重なる月

志生帆 海

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第4章

邂逅 7

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 口づけを交わした二人の奥には、深い森が広がっていた。

「洋……ここは都心に近いのに、自然豊かだな」
「そうだな」

 さらにその深い森の暗闇を抜けると視界が大きく開け、その先に見えたものに、二人して声をあげてしまった。

 「あっ!」

 そこには朝日を浴びて煌めいている小さな湖があった。周りの木々を映した澄んだ深い青色をした美しい湖だ。

「こんなところに湖があるなんて!」
「驚いたな、全然知らなかったよ」
「水が澄んでいて綺麗だ。洋、少し周りを歩いてみようか」
「あぁ」

 細く長い湖畔の道が続いていた。

「洋、そんなに端を歩くと危ないからこちら側を歩け」

 洋を道の内側に来させた。なんだか急に不安になってくる。湖畔沿いの道を洋が歩くのを見ていられない。ちらりと洋の表情をみると洋も少し余裕がなく青ざめている

「どうした?洋?」
「いや……なんでもない」
「なんでもないって顔じゃないぞ」
「実は……俺、本当はあんまり湖って好きじゃない。中学の時、修学旅行で京都に行ったんだよ。丈も行った?」
「あぁ、定番だからな」
「じゃあ……京都の離湖(はなれこ)って知っているか」


※離湖
京丹後市網野町にある淡水湖で京都府最大の湖。 湖の南西に半島のように突き出す離山の西側が離湖公園として整備され、展望台から湖周辺の様子が一望できるほか、散策路は桜の名所として有名で桜まつりも開催。 フィールドアスレチックや釣りも楽しめるほか離山古墳と離湖古墳では縄文期の遺跡も出土する。注意…実際には京都から電車で2時間以上の場所ですが、この物語では京都御所から牛車で60分ほどの距離の設定です。
 
「そんなところに行ったのか」
「うん、1日郊外学習の日があって、遠出して……その時のこと思い出してしまった」
「何かあったのか?」
「あの日もこうやって同級生と一緒に湖畔の道を散策していたんだ。そうしたら急にまるで溺れたかのように息が苦しくなって……水に落ちたわけでもないのに、どんな吸っても空気が入ってこなくて、あれって過呼吸だったのかな?自分も周りのみんなも驚いていたよ。なんだったのだろう?過去のトラウマみたいな感じで……」

「そうか」
「不思議だろう……俺、溺れた経験なんてないのに」
「洋が溺れる……」

 そう復唱してみると、胸の奥がつぶされるように痛んだ。尖ったナイフで刺されたように痛い。一体この記憶は……この国の昔の医官だった私ではない。違う何かの記憶が混ざってくる。

「離湖って名前自体が不吉だ。もう忘れろ!」

「えっ……丈? そんなに心配するなよ。俺は溺れたりしない。泳ぎなら得意なの知ってるだろう?小さい頃から泳ぎだけは絶対身に付けておかねばって思っていたんだよ。それからもうずっと君の横にいるって決めたのだから、絶対にいなくならないよ。喪失感って辛いからな……」

 洋が湖の彼方を見つめながら、頬を紅潮させながら呟いた。

「ずっと考えていたことだ。怖くて口に出せなかったことだ。話してもいいか」
「あぁ」

「過去の俺は、きっとジョウを失ったんだろう。会いたくて会いたくて……でももう自分が生きている世の中にジョウがいないっていう苦しみ。もがいてもがいても、どうしようもない喪失感。心にぽっかり穴が開いてしまったような感じなのだろうな。今俺の横には丈がいてくれるけど、次の瞬間丈が消えてしまったらと思うと怖くなるよ」

「そうなのかもしれない。だから願ったのだろう。もうすぐやってくる病気の王様を治療してまた元の世界に戻してやったら、ヨウとジョウの世界が変わるのかもしれない」

「そう願ってる。たとえそれがパラレルな世界を生むとしても……それでも叶えてやりたいな。丈、俺さ日本で一度お前と別れようとしたよな。あの時一人で安志の家に戻った時の喪失感はひどかった。もう君なしでは生きていけないと思っていた人との別れって……想像を絶するものだった」

 思い出したくない日本での出来事に自分から触れた洋の顔は、少し青ざめている。

 おそらく連鎖反応であの義父のことを思い出してしまったのだろう。洋は細い喉に手をあてて黙りこくってしまった。もしかしてあの日の……絞められた首の痛みまで思い出してしまったのか。

 そっとその手に温もりを与え、抱き寄せて耳もとで囁いてやる。

「洋……もう思いださなくていい。今、私たちは一緒にいる。それが大事だ」



****

本日更新分は、別途掲載している『月夜の湖』月夜に沈む想いとリンクしたお話しになります。一緒に読んで頂けると、お話しに深みが増すかと思います。
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