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第3章
※安志編※ 面影 5
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それからの一週間は、再び怒涛のような忙しさだった。セントラルパークで出会った涼という少年のことは、白昼夢だったとさえ思えるほど、日々の研修の課題をこなすのに追われていた。流石に本場の研修は厳しいな。ホテルと研修場を往復するだけで精一杯だ。
でもやっと明日は一週間ぶりに休みをもらえたので、なんとなくこのままホテルに帰って独り寝をするのが寂しくなり、何処かで一杯飲んで帰ろうかと思い立った。もう夜の九時過ぎだ。治安の問題があるから、ホテルの近くの大通りにある店にしよう。そう思いながら歩いているとストリートの路地から罵声と抵抗する声が聞こえてきた。怪訝に思い耳を澄ますと、ドスの効いた男の声と若い男の声が交互に入り混じっている。
「Don't fuck with me!」(ふざけんな!)
「I'll remember this!」(覚えていろよ!)
ガツガツと路地から出て来た体格の良い男にじろりと睨まれたので、そっと視線を逸らした。男の唇の端からは血が滲んでいた。大方……キスでも無理やり迫って唇を噛まれたのか、外国だからゲイも珍しくないもんだ。それにしてもどうやら大柄の男は去り、少年が取り残されたようだ。しかし、まだ若そうなのに、こんな怖そうな男をやりこめるなんて、どんな奴なのかと興味が沸いて、路地の奥を覗いてみる。
「うっ……くそっ」
意外なことに、路地の壁にもたれながら小さく悔しく呟く声は、日本語だった。俺はその声が悔しさに満ちたものだったのと日本語だったこともあり、周囲を見回してあの男が去ったのを確かめてから、思い切って声をかけてみた。
「おい……君、大丈夫か」
「誰?」
若い男は驚いたように肩を震わせた。暗くて顔が見えないのでもう一歩近づいて、若い男の顔を確かめようと近づいた。
「あっ!安志さん!」
俺が気づくよりも先に、向こうから驚いた声が返ってきた。
「えっ?あっ君は涼くんか」
コクリと頷いた後、ひどく気まずそうな表情をして俯いてしまった。
「恥ずかしい所見られちゃったな」
「そんなこと気にするな。大丈夫だったか」
「僕……こう見えても結構強いので」
「そうみたいだが、立てるか」
「ええ」
土埃を叩き明るいところに連れて行ってやるとずいぶんと抵抗したようで、着ていたシャツのボタンがいくつか飛んで、唇には噛み傷のようなものが出来ていた。傷ついた躰は、男に無理矢理犯されそうになったのが如実に分かるものだった。
俺はこういうシチュエーションを知っている。
……あの日救えなかった洋のことを思い出してしまう。
「……」
「驚かないで。アメリカにいればこんなことよくあって。ほら僕って、どちらかというと女顔だから。頻繁に……こういうことあるので慣れていて、でも、すいません。こんな所見られるなんて……はぁ恰好悪いな」
慣れている? 慣れるはずないだろう。こんなこと……
洋もいつも悩んでいた。こういう目に遭うことが本当に多くて、気の毒なほど苦しんでいた。そんな悔しい思いがふつふつと沸きあがり、つい口に出してしまった。
「慣れるはずなんて、ないだろう!何度あってもその度に嫌な気持ちになるはずだ!」
思わず語調を強めて言ってしまった言葉に、涼は意外そうな表情を浮かべた。
「……そんな風に言われたの初めてだ」
「当たり前のことだ」
「そうなの? 」
何故か涼はそのまま口をつくんでしまった。
「しかしその恰好のままでは、家に帰れないだろう? 俺のホテルこの近くなんだ。シャツを貸してやるよ」
そう言った後、しまったと思った。これって聞きようによっては誘い文句だよな。軽い奴って思われるよな。ナンパはするわ。ホテルに誘うわ。あー俺ってこんな軽い奴じゃないのに、なぜだか洋の面影が色濃い涼のことを放っておけない。
涼は血がにじむ口元を手の甲で拭い、クスっと笑った。
「やっぱり安志さんっていい人です。じゃあお言葉に甘えて、お邪魔していいですか?このまま帰ると親が驚くから」
「おっおう」
ホテルまでの暗い道すがら、涼と少し話をした。秋からは日本の大学に通うということ。今日は図書館で本に夢中になり帰りが遅くなってしまい、帰宅途中、急に路地奥へ引きずり込まれ襲われたということ。だが護身術を幼少の頃から習っているので、今日もなんとか相手を撃退できたとのこと。
「まぁ……シャツのボタンとキスは奪われちゃったけど」
また無理してるんじゃないかなと心配になるほど明るく言うので、俺は洋のこともあるので、つい心配になってしまう。
「しかし護身術を習うなんて珍しいな。君みたいな若い子が」
「あっそれは、昔、僕には必要だってこと教えてくれた人がいて……すごく役に立っています」
「へぇ……」
さっきあんな目にあったというのにスッと気持ちを切り替えて、ずいぶんと前向きな奴なんだなと、しみじみを感じた。そしてその爽やかな前向きな気持ちが、ずっと同じ場所で足踏みしていた俺には眩しく心地良く感じた。
「いずれにせよ辛かったな」
「安志さんって本当に実直で優しい……なんか凄く……いい感じです」
涼はほっとしたような静かな声でそう呟いた。
並んで歩く涼の美しい横顔を盗み見すると、その柔らかそうな頬がうっすらと赤らんでいた。
でもやっと明日は一週間ぶりに休みをもらえたので、なんとなくこのままホテルに帰って独り寝をするのが寂しくなり、何処かで一杯飲んで帰ろうかと思い立った。もう夜の九時過ぎだ。治安の問題があるから、ホテルの近くの大通りにある店にしよう。そう思いながら歩いているとストリートの路地から罵声と抵抗する声が聞こえてきた。怪訝に思い耳を澄ますと、ドスの効いた男の声と若い男の声が交互に入り混じっている。
「Don't fuck with me!」(ふざけんな!)
「I'll remember this!」(覚えていろよ!)
ガツガツと路地から出て来た体格の良い男にじろりと睨まれたので、そっと視線を逸らした。男の唇の端からは血が滲んでいた。大方……キスでも無理やり迫って唇を噛まれたのか、外国だからゲイも珍しくないもんだ。それにしてもどうやら大柄の男は去り、少年が取り残されたようだ。しかし、まだ若そうなのに、こんな怖そうな男をやりこめるなんて、どんな奴なのかと興味が沸いて、路地の奥を覗いてみる。
「うっ……くそっ」
意外なことに、路地の壁にもたれながら小さく悔しく呟く声は、日本語だった。俺はその声が悔しさに満ちたものだったのと日本語だったこともあり、周囲を見回してあの男が去ったのを確かめてから、思い切って声をかけてみた。
「おい……君、大丈夫か」
「誰?」
若い男は驚いたように肩を震わせた。暗くて顔が見えないのでもう一歩近づいて、若い男の顔を確かめようと近づいた。
「あっ!安志さん!」
俺が気づくよりも先に、向こうから驚いた声が返ってきた。
「えっ?あっ君は涼くんか」
コクリと頷いた後、ひどく気まずそうな表情をして俯いてしまった。
「恥ずかしい所見られちゃったな」
「そんなこと気にするな。大丈夫だったか」
「僕……こう見えても結構強いので」
「そうみたいだが、立てるか」
「ええ」
土埃を叩き明るいところに連れて行ってやるとずいぶんと抵抗したようで、着ていたシャツのボタンがいくつか飛んで、唇には噛み傷のようなものが出来ていた。傷ついた躰は、男に無理矢理犯されそうになったのが如実に分かるものだった。
俺はこういうシチュエーションを知っている。
……あの日救えなかった洋のことを思い出してしまう。
「……」
「驚かないで。アメリカにいればこんなことよくあって。ほら僕って、どちらかというと女顔だから。頻繁に……こういうことあるので慣れていて、でも、すいません。こんな所見られるなんて……はぁ恰好悪いな」
慣れている? 慣れるはずないだろう。こんなこと……
洋もいつも悩んでいた。こういう目に遭うことが本当に多くて、気の毒なほど苦しんでいた。そんな悔しい思いがふつふつと沸きあがり、つい口に出してしまった。
「慣れるはずなんて、ないだろう!何度あってもその度に嫌な気持ちになるはずだ!」
思わず語調を強めて言ってしまった言葉に、涼は意外そうな表情を浮かべた。
「……そんな風に言われたの初めてだ」
「当たり前のことだ」
「そうなの? 」
何故か涼はそのまま口をつくんでしまった。
「しかしその恰好のままでは、家に帰れないだろう? 俺のホテルこの近くなんだ。シャツを貸してやるよ」
そう言った後、しまったと思った。これって聞きようによっては誘い文句だよな。軽い奴って思われるよな。ナンパはするわ。ホテルに誘うわ。あー俺ってこんな軽い奴じゃないのに、なぜだか洋の面影が色濃い涼のことを放っておけない。
涼は血がにじむ口元を手の甲で拭い、クスっと笑った。
「やっぱり安志さんっていい人です。じゃあお言葉に甘えて、お邪魔していいですか?このまま帰ると親が驚くから」
「おっおう」
ホテルまでの暗い道すがら、涼と少し話をした。秋からは日本の大学に通うということ。今日は図書館で本に夢中になり帰りが遅くなってしまい、帰宅途中、急に路地奥へ引きずり込まれ襲われたということ。だが護身術を幼少の頃から習っているので、今日もなんとか相手を撃退できたとのこと。
「まぁ……シャツのボタンとキスは奪われちゃったけど」
また無理してるんじゃないかなと心配になるほど明るく言うので、俺は洋のこともあるので、つい心配になってしまう。
「しかし護身術を習うなんて珍しいな。君みたいな若い子が」
「あっそれは、昔、僕には必要だってこと教えてくれた人がいて……すごく役に立っています」
「へぇ……」
さっきあんな目にあったというのにスッと気持ちを切り替えて、ずいぶんと前向きな奴なんだなと、しみじみを感じた。そしてその爽やかな前向きな気持ちが、ずっと同じ場所で足踏みしていた俺には眩しく心地良く感じた。
「いずれにせよ辛かったな」
「安志さんって本当に実直で優しい……なんか凄く……いい感じです」
涼はほっとしたような静かな声でそう呟いた。
並んで歩く涼の美しい横顔を盗み見すると、その柔らかそうな頬がうっすらと赤らんでいた。
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