重なる月

志生帆 海

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第3章

※安志編※ 面影 9

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「あなたは……まさか、もしかして……ゆっ夕の子供なの?」
「えっ……どうして……母のことを?」

 お兄さんは俯いていた顔を真っすぐに上げて、母の顔をまじまじと見た途端、目を見開いたまま固まってしまった。

「あっ……かっ母さんと同じ顔……」

 困惑して、それ以上のことが言えないようだった。それにしてもお兄さんの顔はまるで女の人みたいに綺麗だったので、思わずじーっと見つめてしまった。本当に綺麗だ。僕も大人になったらこんな風になるの? 憧れのような不安なような……そんな気持ちが交差した。

「ママ? ねぇこのお兄さんのこと知ってるの? 」
「えっ……ええ」

 お兄さんの方も母の顔から目を離せないようで、目には涙が浮かび、その長い睫毛はしっとりと濡れていた。そして唇を震わせた。

「母を知っているのですか。あの……あなたは母にそっくりです。一体これは、どういうことですか」

「私もびっくりしたわ。こんな所でまさか会うなんて。風の便りで夕に一人息子がいるというのは聞いていたの。あぁ……ちゃんと説明するわね。私と夕は双子なの。私は夕の姉なのよ」

「母さんのお姉さん? 」

「あなたはやっぱり夕の息子なのね。やっぱり血は争えないものね。まるで私の息子の十年後を見ているようだし、男の子なのに……夕にも本当によく似ている」

「俺は母に姉妹がいるなんて……知りませんでした」

「……そうなのね。実は夕は大学の途中で家を出てしまって……勘当されたと言った方がいいわね。怒った両親から連絡を取ることも禁じられていたので、その後のことがほとんど分からなくて。唯一信二さんとの間に、子供が生まれたというのだけは知っていたの」

「そうなんですか。すみません。俺……母から何も聞いてなくて」

「しょうがないわ。私たちも話すことを禁じられていたし。それにしても夕は元気なの? そして夕を連れて行った……我が家の家庭教師をしていた信二さんは?」
「家庭教師をしていた? 実の父は亡くなりました。俺が小学生の時、交通事故で……」

 お兄さんは悲し気な様子だった。

「えっ……そうなの。それは……夕も苦労したのね。夕は何処にいるの? 今日は一緒ではないの?」

 お兄さんは更に悲しみに沈む表情になっていく。幼い僕でもお兄さんが蒼白な表情を浮かべ、そのまま倒れてしまうのではと心配になる程に。

「……あなたは本当に何も知らないのですね。母さんは俺が13歳の時に……とっくに亡くなっています」
「えっ!まさか!」

 今度はママの顔も蒼白で、僕はもうこの場にいていいものか……僕がお兄さんに声をかけなければ、こんなことにならなかったのにと深く後悔した。

 ママの眼からもポロポロと涙が零れ堕ちて、船のデッキに雨粒のような跡を残した。

「なんてこと……私は……何ということをしてしまったのかしら。夕が……夕がもうこの世にいないのを知らないで、生きてきたなんて」

「そっくりだ。あなたは母に……まさか母にお姉さんがいるなんて、そんなこと考えもしなかった。親戚は誰もいないと思っていたので」

 お兄さんの堪えきれなくなった涙も、ぽたぽたと落ちて行く。

「本当に夕の息子なのね、もう一度顔を見せて」
「……はい」
「似ているわ。夕にも私の息子にも似てる。間違いないわ」
「あっでも……あなたは今どうしてここに? 誰と暮らしているの?」
「……母はその後再婚して、母亡き後はその義理の父親と暮らしています。アメリカには父の仕事で三年前から住んでいます」
「そうなのね、意外だけれども夕は再婚したのね。あの……どんな方と?差支えなければ教えていただける?」
「……父の名は崔加貴史です」
「えっ!あっ……あの崔加さん?」

 ママの顔が急に険しいものになったので、お兄さんは怪訝な顔つきになった。

「あの……まさか義父のことも知っているのですか」
「……知っているもなにも……彼は夕の正式な婚約者だったの。夕が駆け落ちした後、大変だった。本当に……」

 お兄さんの顔も困惑した表情で、曇っていく。

「父が母の婚約者? そんな話、俺は全く知らなかった」
「ええ……崔加さんの家は恥をかいたとご立腹で父の会社を乗っ取ってしまったのよ。崔加さんの家は大きな会社を経営していて、力があった。私たちは……夕の実家は路頭に迷ったわ。だから崔加さんのことは今でも許せない」

 お兄さんはその話を聞いて、唖然としていた。

「義父が母の実家を……」

 そしてすべてを納得したかのような悲し気な笑みを浮かべて母に謝罪した。

「ごめんなさい。俺は何も知らなくて……」
「ごめんなさい。私こそ……何も知らないで育ったあなたに急にこんな話をするなんて、私も動揺していたわ。あなた名前は何と言うの?」
「……洋です」
「そうなのね。洋くんというのね。涼と洋、名前まで似ているわね。私は結婚が遅かったから涼はまだ十歳よ。あなたはいくつなの?」
「もう二十歳です」
「そうなのね……こんなところで会えたなんて不思議な縁。でも我が家は崔加さんの話はタブーなの。あなたと会ったことも言えない状況なのよ。どうか理解して……本当にごめんなさい」
「そんなこと……大丈夫です。もともと俺は独りですから……」

 そう答えるお兄さんの横顔は儚げで、今にも海風に攫われて、この世から消えてしまいそうだった。僕は咄嗟にお兄さんにギュッとしがみついた。

「お兄さん! 僕はっ僕は嬉しいよ! 僕は一人っ子だから、本当のお兄ちゃんみたいだ!」
「涼くん……」

 お兄さんは戸惑うように、僕を引き離した。

「涼くん……君は俺とは違う世界の人間だよ。俺には関わらない方がいい」
「そんな……」
「涼そろそろ着くから、パパの所へ行っていなさい。あのね……洋君、こんなこと私が言うのも何だけれども、あなたに会えてよかったわ。そしてごめんなさい。やっと立ち直ってきているの、涼の父親が私の実家を立て直してくれているの。だからその……」

 お兄さんはふっと微笑んだ。美しい笑顔のはずなのに、すべてを諦めたような、ひどく悲し気な笑顔だった。

「ありがとうございます。ここで一瞬会えただけでも救われた気分です。母に似ていて……その、母に会えたみたいで嬉しかったです。どうか……俺のことは気にせず、俺も今日のことは忘れます」
「洋くん……本当にごめんなさい」

 船が着いたというアナウンスと共に人波が押し寄せ、お兄さんと僕は離れ離れになってしまった。

「お兄さんっ! 僕は……また会いたい! きっとまた会いに行くから! 」

 お兄さんは、やっぱり悲し気な目をしていたけど……コクンと頷いてくれた。

「あぁ……またいつか。縁がどこかであったらね。俺の従弟……」

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