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15 着せ替え人形
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「オスカー様が来られても、絶対に屋敷の中に入れないで」
「……わかりました」
「ごめんね。みんなありがとう」
泣きながら帰ってきたアイラを見て、使用人たちは皆胸を痛めた。アイラが、ファビアンに嫁ぐことを知っているからだ。
「お嬢様、お部屋に行きましょう」
「うっ……うう、そうね」
アイラは侍女のリラに支えられてなんとか自室に戻った。
部屋に入ると、アイラはそのままズルズルと床にしゃがみ込んだ。
「悪いけれど、少しだけ一人にさせて」
「……はい。必要な時はいつでも呼んでください」
扉を閉めると、すぐにアイラの嗚咽のような泣き声が聞こえてきた。リラはどうしてアイラがこんな苦しい思いをしなければいけないのかと、哀しい気持ちになった。
アイラは耳からバラのイヤリングをそっと外し、ゴミ箱に捨てようとした。これを見ると、オスカーとの楽しかった思い出が忘れられなくなりそうだったからだ。
だけど、手が震えて捨てることなどできなかった。アイラは以前もらったネックレスと同じ場所に、イヤリングをしまい込んだ。
♢♢♢
「アイラ嬢、火事のこと大変だったね」
「ええ、驚きましたわ」
「でも、あなたが無事で本当によかった」
ファビアンは目に涙をため、アイラの手をぎゅっと握った。
本気で心配してくれているのだとわかり、アイラは大事にしてもらえているのだと有り難く思った。
「ありがとうございます」
「もう何も心配しなくてもいいよ。私に全て任せて欲しい」
婚約の返事をしてから初めて、アイラはファビアンと二人で王都のレストランに来ていた。
「ロッシュ子爵領はすぐに元に戻るよ。父上にすぐに動いてもらえるように頼んである」
「申し訳ありません」
「どうして謝るんだい? 大事な婚約者の故郷を助けることは、当たり前のことだよ」
ニコリと笑ったファビアンを見て、アイラはなんだか申し訳なくなり静かに頭を下げた。
「婚約を受け入れてくれてありがとう。こんな大変な時にどうかとは思ったけれど、今だからこそ私が力になれると思ったんだ」
「私こそすみません。今まで返事をしていなかったのに……こんな……あなた様を利用するようなことを」
ファビアンはアイラに恋心を伝えてくれていた。だけど、アイラの心はオスカーにあった。
アイラにとってこの結婚は『お金目当て』という最低な理由だ。
「貴族の結婚は本来そういうものだろう?」
「でも……」
「どんな理由でもいいんだ。アイラ嬢が私を選んでくれたことが嬉しい」
「……ファビアン様」
「きっと私たちは良い夫婦になれるよ。私の隣に並ぶのは君しかいないと思ってる」
優しいファビアンの言葉に、アイラはこくんと頷いた。
「ゆっくり私を好きになって欲しい」
「はい」
「呼び捨てで呼んでもいいかな?」
「は、はい。もちろんです」
「ありがとう。ずっと呼んでみたかったんだ」
ファビアンは美しい顔でふわりと微笑んだ。綺麗すぎて、まるで精巧にできた人形のようだとアイラは思った。
『あの人は、もっと豪快に笑うのに』
その時、アイラは自分が自然とオスカーのことを思い出していることに気がついた。
「アイラ、好きだよ」
頬をそっと撫でられて、おでこにちゅっとキスをされた。アイラが驚いておでこを手で押さえると、ファビアンはくすりと笑った。
「やっぱりアイラは可愛いね」
目を細めてジッと見つめられて、アイラはなんだかいたたまれなくなった。実は咄嗟にファビアンを払い除けそうになるのを、必死にか堪えたからだ。
「そ、そんなに見ないでください。恥ずかしいので」
「ごめんね。アイラと結婚できると思うと嬉しくて。私はとても幸せ者だな」
ファビアンは良くも悪くも貴族らしい。なので恥ずかしいことも、平気で言うタイプだ。アイラはなんと返していいか困ってしまう。
「来週の舞踏会、一緒に行こう」
「はい」
「ドレスを贈らせて欲しい」
「ありがとうございます」
婚約者にドレスを贈るのは、当たり前の文化であり……それを身につけてダンスを踊ると『二人は婚約者』だと社交界で認定される。
本当に婚約するためには、書類が沢山必要なので実際はまだ先になるのだけれど。
「これから選びに行かないか」
「え?」
「アイラとまだ離れたくないんだ」
断る理由もないので、ファビアンに連れられてドレスショップに向かった。
「ここは……」
「我が家がいつも世話になってるんだ。入ろう」
そこは高級なことで有名なお店だった。たしか、王家も御用達のはずだ。さすがは公爵家の御令息……身に付けるものが桁違いだ。
「ファビアン様、お待ちしておりました」
「ああ、頼むよ。そうだな……これとこれを。あとこっちも似合いそうだ。彼女に着せてくれ」
「はい、かしこまりました。さあ、どうぞ」
入った途端に、ファビアンは嬉しそうにドレスを選んでいき店員に指示をした。
アイラは何回も何回もドレスを着替えて、その度にファビアンに見せた。
「ああ、似合うね。雪のような白い肌にドレスの色が映えている」
「……はぁ」
「素敵だ。揺れる裾が、可愛い君の天使の羽のようだよ」
「……はぁ」
「綺麗な曲線が美しいね。まるで綺麗なマーメイドのようだ」
「……はぁ」
ファビアンは着替えるたびに、うっとりとアイラを見つめて褒め言葉を言ってくれる。
どれも恐ろしいほどの値段なことが一目でわかる。素材も、装飾も一級品だ。
しかし、本来のアイラはシンプルなドレスが好きだ。正直、豪華なドレスにはあまり興味がなかった。
「どれが気に入った?」
「いえ、あの……ファビアン様が選んでください」
「そう? じゃあ、二番目にしようかな」
それからもファビアンがドレスに合う靴や宝石などを、ポンポンと購入していくのをアイラはただただ茫然と見つめていた。
「こんな高価なドレス申し訳ないです」
「気にしないで欲しい。アイラはもう私の婚約者なのだから。公爵家で使っているのと同じ一流の物を身につけて欲しいんだ」
「……はい」
「ずっとアイラにドレスを贈りたかったんだ。もっと着飾らせたら、より可愛くなるのにと思っていたから」
その言葉を聞いて、アイラは胸がもやもやした。アイラは自分の好きなものを、自分で選んで着ていたのに……ファビアンは良いと思ってくれていなかったようだ。
「アイラはとびきり可愛いのだから、身に付けるものも特別でないと。嫁いで来る時は、何も持ってこなくていいからね。私が君に似合う新しい服を全部用意するから」
ご機嫌なファビアンとは反対に、アイラの気持ちはどんどん冷めていくのがわかった。
旦那様が全て用意してくれるなんて、夢のような話だ。普通の御令嬢ならば『嬉しい』と思うのだろう。だけど、アイラは嫌だった。
「……ありがとうございます」
ファビアンはアイラの中身を好きだと言ってくれたが、これではまるで見た目だけの『着せ替え人形』のようだと思った。
しかし、これはアイラが決めた道だ。ファビアンの支援がなければ、ロッシュ領のみんなが困るのだ。だから自分の気持ちなど、どうでもいいのだと必死に言い聞かせた。
結婚をする前に、アイラはファビアンに伝えておかないといけないことがあった。
「あの……以前、私が教員試験を受けるとお伝えしていたと思うのですが」
「ああ、そうだったね」
「実は落ちてしまったのです。応援していただいていたのにすみません」
アイラがしゅんとしながら報告すると、ファビアンは眉を下げながら苦しそうな顔をした。
「そうか。それは……残念だったね」
「いえ、実力不足でした」
「来年も受けたらいいと言ってあげたいのだが、実は……私の父上は保守的なのであまり試験のことをよく思っていないようなんだ」
そう言われることは予想通りだったので、アイラは小さく首を振った。
「それが当然の反応ですわ。もう試験は受けません」
「でも、私は君の味方だ! アイラが今までしていたような、平民への教育支援活動はできるように環境を整えるから。そのことは、父上に文句は言わせないよ」
「ありがとうございます」
ファビアンがそう言ってくれて、アイラは少しだけ気持ちが救われた気がした。
「夢を応援するのは当たり前だよ。私たちは婚約者なのだから」
ファビアンは、アイラを慰めるようにギュッと抱き締めた。
「……愛する妻の願いは、なるべく叶えてあげたいからね」
そう呟いたファビアンは、何かを企んだようにニッと口角だけを上げた。しかしその顔は、当然アイラには何も見えていなかった。
「……わかりました」
「ごめんね。みんなありがとう」
泣きながら帰ってきたアイラを見て、使用人たちは皆胸を痛めた。アイラが、ファビアンに嫁ぐことを知っているからだ。
「お嬢様、お部屋に行きましょう」
「うっ……うう、そうね」
アイラは侍女のリラに支えられてなんとか自室に戻った。
部屋に入ると、アイラはそのままズルズルと床にしゃがみ込んだ。
「悪いけれど、少しだけ一人にさせて」
「……はい。必要な時はいつでも呼んでください」
扉を閉めると、すぐにアイラの嗚咽のような泣き声が聞こえてきた。リラはどうしてアイラがこんな苦しい思いをしなければいけないのかと、哀しい気持ちになった。
アイラは耳からバラのイヤリングをそっと外し、ゴミ箱に捨てようとした。これを見ると、オスカーとの楽しかった思い出が忘れられなくなりそうだったからだ。
だけど、手が震えて捨てることなどできなかった。アイラは以前もらったネックレスと同じ場所に、イヤリングをしまい込んだ。
♢♢♢
「アイラ嬢、火事のこと大変だったね」
「ええ、驚きましたわ」
「でも、あなたが無事で本当によかった」
ファビアンは目に涙をため、アイラの手をぎゅっと握った。
本気で心配してくれているのだとわかり、アイラは大事にしてもらえているのだと有り難く思った。
「ありがとうございます」
「もう何も心配しなくてもいいよ。私に全て任せて欲しい」
婚約の返事をしてから初めて、アイラはファビアンと二人で王都のレストランに来ていた。
「ロッシュ子爵領はすぐに元に戻るよ。父上にすぐに動いてもらえるように頼んである」
「申し訳ありません」
「どうして謝るんだい? 大事な婚約者の故郷を助けることは、当たり前のことだよ」
ニコリと笑ったファビアンを見て、アイラはなんだか申し訳なくなり静かに頭を下げた。
「婚約を受け入れてくれてありがとう。こんな大変な時にどうかとは思ったけれど、今だからこそ私が力になれると思ったんだ」
「私こそすみません。今まで返事をしていなかったのに……こんな……あなた様を利用するようなことを」
ファビアンはアイラに恋心を伝えてくれていた。だけど、アイラの心はオスカーにあった。
アイラにとってこの結婚は『お金目当て』という最低な理由だ。
「貴族の結婚は本来そういうものだろう?」
「でも……」
「どんな理由でもいいんだ。アイラ嬢が私を選んでくれたことが嬉しい」
「……ファビアン様」
「きっと私たちは良い夫婦になれるよ。私の隣に並ぶのは君しかいないと思ってる」
優しいファビアンの言葉に、アイラはこくんと頷いた。
「ゆっくり私を好きになって欲しい」
「はい」
「呼び捨てで呼んでもいいかな?」
「は、はい。もちろんです」
「ありがとう。ずっと呼んでみたかったんだ」
ファビアンは美しい顔でふわりと微笑んだ。綺麗すぎて、まるで精巧にできた人形のようだとアイラは思った。
『あの人は、もっと豪快に笑うのに』
その時、アイラは自分が自然とオスカーのことを思い出していることに気がついた。
「アイラ、好きだよ」
頬をそっと撫でられて、おでこにちゅっとキスをされた。アイラが驚いておでこを手で押さえると、ファビアンはくすりと笑った。
「やっぱりアイラは可愛いね」
目を細めてジッと見つめられて、アイラはなんだかいたたまれなくなった。実は咄嗟にファビアンを払い除けそうになるのを、必死にか堪えたからだ。
「そ、そんなに見ないでください。恥ずかしいので」
「ごめんね。アイラと結婚できると思うと嬉しくて。私はとても幸せ者だな」
ファビアンは良くも悪くも貴族らしい。なので恥ずかしいことも、平気で言うタイプだ。アイラはなんと返していいか困ってしまう。
「来週の舞踏会、一緒に行こう」
「はい」
「ドレスを贈らせて欲しい」
「ありがとうございます」
婚約者にドレスを贈るのは、当たり前の文化であり……それを身につけてダンスを踊ると『二人は婚約者』だと社交界で認定される。
本当に婚約するためには、書類が沢山必要なので実際はまだ先になるのだけれど。
「これから選びに行かないか」
「え?」
「アイラとまだ離れたくないんだ」
断る理由もないので、ファビアンに連れられてドレスショップに向かった。
「ここは……」
「我が家がいつも世話になってるんだ。入ろう」
そこは高級なことで有名なお店だった。たしか、王家も御用達のはずだ。さすがは公爵家の御令息……身に付けるものが桁違いだ。
「ファビアン様、お待ちしておりました」
「ああ、頼むよ。そうだな……これとこれを。あとこっちも似合いそうだ。彼女に着せてくれ」
「はい、かしこまりました。さあ、どうぞ」
入った途端に、ファビアンは嬉しそうにドレスを選んでいき店員に指示をした。
アイラは何回も何回もドレスを着替えて、その度にファビアンに見せた。
「ああ、似合うね。雪のような白い肌にドレスの色が映えている」
「……はぁ」
「素敵だ。揺れる裾が、可愛い君の天使の羽のようだよ」
「……はぁ」
「綺麗な曲線が美しいね。まるで綺麗なマーメイドのようだ」
「……はぁ」
ファビアンは着替えるたびに、うっとりとアイラを見つめて褒め言葉を言ってくれる。
どれも恐ろしいほどの値段なことが一目でわかる。素材も、装飾も一級品だ。
しかし、本来のアイラはシンプルなドレスが好きだ。正直、豪華なドレスにはあまり興味がなかった。
「どれが気に入った?」
「いえ、あの……ファビアン様が選んでください」
「そう? じゃあ、二番目にしようかな」
それからもファビアンがドレスに合う靴や宝石などを、ポンポンと購入していくのをアイラはただただ茫然と見つめていた。
「こんな高価なドレス申し訳ないです」
「気にしないで欲しい。アイラはもう私の婚約者なのだから。公爵家で使っているのと同じ一流の物を身につけて欲しいんだ」
「……はい」
「ずっとアイラにドレスを贈りたかったんだ。もっと着飾らせたら、より可愛くなるのにと思っていたから」
その言葉を聞いて、アイラは胸がもやもやした。アイラは自分の好きなものを、自分で選んで着ていたのに……ファビアンは良いと思ってくれていなかったようだ。
「アイラはとびきり可愛いのだから、身に付けるものも特別でないと。嫁いで来る時は、何も持ってこなくていいからね。私が君に似合う新しい服を全部用意するから」
ご機嫌なファビアンとは反対に、アイラの気持ちはどんどん冷めていくのがわかった。
旦那様が全て用意してくれるなんて、夢のような話だ。普通の御令嬢ならば『嬉しい』と思うのだろう。だけど、アイラは嫌だった。
「……ありがとうございます」
ファビアンはアイラの中身を好きだと言ってくれたが、これではまるで見た目だけの『着せ替え人形』のようだと思った。
しかし、これはアイラが決めた道だ。ファビアンの支援がなければ、ロッシュ領のみんなが困るのだ。だから自分の気持ちなど、どうでもいいのだと必死に言い聞かせた。
結婚をする前に、アイラはファビアンに伝えておかないといけないことがあった。
「あの……以前、私が教員試験を受けるとお伝えしていたと思うのですが」
「ああ、そうだったね」
「実は落ちてしまったのです。応援していただいていたのにすみません」
アイラがしゅんとしながら報告すると、ファビアンは眉を下げながら苦しそうな顔をした。
「そうか。それは……残念だったね」
「いえ、実力不足でした」
「来年も受けたらいいと言ってあげたいのだが、実は……私の父上は保守的なのであまり試験のことをよく思っていないようなんだ」
そう言われることは予想通りだったので、アイラは小さく首を振った。
「それが当然の反応ですわ。もう試験は受けません」
「でも、私は君の味方だ! アイラが今までしていたような、平民への教育支援活動はできるように環境を整えるから。そのことは、父上に文句は言わせないよ」
「ありがとうございます」
ファビアンがそう言ってくれて、アイラは少しだけ気持ちが救われた気がした。
「夢を応援するのは当たり前だよ。私たちは婚約者なのだから」
ファビアンは、アイラを慰めるようにギュッと抱き締めた。
「……愛する妻の願いは、なるべく叶えてあげたいからね」
そう呟いたファビアンは、何かを企んだようにニッと口角だけを上げた。しかしその顔は、当然アイラには何も見えていなかった。
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