重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
152 / 1,657
第4章

逃避行 2

しおりを挟む
「洋……起きろ、もうすぐ着陸するぞ。ちゃんとシートベルトをつけろ」
「んっ……」

 まだ眠たい。ここ数日緊張してろくに寝っていなかった。それなのに今は丈の隣で、肩が少し触れ合う温もりを感じるだけで、永遠に眠り続けられそうだ。

「おい、大丈夫か」
「あっ……ああ」

 丈が心配そうな顔で覗いてくる。

「丈……着いたら何処へ行くつもりだ?」
「今日はもう遅いから近くのホテルを予約してある」
「そうか」

 ホテルという言葉が丈の口から発せられると、変に意識してしまう。果たして丈は、また俺を抱いてくれるのだろうか。

 俺はもう一度抱きしめて欲しい。犯された事実は消えないが、丈にそれを上書きして欲しい。そんな身勝手な願いが沸き出てきてしまう。

****

「洋、シャワーを浴びておいで」
「……あぁ、そうする」

 洋はホテルの部屋に入ってから緊張した面持ちで無言で立っていたが、そう声をかけると、はっと顔を上げて何か言いたげな表情をしたが、結局無言で背を向けシャワールームへ入って行った。

 しばらくしてシャワーの音が聞こえ出すと、私もほっと一息ついた。

 安志くんからの助言を得て洋と二人で逃避行するのを決めた私は、大急ぎで製薬会社の企業医の仕事を辞し、この地で新しい職を探した。洋は語学留学生扱いだ。この申請には気を遣った。したがって当面この国に滞在できるだろうし、二人の暮らしで困ることはないだろう。あとは安志くんが仕掛けた罠で、洋の父親がすぐにアメリカへ戻ったことを祈るのみだ。

 無事に洋を連れて予定したホテルに辿り着き、私もここ数週間の悪夢のような出来事から逃れられたことに、心の底から安堵していた。

 そしてこれからやっと洋と二人きりの夜を過ごせるのかと思うと、もう待てない。早く洋をこの胸に抱いて、戻ってきてくれたことを実感したい。

 しかしシャワーの音が止んでも、洋はなかなか出てこない。恐らく気にしているのだろう。自分の躰が汚れてしまったと……洋の気持ちが痛い程じんじんと伝わって来た。

 シャワー室にいる洋のもとへ自然と足が向いていた。

「洋?」

 ノックしても返事がないので、また具合でも悪くなってしまったのではと心配になり、ドアを慌てて開けると、洋は濡れた髪のままバスローブを羽織り、床に蹲っていてた。

「どうした?」
「……」

 洋は小さく首を振って、何か呟いた。

「んっどうした?」
「……お……ち……ない」
「何が」
「……つ……けられた痕が……」
「洋…」

 やはり!そんなことを気にして、馬鹿な奴だ。胸がぎゅっと締め付けられる。私はそんなこと気にしてない。むしろそんな目に遭った洋のことを守れなかった自分が不甲斐ないのに。

「洋、こんなに冷えて……馬鹿だな、一緒にシャワーをもう一度浴びよう」

 洋の肩を掴んで立たせバスローブの腰紐を解き、下へと落とす。

「あっ……」

 羞恥に震える洋がすっと顔を背けた。

 久しぶりに見る洋の白い裸体。あぁ……また痩せてしまった。本当に立っているのもやっとな程にやつれてしまった。

 だがそんな洋が愛おしい。

 洋の躰には首元にどす黒く指の跡がついてしまっている以外は、もう義父に抱かれてしまった時につけられたであろう痕はすべて消えていた。

 なのに何故……

「洋、綺麗だよ。大丈夫だ」
「そんなこと言うな!」

 顔を背けていた洋が、私のことを睨んでくるが眼に力がない。その眼尻は少し赤く腫れていて、泣いていたのがばれてしまう。

「おいで。私がもう一度洗ってやるから」
「丈……丈っ……俺……本当に……ごめん」
「洋……大丈夫だ。大丈夫だから」

 私に縋りつくように抱き付いて、嗚咽を漏らす洋が愛おしい。その細い腰をきゅっと抱きしめてやる。

「うっ……うう」

 声を殺した洋の泣き声が、艶めかしくシャワールームに反響していく。
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

あなたが好きでした

オゾン層
BL
 私はあなたが好きでした。  ずっとずっと前から、あなたのことをお慕いしておりました。  これからもずっと、このままだと、その時の私は信じて止まなかったのです。

花いちもんめ

月夜野レオン
BL
樹は小さい頃から涼が好きだった。でも涼は、花いちもんめでは真っ先に指名される人気者で、自分は最後まで指名されない不人気者。 ある事件から対人恐怖症になってしまい、遠くから涼をそっと見つめるだけの日々。 大学生になりバイトを始めたカフェで夏樹はアルファの男にしつこく付きまとわれる。 涼がアメリカに婚約者と渡ると聞き、絶望しているところに男が大学にまで押しかけてくる。 「孕めないオメガでいいですか?」に続く、オメガバース第二弾です。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。 1日2話ずつ投稿します。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

処理中です...