重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
87 / 1,657
第3章

星降る宿 6

しおりを挟む
「洋、蕎麦にするか」
「あぁいいね」

 温泉街で蕎麦屋に入った途端、キラキラと目を輝かすのだから可愛いものだ。洋は自分で作るのは全く駄目だが、食べるのは大好きだった。

「丈は何にする?」
「洋の好きなものを食べるよ」

 しかし案の定、優柔不断でなかなか決められない。

「まだ決まらないのか」
「うん……」

 洋が遠い目をして彼方を見つめる。

「どうした?」
「んっ遠い過去の俺はさ、きっと一人で何もかも決めなくてはいけなかったのだろうな。頼る人もいなくて、そんな時、前世の丈と出逢ったのかもしれないなと思って」
「どうして急にそんなこと思う?」
「なんとなくふっとそういう気持ちが過ったんだ」
「そうなのか」
「あの過去の話だが……一体どこの誰だったのか細かいことは分からないが、俺はこれ以上……知りたくない。でも昔の俺が望んでいたことだけは、こういうふとした瞬間に思い出すから、不思議だ」
「……そうか。では私が決めるよ。天ぷら蕎麦定食でいいか」
「あぁそうしよう」

 運ばれてきた定食は、揚げたての天ぷらのいい香りが漂う。口に含めばサクサクの食感。エビも野菜もどれも美味だ。蕎麦ものど越しが良く美味しい。

「美味しいね」

 にっこりと微笑む洋の様子に、こういう何でもないひと時が幸せで貴重だと感じる。

 だが遠い昔の洋が避けたがる過去が気になってしまう。どうして私は洋と別れることになったのか。遠い昔私は洋を置いて一人去ったのか。洋と別れたのか。それとも、まさか……。

 もしも今後私の人生でそのようなことを繰り返すことになったらと思うと不安になる。それが避けられるのなら、避ける方法が知りたい。だからこそ洋が隠す思い出せない昔の過去を、明らかにしたいという気持ちが日に日に強くなっている。

 私は洋と二度と悲しい別れをしたくないから。

「丈、何を考えている?暗い表情だな」
「……何でもないよ」
「天ぷら蕎麦食べないの?冷めるぞ」
「食べるさ」
「ふふっ、会社も休みで俺は丈と旅行に来られて幸せだよ。ありがとう」

 本当にのんびりとしたひと時だ。最近は洋の顔も以前と比べてずっと明るく健康的になってきていて、ほっとする。私は医者だから大切な人の健康状態や精神状態がつい気になってしまうのは悪い癖だ。

「なぁ丈はどうして医者になった?」

 突然洋が聞いてくる。

「医者か……私は幼い頃よく父と海外へ旅行したんだよ。二人で」
「へぇ可愛がってもらったんだね」
「そうだな。他に兄が二人もいるのに末っ子だったからか、当時商社マンだった父に連れられてよく遠い国へ旅したものだ」
「いいね。そういうの」
「ある時、船の中で四十度近い高熱を出してしまって、父もオロオロして大変だった」
「えっ!それで船の中で、医者はいたの?」
「あぁ、偶然乗り合わせていた赤い髪の女性だった。名乗り出て診てくれて、本当に救われた。あの赤い髪の女性はまだ若いのに自分の判断を信じ、的確に処置してくれたんだ。おかげで助かったよ。彼女の持っていた瓶に入った薬がよく効いて、父も私も感謝の気持ちでいっぱいになった」
「ふーん、そう……女性か」

 洋が途端に不機嫌になる。

「洋、どうした?」
「あっなんでもない」
「くくっ、もしかして妬いたのか?」
「そっそんなことしない。相手は丈の命の恩人の医師だろ!」

 いつもの洋らしく顔を赤らめて横を向く姿が見られて、思わず笑ってしまう。

「洋はいつも本当に可愛いな」
「またっすぐに可愛い可愛いって連呼するな!それ嫌だっ!」

しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

「恋みたい」

悠里
BL
親友の二人が、相手の事が好きすぎるまま、父の転勤で離れて。 離れても親友のまま、連絡をとりあって、一年。 恋みたい、と気付くのは……? 桜の雰囲気とともにお楽しみ頂けたら🌸

僕は君になりたかった

15
BL
僕はあの人が好きな君に、なりたかった。 一応完結済み。 根暗な子がもだもだしてるだけです。

処理中です...