ちが痛いほど夜な夜な伝わってくる。月輪のネックレスが朝起きるとしっとりと濡れているのは、洋の涙のせいなのか。

 本当は一緒にアメリカに付き添ってやりたかった。だが過去の世界からやってきた王様の治療のチームリーダーを名乗り出た手前、途中で医師の仕事を放棄するわけにはいかなかった。

 王様は素直に現代の治療を受け、赤い髪の女も医師として私を心強くサポートしてくれている。十五年の医療の進歩に驚いてはいるようだ。

 そして洋月も大人しくこの家で過ごしている。彼は一切自己主張をせず大人しくしているので、心配になるほどだ。

 私には遠慮などいらないのに……時折私のことを懐かしそうに見つめる目が悲しげだ。私を通して遥か時空の彼方の彼を見つめているのが分かるから。

****

 トントンー

「洋月、起きたのか」

 部屋をノックするが返事がない。いつも自分から身支度を整え、下の階に降りて来るのにおかしいな。まだ寝ているのか……昨夜もなかなか寝付けないようだったな。そっと寝顔を覗き込むと目元が赤く腫れ枕が濡れていた。

「泣いたのか……きっと丈の中将に逢いたいのだろう」

 暫く洋にそっくりな美しい寝顔を眺めていると、黒く長い睫毛が震え、目覚めたようだ。

「あっ……丈の中将……? 」

 見間違えたのだろう。無理もない。洋月に洋がそっくりなように、きっと私も彼が逢いたがっている「丈の中将」にそっくりなのだろう。

「洋月、起きたのか」
「あ……すまない。また間違えてしまったな」
「いいんだよ。昨夜はまた寂しくなってしまったようだな」
「うん……あの……手を……少しでいいから握ってくれないか」

 儚げな表情で手を伸ばしてくるので、そっと握ってやる。どうやら彼は手を握ってもらうと安心するようだ。そうしてやると白百合の花が咲き誇る様に美しく微笑んでくれる。この位のことしかしてやれない自分が、歯がゆくもある。

「逢いたいよな」
「うん……逢いたいよ、とても」
「今日が七夕だったなら良かったな」

 なんとなくそんな言葉が口から出た。昨日の星空があまりに美しかったせいだろうか……その言葉に洋月も反応する。

「七夕か……」
「洋月の時代にもあったか」
「あぁ、あったよ。宮中行事として七夕の宴が行われて」
「へぇ宮中行事で……少しその話をしてくれないか。その時は丈の中将も傍にいたか」
「そうだ。あの日俺と並んで天の川を見た」

 洋月は遙か彼方を見つめた。

****

 今宵は七夕だ。俺も今から宮中に参内する。

 心がいつもより晴れやかなのは、帝から「七夕の夜は女御たちと忙しく過ごすので、自由に過ごしてよい」と言われているからだ。

 丈の中将も参内すると聞いているので、今宵は堂々と宮中で一緒に酒を交わし歌を詠んで過ごせるのだ。

 夕刻、宮中に到着すると「七夕の宴」の準備で賑わっており、女房達が桃や梨、なす、うり、大豆、干し鯛、アワビなどを供えていた。

「やぁ洋月の君、待っていたよ」

 すでに丈の中将は到着していた。その夜空のような紺色の布地に金糸が星のように煌めく凛々しい直衣姿に、心が奪われてしまう。

 彫りの深い男らしい鼻梁の通った精悍な顔立ち。本当にだれもが惚れてしまう美丈夫だ。

 今宵この星空の下で、君は一層輝いて見える。

「あぁ、もう来ていたのだな」
「洋月の君は今宵も美しいな。織姫よりも綺麗に輝いて見えるよ」
「なっ……そんな風にいちいち言うな」

 そんな色っぽい眼で低く響く艶めいた声で囁かれたら、女でなくても堕ちてしまうよ。君は自分がどんなに魅力的な男だか知っているのか。

「ここにおいで」

 廂(ひさし)の外側の簀子(すのこ)縁に座る様に呼ばれる。そこは丈の中将のすぐ隣の席だ。他にも何名かの貴族たちが天の川を愛でているが、皆それぞれに夢中でこちらのことなど気にしていない様子だ。

「あぁ」

 丈の中将の横に座り空を見上げると、天空には壮大な天の川が流れていて、遠くからが厳かな雅楽も聴こえてくる。そして丈の中将からは白檀香を基調とした上品な香が漂ってくる。

「洋月の君……彦星も織姫も今日は一段と瞬いているな。見えるか」
「なんとも素晴らしい」

 丈の中将がふっと微笑んだかと思うと、扇で口元を隠しながら軽く俺に口づけを落とした。

「こっこんなところで!」
「ははっ織姫よりも洋月の君のことが愛おしくてな。このまま食べてしまいたくなるよ」
「なっ!」

 今宵は俺の心を捉えて離さぬ丈の中将と共に、七夕の夜を過ごせる。

 この香り
 この音
 この風

 全てをしっかりと焼き付けておきたい。幸せすぎる時はいつも最悪の状況を考えてしまうのは俺の悪い癖だ。俺は幸せにまだ慣れていないから。もしも丈の中将と離れてしまうようなことが起きたら、どうなるのだろう。こうやって一年に一度位はせめて逢えるのだろうか。それとも永遠に逢えなくなってしまうのだろうか。

 俺の暗い顔を読み取ったのだろうか、丈の中将が和歌を詠んでくれた。

 織女(たなばた)し船乗りすらし真澄鏡清(まそかがみきよ)き月夜(つくよ)に雲立ち渡る  (万葉集 巻17の3900番、大伴家持)

 意味……織姫が船に乗ったらしい。清らかな鏡が放つような月光の中、夜空にいま雲が立ち渡った。

「なぁ洋月の君、この里芋の葉にたまった夜露は『天の川のしずく』と言われているんだよな。先ほど私はこの夜露で墨を溶かし、梶の葉に和歌を書いて願いごとをしたよ」
「何を願った?」
「君が歩むこれから先の時を……私が守っていきたい。君の幸せをを邪魔することや人が現れたときは、私が盾になって君を守ってやりたい。行く手を阻むもの夜空にかかる雲なんて吹き飛ばして、君がちゃんと私のもとへ辿りつけるようにしてやるから、不安そうな顔をするな。いつでもどんな時でも信じて待っていろ」
「丈の中将……俺こそ、どんなところへ吹き飛ばされても必ず君の腕の中に戻ってくるよ。もしそんなことが起きても、信じて待っていて欲しい」
「あぁ洋月、必ずだぞ」
「うん……お互いに」
「さぁこの天の川のしずくに洋月も願いを込めてくれ」
「そうしよう」

 ふたりで梶の葉に和歌を詠みあって誓った。

 どんなことがあっても離れない。必ず戻ってくると……

****

 つぅーっと涙が頬を伝った。
 そうだ。俺は約束したんだ。
 必ず丈の中将のもとへ戻ると。

「洋月、大丈夫か?」
「あぁ……七夕の宴のことを思い出していた」
「そうか……今、君の大切な丈の中将と心の中で逢えたんだな」
「あぁそうだよ。忘れていた気持ちが心に灯ったよ」

 七夕の夜に抱いたあの日の気持ちを忘れない。
 待っていて。もうすぐきっと戻るから……必ず君の元へ。

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