重なる月

志生帆 海

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第3章

今、会いたい 3

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  扉が開くと、丈が優し気な眼差しを俺に向け立っていた。あの日から、丈は何も変わっていない。俺をいつも優しく抱きしめてくれる丈のままだった。
 
 なのに……俺はこんなに薄汚れて、こんなにも穢れてしまった。

  同意でなかった。
  無理やり奪われた。
  俺に非はない。

 そう伝え訴えれば、聞こえがいいのかもしれない。だが俺は気が付いてしまった。義父さんに丈のことを脅されたにせよ、もっと本気で抗えたのに……出来なかったのは、すぐに抵抗を諦めてしまったのが何故か。

 心の奥底までこじ開けて考えた時、自分の浅ましさが見え滑稽にさえ思えた。母が亡き後、十年近く何不自由なく暮らさせてもらったことへの負い目が、どこかで俺の躰を蝕んでいたのかもしれない。

  俺も悪いんだ。義父さんにいいように抱かれてしまったのは、俺のせいでもある。

 だから俺は心まで汚れている。安志が言ってくれたような綺麗な心でもないから、もう本当に価値がない。そのことに気が付いたとき、丈とは別れよう……やっとそう決心できた。

 最後に……せめて一目でいい、ふたりきりで会って、別れを俺の口から言わせて欲しかった。

 そのために俺はここに来た。
 少しだけ触れてもいいか。
 最後に一度だけ抱きしめていいか。
 そして一度だけ抱きしめられたい。

 そんな気持ちを込めて、丈に俺の方から抱き付き、別れの言葉を口にした。

 「……さよなら……」

 そう丈の耳元で囁いた。その言葉を口にした途端、躰がふっと軽くなった。
 
 これでいい。
 これでいいんだ。
 丈は巻き込みたくない。
 丈にはいつまでも温かい人間でいて欲しい。
 誰かを憎んで欲しくない。
 俺と別れて普通に女性を愛して、普通の人生を歩んで欲しい。

 本当だよ。俺はこんな優しさは丈しか知らなかったから、いつまでも丈にしがみついていたかったのかもしれない。すでに心も躰も汚れきった俺は、今……丈を手放す。

 俺はもう……どうなってもいい。どこまでも父さんと堕ちて行くのも運命なのかもしれない。

 過去の呪縛──

 結局は、いつの世も繰り返される呪縛の渦に巻き込まれ、流されるだけの人生だったのかもしれない。所詮この俺も同じだ。この俺が過去のすべてを解決できるなんて驕り高ぶっていたのかもしれない。これは報いなのか。過去の君と同じ運命を辿ることを許して欲しい。

 ****

 「待て」

 全てを諦めたようなそんなうつろな目で、私から離れて去って行こうとする、洋の細い肩を後ろからきつく抱きしめた。

 「洋っ行くな」
 「うっ……丈、お願いだ! もう行かせてくれ」
 「駄目だ!」

 我慢出来ない!洋を強引に引き寄せ、躰を回転させ、その唇を強引に奪う。

 「駄目だ!やめろ!俺はっ」

 必死に顔を背け抗う洋を壁に押さえつけ、顎を掬い、唇を強引に重ねる。

 「あっ」

 その赤く小さな舌を絡めとり、舌を挿しいれて洋の小さな口腔を撫でまわす。どこへも行かせないという気持ちを込め、激しく息が出来ないほど求めていく。

 「はっ……んっ……駄目だ……」

 止まらない!
 どこにも行かせたくない!
 ずっとここにいろ!
 私の傍に!

 そんな熱い気持ちが私を支配する。それでも抗う洋の手首を壁に押さえつけ、息継ぎの暇もないほど洋の唇を貪り求めた。そして洋をそのまま抱いてしまいたい衝動に駆られた!言葉で通じないのなら身体で引き留めてみせる。そんな気持ちが満ちてくる。唇を合わせたまま、洋をリビングまで靴のまま強引に連れ、床に押し倒し、胸元のボタンに触れようとすると、途端に目を見開いて、洋が更に激しく抵抗した。こちらが驚くほどの今までに出したことがない程の大きな声をあげた。

 「丈!やめろっ!俺の躰を見るなーっ!」
 「何故?」

  続いて泣きそうなか細い声をあげた。

「俺にはもうそんな資格がないんだ!お願いだから、無理にしないでくれ……無理は……もう……嫌なんだ」

 躰を震わせ、唇をきゅっと結び必死に耐えているその様子が痛々しい。何処までも抵抗し、己を恥じらう洋。こんなに傷ついた洋に、更に私が力づくで何かをするなんてこと出来ないじゃないか。

 洋は狡い。

 それを見越してそんな頼みをしてくるなんて……結局、私は洋を押さえつけていた手を緩めるしかなかった。

 どうやったら洋のこの状況を打破できる? 力づくでは解決にならない。そもそも親父さんとは、どうなっているのか。私に出来ることはないのか。全てがうまく回転しなくて、洋と私の歯車がギシギシと嫌な音を立て始めている。私が手を放すと洋は飛び起き、襟元を正し去ろうとした。

 「洋……君はそれでいいのか。君の願いを叶えてやりたい! お願いだ! 私に出来ることはないのか! 」

 洋を繋ぎ止めておきたくて必死に懇願する。
 本当に行ってしまうのか……この腕にをすり抜けて。

 涙を浮かべた儚げな無理やり作ったぎこちない笑顔で、洋は答える。

 「……丈、今までありがとう。俺のことを忘れて欲しい……それが願いだ」

 そのまま踵を返し、洋は去って行った。
 テラスハウスから、振り向きもせずに。
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