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29 きっかけ

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 濃厚なキスを受け、アイラはくたりと力が抜けてオスカーの逞しい胸に抱き締められた。

「そ、外でこんな……恥ずかしいです」
「大丈夫。誰もいない」
「そうですけど」
「それにアイラも気持ちよさそうだった」

 耳元で囁かれて、アイラはボッと頬が真っ赤に染まった。恥ずかしくてポカポカと胸をグーで軽く叩くと、オスカーは嬉しそうにニカッと笑った。

「嘘だ。俺がしたかったから。ごめん」
「私も……したかったですから……いいです」

 もじもじしながら、アイラがそう伝えるとオスカーはぎゅうぎゅうと抱き締めた。

「アイラっ! 可愛い」
「きゃあ、離してください」
「あの……長くなるが俺がアイラを好きになったきっかけの話を聞いて欲しいんだ。実は俺はアイラのことずっと前から知っていた」
「え?」

 オスカーの話はこうだった。

♢♢♢

 五年前、オスカーは二十歳という若さで騎士団の隊長を任されていた。

「おい、お前の隊の若い騎士どうにかしろよ」
「隊長も若いから舐められてんじゃねぇのか」
「文字も書けない奴が王家の騎士とは恥ずかしい」

 若くして隊長になったオスカーは同年代や年下の騎士からは憧れられる対象であったが、先輩の騎士たちからはその早い出世を疎まれていた。

 そしてオスカーの隊は飛び抜けて若者が多く、身分もバラバラで孤児院出身や下級貴族の者も多かった。皆、剣の腕だけはたつが……乱暴な問題児が多い隊だったのだ。むしろ、そういう騎士をわざとオスカーに押し付けられたと言っても過言ではなかった。

「ええ、あいつらは何も悪くありませんよ。俺の指導不足です」

 オスカーは問題を起こした若い騎士たちをそう庇っていた。しかし、実際は頭を抱えていたのも事実だった。

「おーおー、これは酷いな。あいつら報告書もまともに書けやしねぇ」
「そうなんだ……文章を書くために参考にしろと教科書を渡したんだが、あいつらそれを枕にして寝てたんだぞ!」

 オスカーが怒ると、エイベルはお腹を抱えて笑った。

「ははは、それは傑作だな。だが、仕方がないさ。俺は下級貴族だがそれなりに教育を受けてきたから、なんとかなってるが……平民はそんなもんだ。自分の名前を書けたら良い方だろ」
「しかしそれでは腕はたつのに、上から馬鹿にされる! 将来出世するためには、書類仕事もできないとだめだろ」
「騎士団の中で、そんなことを考える優しい奴はお前くらいだよ」

 エイベルは微笑んでポンポンと肩をたたき「気長にやろうぜ」とオスカーを慰めた。

 それからというもの、オスカーは若く粗暴な騎士たちを捕まえて時には厳しく時には優しく指導を繰り返した。

 そのおかげである程度の礼儀作法は身に付いたが、肝心の読み書きがなかなか上達しなくて頭を悩ませていた。本人たちがやる気がないからだ。

 そして隊長になって二年が経過したある日、オスカーはロッシュ領で孤児院の子どもたちに勉強を教えている少女がいるとの話を聞いた。

「孤児院の子どもでもわかる教科書があるなら、見せてもらいたい!」

 オスカーは簡単な教材なら自分の隊の平民出身よ騎士たちにも使えるのではないかと期待して、すぐにロッシュ領へ向かった。

「待ちなさいっ! これがわからないと、将来お金が稼げません」
「どうせ、俺なんかがこんなことしても無駄だ」
「無駄なことなどありません。勉強は嘘をつきませんから」
「恵まれたあんたに何がわかる!」
「わかりません。わかりませんが、これを学ばないと、あなたが後悔することだけはわかります」
「……」
「もう俺『なんか』と言うのはおやめください。あなたならできます。その可能性があるのです!」

 孤児院を覗くと、まだ幼さの残る少女が小さな子どもたちに懸命に勉強を教えていた。反発されながらも、首根っこを掴んで説教し……寄り添い、優しく教えている姿を見てオスカーは目を奪われた。

「シスター、あの子は?」
「彼女はロッシュ子爵家の御令嬢、アイラ様です。孤児院を回って、読み書きを教えてくださっているのですよ。本当にありがたいことです」

 オスカーはそのアイラが作った教科書を見せてもらい、その出来栄えの素晴らしさに感心して数冊譲ってもらうことにした。

「これをあの少女が作ったのですか?」
「はい。普通の教科書では、あの子たちが全く話を聞かなかったので。アイラ様は本当に優しくて、賢いお方です」

 まだ当時十四歳だったアイラは、その時点ですでに才女だった。そして貴族令嬢でありながらパワフルで、誠実で……自然に笑ったり怒ったり泣いたりしているアイラを見て、オスカーは眩しく思った。

「あんな少女も頑張ってるんだ。俺が諦めちゃだめだよな」

 その懸命な姿に勇気をもらい、オスカーも騎士団の中で諦めずに指導を続けた。アイラの教科書は平民の騎士たちにもとてもわかりやすかったようで、今までが何だったのかという程、みんなぐんぐんと成長していった。

「ちゃんと書けてるじゃないか!」
「まあ、俺もやればできるんっすよ」

 時間はかかったが、一人できちんと報告書を書ききった孤児院出身の騎士の成長を知り、オスカーは本当に嬉しかった。

「隊長、諦めずに指導してくださって……ありがとうございました」

 恥ずかしそうにお礼を言い、去って行ったのを見てオスカーは微笑んだ。

 そこでこの教科書を作ってくれたあの少女にお礼を言いたいと思ったが、あれから三年経ち改めて調べるとロッシュ領の娘であるアイラは社交界で『天使の生まれ変わり』と呼ばれるほどの美少女だと知った。

「確かに……可愛らしい少女だった気はするが」

 あの時のアイラはまだ幼さが残っていたし、オスカーからしたら子どものようだった。それに女性の美醜については、オスカーはあまりよくわからないというのが本音だった。

「なあ、アイラ・ロッシュを知っているか?」

 女性の情報に詳しいエイベルに、少女のことを聞いてみることにした。

「知ってるも何も、今一番人気の御令嬢じゃないか。身分は子爵家だが『天使』と言われるだけあって、ふわりと微笑めばどんな男もイチコロらしいぜ」
「話してみたいんだが……」

 オスカーがそう伝えると、エイベルはハハハと笑いながら背中をバシバシと叩いた。

「彼女の周りには高位貴族の嫡男たちが群がってるし、下手に二人で話せば睨ませるぜ? 興味本位ならやめときな。高嶺の花すぎる」
「そう……なのか」
「そうそう! オスカーは伯爵家の出だが、次男だろ。相手にされねぇって。それより夜、飲みに行こうぜ。美人が多いって店を教えてもらったんだ」
「行かねぇ」
「あーやだやだ。ガールフレンドの一人もいない仕事馬鹿はこれだから」

 エイベルにそんな悪口を言われながら、オスカーは少女のことを考えていた。

 そして、オスカーは舞踏会の警備で遠目からアイラを見ることはあったが……本当にいつでもたくさんの男性に囲まれていて、話しかけることはできなかった。

「確かに気軽に近付けなさそうだ」

 オスカーはあの元気でパワフルな少女と、美しいドレスを纏った貴族令嬢らしいアイラがなんとなく結び付かず話せない日々が続いた。

 そのような時間が数ヶ月経過したある日、たまたまアイラが虐められているところを助けた。そして少女から女性に成長したアイラの顔を間近で見ると……あの時と全く同じ生き生きした黄金の瞳がオスカーの心を鷲掴みにした。

「君はとてもいい顔だな。俺が出逢った中で一番だ」

 オスカーはアイラの良さが、彼女の表情全てに出ている気がしてついそんなことを口走った。

 こんなに素敵な女性には、二度と逢えないかもしれないと思った。オスカーは、女性にそんな気持ちを持ったのは生まれて初めてだった。

 そして一度決めれば一直線なオスカーは、いきなりアイラに求婚をしてしっかりと断られたのであった。



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