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9王女の騎士【ライナス(カール)視点】

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 俺はキャロライン王女の専属騎士であり、侯爵家の次男ライナス・ヴェセリー。十七歳という若さでありながら、その剣の実力と幼馴染だったという理由で抜擢された。

「やっとここまでこれた」

 あまりの嬉しさに、心の中でガッツポーズをする。俺はずっとずっと……王女のことが好きだったから。

 騎士の名家の侯爵家に生まれ、小さい頃から常に完璧を求められた。優秀で『強くて当たり前』だから褒められることもない。だが、失敗にしたり弱かったら周囲からガッカリされる。

 そして十歳の俺は周囲からのプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。剣術の試合で一歳年上の子に負けて、悔しくて城の庭に隠れてグスグスと泣いていた。

 すると窓から下を覗きこんで手を振っている、美しい天使がいた。こんな見目の良い女の子に泣いているところを見られたことが恥ずかしくて、慌てて目を擦った。

 その後もあの天使の顔が頭から離れなかった。するとある日剣の訓練が終わった後、トタトタと彼女が走ってきた。

「あ!よかった、あなたにとってもお会いしたかったの」
「君は……この前の」

 逢いたかったが、逢いたくなかった。彼女はそんな言葉にできない俺の気持ちを無視して、ガバッと無邪気に胸に抱きついてきた。

「私あなたがずーっと頑張ってたの知ってるわ」
「え?」
「毎日、毎日練習してるもん。偉いね」

 ニッコリと笑って褒めてくれた。親も先生も師匠も……誰も褒めてくれなかったのに。彼女が自分を見ていてくれたことと、その言葉がとても嬉しくてまた涙が溢れた。

「泣かないで」
「まだ、俺は弱くて」
「そうなの?でもこんなに努力してるんだもの。きっと強くなるわ。そうだ!強くなったら私だけの騎士になってよ。お父様がいずれ私には騎士ナイトが必要だって言ってたもの」
「君だけの騎士ナイト?」

 この子は一体誰なのだろうか。明らかに良いところの御令嬢だが、専属の騎士を持てるほど裕福な家なのだろうか。でも、なりたいな。そんなこと言ったら『王家に仕えろ』と父上は怒るかな。でもこの子を護るためなら……いくらでも辛い訓練を頑張れそうだなと思っていた。

「えへへ、約束ね」
「うん」

 二人で顔を見合わせながら、秘密の約束をした。

「俺はライナス。ねえ、君の名前を教えてくれない?」

 俺は彼女の手にそっと触れ、ドキドキしながらそう質問した。

「私?私はね……」

 ニコニコとしている彼女が口を開こうとした時、バタバタと焦った沢山の侍女と騎士達が走ってきた。

「キャロライン王女!こんなところにいらっしゃったのですね!探しましたよ」
「やーん、見つかっちゃった」
「勝手に出てはいけませんと申したでしょう!」
「ごめんなさい」

 ポカンとしている俺をよそに、彼女は侍女にぺろっと舌を出して謝っていた。

 キャロライン……王女?王女……つまり国王陛下の娘。本物のお姫様だ。

 すると近衛騎士である父は、俺と王女が一緒にいた姿を見て目を見開いて驚いた。そして「すみません、うちの倅が王女をお引き止めしたようで」と頭を下げていた。俺もぐっと手でおさえられ、無理矢理頭を下げさせられた。

「違うの!私がライナスと話したかったの。だから怒らないであげてね」

 俺を庇った後に、またねと手を振って城に帰って行った。ぽやーっとしている俺を父上は、珍しく俺の頭を撫で優しく抱き上げた。

「父上……俺、彼女の専属騎士になりたい」
「そうか。なら、もっと強くなれ」
「うん」
「お前ならできる」
「俺、もっと頑張るよ」
「でも覚えておいてくれ。王女を好きになってはいけない。彼女はきっと他国に嫁ぐ。決して叶わない恋だから」

 父上のその言葉は胸をナイフで切りつけられたように痛かった。父はさっきの一瞬で俺が恋に落ちたことに気が付いて、先に釘を刺したのだ。

 それから年齢が二つ差であることと俺が侯爵家という高めの身分だったこと、なによりキャロライン王女が望んだことによって俺は彼女の遊び相手に任命された。

 しかしあまりに身分違いの恋。まだ侯爵家の長男なら僅かに可能性はあったかもしれない。だが自分は次男だ。継げる家もないのに、彼女に降嫁なんてしてもらえるわけがない。

 成長するにつれてどんどん美しくなる彼女の存在が苦しくなった。しかしこの恋が叶わなくても彼女の一番傍にいて、彼女を護ろう。そう決めていた。

 見た目ばかりに惑わされがちだが、彼女は内面もとても美しかった。優しくて、思いやりがあって、賢かった。

 専属の騎士として彼女に寄り添い、王女も俺には心を開いてくれていたように思う。護衛だけでなく、一緒に紅茶を飲んだりお菓子を食べたりもした。

 彼女はいつも自分で紅茶を淹れて最後の一滴『ゴールデンドロップ』が大事なのだと教えてくれた。紅茶なんて別に好きじゃなかったはずなのに、彼女が淹れてくれたものはいつでも最高に美味しくて、素晴らしかった。

 中でもオレンジの入ったシャリマティーは、彼女と俺のお気に入りだった。

 そして俺の前では彼女は一人のただの女性としてリラックスしてくれるのが、特別のようで嬉しかった。

 俺はあえて見た目を賛辞するような言葉は一度も言わなかった。だって、彼女は『綺麗』や『美しい』なんて沢山の男達に言われているだろうから。そんなになりたくなかった。

 でもこれはしょうもない男の強がりだ。本当は「キャロラインは美しい。綺麗だ。愛している」とのように告げたかった。

 そしてある日、キャロライン王女の婚約が決まった。覚悟を決めていたはずなのに俺は動揺し、その日の訓練は散々なものだった。

「お前は心を鍛え直せ」

 全て見透かされている父上には、俺の不調の原因はわかっていたのだろう。

「お前はただの臣下だ。よく心得ろ」
「はい……わかっております」

 俺はしばらくそこから動けなかった。唯一俺の気持ちを知っている親友のトーマスに肩を叩いて慰められ……そして、なんとか彼女の護衛に戻った。

 部屋に戻ると、彼女はぼーっと手紙を読みながら座っていた。俺が入って来たことに気が付いて、ふと顔をあげた。

「ライナス、私婚約するんだって」
「……」
「シュバイク王国のジョセフ王子らしいわ。仲良くなれるかしら」

 彼女の美しい瞳が不安気にゆらゆらと揺れている。俺は彼女を抱きしめて『シュバイク王国なんて行くな!今すぐ俺と逃げましょう』と言ってキスをしたかった。

 ――だが、そんなこと言えるはずもない。

 それに冷静にみて、ジョセフ王子は素晴らしい人だった。彼女の六歳年上で、次期王位継承も決定している。頭が良くて誠実で、人望も厚い上に剣の腕もなかなからしい。見た目も爽やかだ。

 しかも噂によると彼は王女に一目惚れし、熱烈な求婚を申し込んだらしい。正妃として一生大事にすると陛下に直接頼まれたそうだ。彼女の相手としてこれ以上ない人選だ。

「おめでとうございます」

 俺はなんとか言葉を振り絞った。震えて変な声になっていないかとても不安だった。無理矢理作った笑顔は……本当に笑えていたのだろうか。

「ありがとう。知らない国に行くのは不安だけど、頑張るわね」

 彼女は少し哀しそうに微笑んだ。その日、俺は長い初恋を無理矢理終わらせようとした。

 哀しくて苦しくて胸が張り裂けそうだった。どうしても一人でいたくなくて、その辛さを忘れるために初めて夜の店に行き女を抱いた。

 すっかり冷え切った心を柔らかい肌の温もりが溶かしてくれた。しかし、それも一瞬で……行為が終わって冷静になるとまた哀しさが募る。そして、王女とその女性への罪悪感と自分の虚しさが一気に押し寄せ吐き気がした。

「人間だもの。人肌が恋しい日があるのは当然よ」

 その手慣れた女性はそう言って煙草の煙を燻らせながら、慰めてくれた。その後も後悔すると分かっていながら何度も色んな女性を抱き、体だけはその行為にすっかり慣れていった。王女が俺に婚約者の話をした日は必ず温もりを求めた。そうじゃないと自分の精神が保てなかったのだ。

 だが俺の唯一の救いは、キャロライン王女はジョセフ王子に恋をしていなかった。彼からの熱烈な愛に照れてはいたが、まだ恋や愛のわからない純粋無垢な少女のままだった。

 彼女がまだ誰の物でもないことが嬉しかった。そして好きでもない女を抱きながら、結局彼女への想いを断ち切れない自分はなんと汚れているのかと思った。

 俺は彼女が嫁いだ先に護衛としてついて行くつもりでいた。もちろん、この恋は一生言うつもりはない。忍ぶ恋こそ本物……という本の一節があったなと頭の中でぼんやりと思い出していた。墓場までこの思いを連れて行く。

 これからも俺は結婚をするつもりはない。王女キャロラインを好きなのに、そんなことをすれば妻を不幸にしてしまうだろう。俺は彼女を命懸けで護り……彼女が産んだ子を護り……そして死ぬのが俺の夢だ。それでいい。

 ――そう思っていたのに。ある日陛下に呼び出された。

「ライナス、呼び出して悪いな」
「いえ。いかがされましたか」
「お前をシュバイク王国に行かせられなくなった」

 え?俺が一緒に行くと言った時にキャロライン王女は『頼もしいわ』と喜んでくださっていたのに。

「ど、どうしてですか?」
「ジョセフ王子が……護衛とはいえ独身の男をキャロラインの傍に置きたくないと拒否された」
「え?」
「彼はキャロラインに惚れている。自分でも狭量で恥ずかしいと言われていたが、見目も良いライナスはついて来て欲しくないそうだ」

 俺は目の前が真っ暗になった。あの男は彼女の夫になるだけではなく、俺の居場所まで奪うのか。

「そんなこと。陛下はご存知でしょう?俺が彼女を幼馴染としてとても大切にしていることを」
「ああ。わかっている」
「俺がいれば何があっても彼女の盾なります!」
「ああ。ライナスのことは信頼している」
「では!どうか……どうか俺を連れて行ってください」

 俺は床につきそうなほど深く陛下に頭を下げた。

「だめだ。これはお前のためでもある」
「へ……い……か」

 陛下は俺の恋心に気が付いていらっしゃったのか。

「長く娘が世話になったな」
「俺の気持ちを伝えようなどと畏れ多いことは決して致しません。信じてください!それに……彼女は俺を何とも思っていません」
「……ならぬ」
「陛下っ!」
「決定だ。ライナスに拒否権はない。話は以上」

 俺は部屋から追い出され、膝から崩れ落ちた。頭がくらくらする。彼女を見ることすらできなくなるのかと思うと絶望を感じた。

 なんとか……彼女の部屋の前に着いた。すると、部屋からジョセフ王子が出てきた。俺は一瞬驚いたが、すぐに何事もなかったかのように表情を戻して道を空けて頭を下げた。

 王子から強い視線を感じる。俺は不敬だとは思ったが、ゆっくりと顔をあげた。すると、彼はニッコリと笑った。その笑顔が恐ろしかった。

「君が護衛騎士でキャロラインの幼馴染ライナス君だね。彼女によく話を聞いているよ。とっても頼りになるって」
「ありがたきお言葉をいただき、痛み入ります」
「彼女は私の婚約者だよ」
「……もちろんでございます」
「彼女が今まで世話になったね。もう二度と会うことはないだろうから、今生の別れをしておいて」

 俺は怒りと哀しみで拳がブルブルと震えた。

「だが、変な気は起こすなよ。私は愛おしいキャロラインに関しては狭量でね。彼女に手を出したら許さないからな」

 王子は憎しみを込めた目でギロリとこっちを睨んで、そう告げた。

「案外小心者ですね。あなたが本当に彼女から愛されているのなら、俺なんかに怯えることなどないでしょう」

 わざと挑発するようにそう言った。たとえ不敬だと罰を受けてもかまわない。すると、王子はフッと笑った。

「その挑発にはのらない。彼女を手に入れてからゆっくり愛を教えるよ。その時に邪魔な虫は払っておかないとね」

 この人は一筋縄でいく簡単な男ではない。

「彼女を一番に愛して大事にする。必ず幸せにするよ。それは誓うから君は心配しないでくれ。じゃあね」

 急に真面目な顔をして俺にそう告げた。この男は本当に彼女を幸せにする気だ。こいつがもっと最低で嫌なやつなら、彼女の手を取って逃げることもできたのに。

 その完璧な王子はさらりとマントを翻して颯爽と去って行った。

 羨ましい。素直に彼女に愛を伝えられる王子あいつが心底羨ましかった。キャロラインと結婚できるのが羨ましかった。俺なんて……気持ちを伝えることすらできないのに。

 荒んでいた俺は心の中でこんな男、いなくなればいいのにと思った。
 
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