重なる月

志生帆 海

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第3章

明けない夜はない 3

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「あっ!」

 親しみのある声が背後から聞こえ、階段から落ちそうになっている俺の腕を力強く引き留めてくれた。

「……誰?」

****

 バランスを崩した俺を支えてくれたのは、警備員の制服を着た幼馴染の安志だった。

「あっ……安志?何でここに?」
「洋っお前ってやつは!こんな場所で、ふらふらして危なっかしい。落ちたらどうするんだ?」
「……ごめん……熱あるみたいで動けなかった」
「本当だ。お前すごい熱じゃないか、病院行くか。家どこだ?送ってやる」

 ここで幼馴染の安志とまた会うなんて、なんという偶然だ。このまま安志に頼んで丈のいるテラスハウスへ連れて行ってもらえたら、どんなに良いだろう。そんなことを密かに抱きつつ、信頼できる幼馴染にまた会えてほっとしたのか、目の前の視界がどんどん揺らぎ意識が遠のいていった。

 安志の心配そうな声が遠くに聞こえた。

「おいっ!しっかりしろ!困ったな……」

****

 暖かい……ここはお日様のようないい匂いがする。明るい部屋……清潔なベッドに寝かされていた。

 一体何処だ?見覚えがある。そうだ、ここは昔よく遊びにきた部屋だ。目を開けてパチパチとあたりを見回していると、声を掛けられた。

「あら、洋くん起きたの?」

 覗き込んでいるのは幼馴染の安志のお母さんだった。小さい頃からよく俺はこの家に遊びに来ていたので、懐かしさが込み上げてくる。

「安志のおばさん?俺……なんでここに?」
「安志がね、熱がある洋くんをタクシーで連れて来たのよ」
「あっ……」

 確か会社帰りに気分が悪くなり、偶然通りかかった安志に助けてもらったことを思い出した。

「安志は?」
「一旦会社に戻ったのよ。あの子今は独り暮らしをしているから、この部屋は空いてるのよ。落ち着くまで此処にいていいからね。夜には安志も様子を見に来るって言っていたし」
「……すみません……おばさん」

 優しいおばさんの言葉に、ふと忘れていた母の温もりを思い出す。

「いいえ、あなたのことは赤ちゃんの頃から知ってるし、亡くなったあなたのお母さんにも強く頼まれているので安心して」
「ありがとうございます。本当に」
「それよりさっきから携帯が沢山鳴っているわよ。ねぇ洋くんいつアメリカから戻ってきたの? 急に引っ越してしまったから見送る暇もなくて……あなた今、誰と暮らしてるの?まだ、あの人と一緒なの?」
「あの人って……父さんのこと?」
「ええ……そうよ、その……大丈夫?あの人と暮らしていても?」
「……父さんは今まだアメリカにいるから、一人で暮らしているので、大丈夫……です」
「そうなの?」

 また携帯の呼び出し音が鳴り響く。出なくても分かる。俺が定刻に部屋に戻らなかったから、父さんが何度もかけていること位。

「ねぇ洋くん、流石に携帯に出た方がいいんじゃないしら」
「はい……」

 おばさんから携帯を渡されてしまったので、仕方なく応答した。

「……もしもし父さん」
「洋っお前なんで時刻通り家に戻らない! 今どこにいる?」

 責めるようなきつい口調だ。かなりイライラ怒っているのが受話器越しにも伝わってくる。

「ごめんなさい。俺……熱が出て具合が悪くなってしまって……幼馴染の安志に道で倒れているところ偶然助けてもらって、今安志の家にいます」
「あの幼馴染の安志くんか。嘘じゃないだろうな?」
「本当です。おばさんも傍にいます」
「本当か。なら、かわってくれ」
「……おばさん、父さんにかわってもらってもいいですか」

 おばさんは少し深刻そうな表情のまま、無言で頷いて受話器に出てくれた。

「もしもし崔加さん、お久しぶりです。ええ洋くんは確かに熱が高いから、今晩は我が家で預かりますからね。熱が下がって落ち着いたら家に戻らせますわ」

 父も納得したのか、それ以上は責めてこなかった。

「洋くんこれで安心ね、さぁ今日はゆっくり休みなさい」
「おばさん、ごめんなさい。本当にありがとう……ございます」

 何日ぶりだろう。ぐっすり眠れそうな気がする。おばさんの優しさにほっとし安堵したせいか涙が込み上げてくる。恥ずかしくなって目元まで掛布団を引き上げた。そんな俺を、おばさんは愛おしむような眼で見つめ、おでこに手をあててくれた。

「あなたは凄く疲れているのね。熱が高いけれども、お粥なら食べられそう?持ってくるわね」
「……はい」

 トントン──
 おばさんが階段を降りて行く足音を聴きながら、せき止めていた涙が溢れ出てきた。

「うっ……うっ……」

 怖かった。この1週間は悪夢のような日々だった。部屋の何処かに仕掛けられたカメラによって監視される日々。気が狂いそうだった。誰にも助けを求められない苦しさにもがいていた。

 このほっとする時間は、束の間のひと時かもしれない。それでも俺にとっては貴重な時間だった。

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