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前編

15 共に生きたい

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「ユリウス様……あ、呼び捨てにするんだった。ユリウス……ユリウス……ちゃんとベッドで横になってください」

 ぼんやりとしたユリウスの頭の中に、声が聞こえてきた。

 それがエルヴィのものだと認識した瞬間、ガバリと勢いよく起き上がった。どうやらユリウスは、エルヴィの手を握ったままベッド横に座った状態で寝てしまっていたらしい。

「エルヴィ!」
「心配かけて申し訳ありません。森から運んでくださったのですね」
「良かった。目を覚まさなかったらどうしようかと……そればかり考えていました」

 ユリウスはエルヴィの頬を両手で包み込み、彼女が生きていることを確かめた。

「大丈夫ですよ。まだ時間はありますから」
「……」

 エルヴィはふわりと笑った。しかし二日後には……彼女は永遠に目を覚まさなくなるのだと思うとユリウスはギュッと胸が苦しくなった。しかし、こんな情けない顔はエルヴィに見せたくない。

 一番辛いのはエルヴィのはずなのだから。

「ナターシャに逢わせてくれてありがとうございます。もやもやが取れて、とてもスッキリした気分です」
「へへ、わたしが魔法使いで良かったです。少しだけユリウスに恩返しができました」
「全部エルヴィのおかげです。恩返しなんて……私はあなたに何もしていません」
「何言ってるんですか! ユリウスにはたくさん我儘を聞いていただいて……感謝しかありませんよ」

 エルヴィはユリウスをギュッと抱き締めた。

「このまま一緒に横になりましょう」
「せっかくあなたが起きたのに、また寝るなんて勿体無いです」
「そうですか? ユリウスと寝るなんて、わたしにとっては贅沢な時間ですけどね」
「……それもそうですね。その代わり明日はずっと起きていてください。私の我儘を聞いていただけますか?」

 別れを惜しむユリウスは、エルヴィにそう頼んだ。

「ええ、そうしましょう」
「では、今はたくさん寝ておかないといけませんね」
「はい」
「おやすみなさい」

 ユリウスは、エルヴィの唇におやすみのキスを落とし……二人は抱きしめ合って眠りについた。








「エルヴィ、おはようございます」
「ふふ。おはようと言っても、まだ深夜ですけどね」

 二人はそのまま寝たり起きたりを繰り返しながら、ベッドでゆっくりと過ごしていた。二人はユリウスの部屋から一歩も出て来ず、お行儀が悪いことはわかっていたが中で食事も済ました。

 そして、ついにエルヴィの最後の日。

 日付が変わった瞬間に、二人は完全に目を覚ました。

「なにかしたいことはありますか?」
「いいえ、もう全部しました。だから、普通の一日にしたいです。できれば最後まで笑顔で過ごしたいですね」
「わかりました」

 エルヴィとユリウスは夜明けまで他愛のない話をして笑い合い、普段通り一緒に朝食を食べ、美しく整えられた庭園の散歩をし、昼食は庭でピクニックをして楽しんだ。

「ナターシャの墓参りに付き合っていただけませんか?」
「よろしいのですか? わたしも手を合わせたいです」
「ええ、きっと彼女も喜びます」

 いつもユリウスは一人で墓参りをしていた。しかし、今日はどうしてもエルヴィにも付いてきて欲しかった。

 ナターシャの墓に花束を供え、二人は祈りを捧げた。もう天国で幸せに暮らしているのだと知ってはいても、そう祈らずにはいられなかった。

「エルヴィ」

 ユリウスはいきなりエルヴィの前に片膝をついた。

「私はエルヴィを心から愛しています」
「……え?」
「どうかこれを受け取ってくれませんか?」

 パカリと開かれた小さな箱の中には、シンプルな指輪が二つ入っていた。

 ユリウスはエルヴィが意識を失っている間に、この指輪を用意した。エルヴィの傍を離れたくなかったので、貴金属店の店主に無理を言って屋敷に呼び寄せてみずから選びサイズの調整と刻印をしてもらった。

 ユリウスは自分の気持ちに嘘がつけなくなっていた。

「これ……は?」
「どうか私と結婚してください」
「けっ……こん」
「私の人生最後の妻になっていただけませんか?」

 想像もしていなかった告白に、エルヴィは驚いて口元を手で押さえた。

「でも……わたしは……明日には……」
「わかっています」
「こんな……こんな約束であなたを縛りたくありません」
「私はあなたを愛してる。それは、逢えなくなっても変わることはありません」
「でも! あなたには幸せになって欲しいのです」

 エルヴィは求婚されたことがとても嬉しくて、とても辛かった。

「幸せは……人にはわからないものなのでしょう?」

 ユリウスは美しく曇りない目で、真っ直ぐにエルヴィを見つめた。

「私の幸せはあなたと共にあることです。例え、その身体がなくなっても……その気持ちは変わりません」
「……ユリウス」
「エルヴィ、どうか受け取ってくれませんか」

 箱を持っているユリウス手は、小さく震えていた。

「わたしなんかでいいのですか?」

 エルヴィの目には涙が溜まっていた。

「エルヴィがいいのです。エルヴィじゃなきゃだめです。私に人を愛する喜びを教えてくれてありがとうございます」

 ユリウスが微笑むと、エルヴィも嬉しそうに目を細め一筋の涙を流した。

「はい。お受けいたします」
「ありがとう。永遠の愛をと刻印がしてあります」
「嬉しいです」

 ユリウスはエルヴィの左手を取り、薬指に指輪をはめた。

「エルヴィもはめてくれますか?」

 ユリウスは立ち上がり、エルヴィに左手を差し出した。その左手の薬指には、すでにナターシャとの結婚指輪がはめられている。

 ナターシャが亡くなった後も、ユリウスは一度もその指輪を外したことは無かったからだ。

 エルヴィは自分が新しい指輪をはめていいものか戸惑った。

「……二つ重ねて欲しいのです。こんな我儘は許されないかもしれませんが、二人とも私の大事な妻ですから」

 ユリウスの言葉を聞いて、エルヴィは指輪を手に取った。

「どうして許されないのですか? わたしはナターシャ様と結婚していたユリウスが好きです。だから、わたしもナターシャ様のことを大切に思っています」
「……ありがとう」

 エルヴィは少し照れながら、ユリウスの左手の薬指に指輪をそっとはめた。

「エルヴィ、愛しています」

 ユリウスに抱き締められ、エルヴィは真っ赤になった。

「ユリウス、ここでは……その。ナターシャ様が見ていらっしゃるかもしれませんから」
「いいのです。むしろ、見届けてもらってるんですから」
「……ユリウス、わたしもあなたを愛しています」
「嬉しいです。ありがとうございます」

 しかし甘い雰囲気だったのは一瞬で、エルヴィが必死にナターシャのお墓に向かって「すみません、すみません」と地面に頭をつけて謝っているのをユリウスは苦笑いをして見ていた。

「ナターシャは怒りませんよ。むしろエルヴィと結婚するのを望んでくれていました」
「でも……」
「ナターシャはエルヴィのことが好きだと言っていましから」

 その言葉を聞いて、エルヴィはやっと頭をあげた。

「ナターシャ様、ありがとうございます」
「ナターシャ、ありがとう。また来る」

 二人は手を繋いで屋敷に戻った。

 使用人たちはお互いの薬指にはまっている指輪にすぐに気が付き、喜びとこれから来る別れの哀しみの両方で胸が締め付けられた。

「お帰りなさいませ。旦那様……奥様」

 玄関で出迎えたジュードは、エルヴィのことを『奥様』と呼び恭しく頭を下げた。

「お、お、奥様? わたしのことですか」

 頬を染めて驚いているエルヴィを見て、ユリウスは目を細めた。ジュードはニッコリと笑って、そのまま話を続けた。

「奥様、今夜はパーティですから部屋に戻ってお着替えを」
「えっ……え、は、はい」

 戸惑っているエルヴィを「さあ、さあ」と侍女たちが背中を押して部屋に連れて行った。

「旦那様……おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
「……」
「お前の心配はわかっているよ。だが、大丈夫だ。この一カ月で私は一生分の愛を彼女にもらったのだから」

 覚悟を決めたユリウスの凛々しい横顔を見つめ、ジュードはふうと小さく息を吐いた。

「旦那様も着替えてきてください。シェフたちが張り切って用意してますよ」
「それは楽しみだな」

 最後の晩御飯は、ラハティ公爵家の全員が一緒に食べることに決めていた。エルヴィがそれを望んだからだ。

「できれば最後まで明るく見送って欲しいそうだ」
「……皆に言い聞かせておりますが、こればかりはわかりません。この屋敷の全員が奥様のことを好きですから」

 たった一カ月しかいなかったのに、エルヴィは使用人たちからとても好かれていた。

 最初は『英雄だが変わった魔法使い』と思われていたようだが、エルヴィの人柄を知ればすぐに皆は好きになったらしい。

 素直で純粋な反応。些細なことでもきちんとお礼を言い、あれだけすごい魔法使いなのに自慢したり偉そうな態度をとることはしない。出された料理は美味しそうに食べ、自分が知っている知識は知らない者に優しく教える。

「この屋敷は明るくなった」
「ええ、奥様のおかげです」
「そうだな」

 ラハティ公爵家の使用人たちは皆優秀だ。いつでもきっちりと仕事をこなしてくれるが、どこか淡々としている雰囲気があった。

 それは主人であるユリウスが、そういう人間だったからだ。冷静でクールで抜かりがない。

「私はエルヴィに逢って、自分は世間で言われるような『完璧』な人間ではないと気が付いたよ。きっとそう見えるように必死に演じていたんだな」
「……旦那様は昔からご立派です。でも、今の柔らかい旦那様の方が私は好ましく思います」

 ジュードはそう伝えて、頭を下げた。

「奇遇だな。私も今の自分の方が好きだ。エルヴィが気付かせてくれた」

 フッと微笑んだユリウスは、今までで一番幸せそうな顔をしていた。



 



 





 

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