重なる月

志生帆 海

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第3章

※安志編※ 面影 12

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「そうやって別れたのが、洋兄さんと僕が会った最後だよ」

 あの日の洋兄さんの頬に付けられた青痣。俺を抱きしめてくれた優しい温もり。目を閉じれば、すべて昨日のことのように思い出す。

「そうなのか、洋がそんなことを涼に言っていたなんて」

 僕も年齢を重ねるにつれ、洋兄さんが言っていた意味が分かるようになってきた。同性から好色な視線を向けられる気持ち悪さ。電車の中でさりげなく躰を触ってくる奴。何処に行っても、ちらちらと人の邪な視線を感じるようになって、うんざりしていた。そしてそれは歳を重ねるにつれ、ますます酷くなった。

 幸い洋兄さんと約束した護身術を習ったお陰で、もともと運動も得意な僕は貞操を奪われるような危機はなかったが、本当に毎日憂鬱な思いを抱くことが増えていた。洋兄さんを守ると約束したから負けたくないという気持ちで、精一杯胸を張って生きている。でもこんな僕の心だって万能ではないから、たまに凹んだりしていたのが本音だ。

 そんな沈んだ心に気づいてくれた安志さんは頼もしい。僕の隣で話を真摯に聞いてくれる眼差しは、とても心地良い。あぁ安志さんと出会って、僕はどんどん安志さんの人柄に惹かれている。もっともっともっと一緒にいたい。

「安志さん。僕はまだ洋兄さんと約束した大人にはなれていないけれども、洋兄さんと縁のある安志さんと巡り会えたことが、凄く嬉しいよ」

 安志さんはきっと洋兄さんを日本で守ってくれていたのだろうな。ふと……そういう気がした。

「あぁ俺も出逢えてうれしいよ。それでいつ日本に来るんだ? 」
「大学だけはと親に頼んで日本へ行かせてもらうことが出来たんだ。……この前は大学の手続きや独り暮らしのマンションを決めたりしていて……もうすぐ、来月には行くよ」
「そうか。本当に日本に来るんだな」
「あっあのね……この前日本に行った時に、お兄さんのことを調べようと思ったのに、僕よく考えたら何も知らなくて、何も術がなかった」
「そうだったのか。それがまさか洋の幼馴染の俺とこんな風に出逢うなんてな」
「うん!だから本当に嬉しいよ。でもお兄さんは洋兄さんが今何処にいるのか、やっぱり知らないの? 」
「あぁ……悪いな。洋とは五年前に会っただけで、今は何処にいるのか知らない」

 安志さんも知らないのか。落胆してしまうな。

「だから僕の顔を見て驚いてたんだね。僕たち……同じ人を探していたなんて」
「不思議な縁だな、俺たちは」
「そうだね。でも洋兄さんを通して、安志さんと知り合えて嬉しかった」
「そうか? 面白くもなんともない人間だよ。俺は」
「そんなことないよ! 安志さんは凄く素敵だよ!」

****

 妙に力説しながら顔を赤らめる涼に、こちらの方が照れてしまう。涼は涙で滲む目を擦り、晴れやかに笑った。洋とは違う明るい笑顔に心惹かれ、その一方で悲し気な眼をした洋のことを想うと切なくなる。兎に角、二人の心の中には、それぞれの洋がいたんだ。そう思うと不思議な気持ちでいっぱいだ。

「あっ着いたみたい」
「あぁ降りてみるか」
「うん、行こう!」

 暗い船内から下船すると、眩しい位の春の清々しい日差しを浴びた。俺の前を無邪気に走り出す涼の姿が眩しい。細身のジーンズ、すらりと伸びる健康的な真っすぐな脚、白いシャツが健康的なノーブルな印象を強く引き出している。そのジーンズからのぞく細い足首……素足にドキンとした。

 俺の眼に映る涼は光り輝いている。そして俺の視界も長い暗いトンネルを潜り抜けたかのように、光り輝いていた。

****

「あーあ……本当にもう帰国しちゃうのか……」

 あの日の船での出来事は一週間前。お互いに洋を通じた深い縁を感じた俺達は、それからも一緒に食事をしたり、休日はセントラルパークで俺は昼寝、彼はジョギングをしたりして気ままに過ごした。

 それも今日でもう終わりだ。研修も昨日で終わり、明日には帰国の飛行機に乗る。セントラルパークの木陰で、俺は寝そべり涼は隣で体育座りでしょげている。

「寂しいのか」
「……うん」
「すぐ日本に来るんだろ?」
「そうだけれども……安志さん、本当にまた僕と会ってくれる?」
「それはいいけど……君はこれから大学生になるから、きっとすぐに俺のことなんて忘れてしまうよ」
「そんなことない! 絶対僕会いに行くから、お願い、待っていて」

 涼は周りをちらっと見まわしたかと思うと、ふわりと抱き付いて来た!

「おいっ涼!こんなところでまたアメリカ式の挨拶か」
「うんそうだよ! 安志さん待っていて! 僕のこと!」

 太陽の光が眩しいので目を細め、抱き付いてくる涼を間近に見上げる。涼は何故かひどく切なげな真剣な表情を浮かべている。

「涼、どうした?」
「うん、あのね……す…き……なんだ」

 涼が身を起こす一瞬の時だった。俺の唇に軽く涼の唇が触れて行った。

「なっ!」

 驚いて見上げると、顔を赤くした涼が俺を見下ろして恥ずかしそうに顔を赤らめていた。それから涼は今度ははっきりと、先ほどの信じられない言葉を口にした。

「僕は安志さんのこと、好きだよ!」
「えっ……す…好きって?」

 全く唐突過ぎるよ。洋にそっくりなその顔で、俺にそんなこと言うななんて! ただでさえ洋とは違うこの明るい涼に、俺はどんどん心を持っていかれているのに。

 洋がくれた贈り物のような、偶然の出会い
 これって感謝して受け取ってもいいのか。
 洋……お願いだ。教えて欲しい。

「キスしたくなる位……好きだよ」

 耳元で追い打ちをかけるように涼が甘く囁いた。
 いたずら気に……可愛らしく……いじらしく。

 クラクラとして倒れそうだ。俺……


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