上 下
5 / 37

4 アイラの夢

しおりを挟む
「アイラ様、私一人で本が読めるようになったわ」
「それは素晴らしいわね」

「アイラ様、僕は自分の名前が一人で書けるようになったよ」
「そうなの? 見せてちょうだい」

 アイラは定期的に領内にある数ヶ所の孤児院を順番に訪れて、子どもたちに勉強を教えていた。

 これは領主の娘としての慈善事業……という目的だけではなかった。彼らが大人になり、孤児院を出て働く人が増えればロッシュ領は活性化する。税金が増えることは、子爵家も潤うということだ。

 それに皆がきちんとした仕事に就いて賃金が稼げるようになれば、街の犯罪が減る。アイラは長い目でみると、この活動は良い事ばかりだと考えていた。

 アイラは昔から、学校の成績がトップクラスだった。周囲から『見た目だけ』の女だと思われたくなくて、毎日寝る間を惜しんで様々なことを頑張っていたからだ。勉強もマナーもダンスも刺繍も……苦手なこともあったが、何度も繰り返し練習して身に付けた。

 最初はそんな理由で勉強していたのだが、アイラは学ぶことがとても楽しくなった。自分の知らないことを知るのは、世界が広がると感じたからだ。

 将来子爵家を継ぐ可愛い弟の助けになればと思い、領地経営についても学んだアイラは、領民たちの中に貧困層の人たちがたくさんいることを知った。その者たちは読み書きができないため、まともな仕事に就けずに犯罪を犯す人が多い。

 食事もままならず、仕方なく泥棒をする人がいるという事実を知ってアイラは衝撃を受けた。

「お父様、世の中にはパンも食べられない人がいるの?」

 驚いたアイラは、領主である父親にそのことを聞きに行った。

「……ああ、そうだよ。私たちの暮らしは贅沢なんだ。それができるのは、領民たちのお陰なんだよ。だから、私たちは領民たちを守る責任がある」
「じゃあ、早くパンを皆に買ってあげて。私の分もあげていいから」

 アイラのその発言に、父親は厳しい顔をして左右に首を振った。

「それはできない」
「どうしてですか! お父様ったら酷いわ」
「アイラ、物事はそんなに単純ではないんだ。一時的に食料を与えるのは容易いさ。でもそれが本当の解決になると思うかい?」
「思い……ません」
「そうだね。もちろん我が家も人道的に必要な炊き出しや、孤児院への寄付はしているよ。でもそれは解決策ではない。一人一人が生きていける力を身につけるように、学ばせたいのだがなかなか上手くいっていないのが現状なんだ」

 アイラは父親の話を聞いて、自分のするべきことがわかった。アイラがしなければいけないことは、パンを与えることではなく、パンを買える人を多く作るということだ。

「お父様、失礼なこと言って申し訳ありませんでした。私の考えが足りなかったです」
「いや、アイラは賢くてとてもいい子だ。領民たちを思う気持ちを持つことはとても大事なことだよ」
「私、自分にできることをやりますわ」

 そうして始めたのが、孤児院を回っての読み書きの授業だった。最初はみんな嫌がって、ろくに聞いてくれなかった。

「お嬢様に俺たちの気持ちがわかるもんか!」

 おもちゃを投げつけられたりした日もあったが、アイラは負けなかった。

「ビル、待ちなさい。これが出来れば生きていけます」
「俺たちなんて何やっても無駄だよ」
「やる前から諦めているから、何も手に入らないのです」
「なんだって?」
「孤児院に居られるのは成人するまでです。それからは、自分で稼がないといけない。このまま字が読めなければ、理不尽な雇用契約を結ばれても文句は言えません。このまま字が書けなければ、役所の手続きもできません。つまりは生きていけないのです」

 アイラは嘘をつかずに、正直に子どもたちにその事実を話した。

「学ぶことは、自分を守ることでもあります。私と一緒に勉強しましょう」

 そうして反発を受けながらも、時間をかけてアイラは少しずつ読み書きや簡単な計算を教えていった。

「アイラ様、この教科書嫌だ。なんでこんな堅苦しい文章で書いてあるかなぁ……わかんねぇよ」
「そうよね。私がなんとかするわ」

 売られている教科書は全て貴族向けのものなので、確かに難しかった。無ければ作ればいいと思い、アイラは教科書を自作した。

「これすっげーわかりやすい」
「うん、絵もあって可愛い」
「勉強する気になってきたわ」

 なるべく難しい言葉を使わず、身近にあるものを題材にして教科書を作ったため子どもたちからは好評だった。

 子どもたちの吸収力は素晴らしく、ちゃんと教えれば教えただけ理解してくれるのでアイラはとても充実感があった。

「アイラ様、食堂で働かせてもらえることになったんだ。メニューが読めて計算ができるなら、雇ってくれるって」
「そう、良かったわね。ビルならできるわ。頑張ってね」
「……アイラ様のおかげだよ。今度食べに来て」
「ええ、必ず行くわ」

 アイラにおもちゃを投げつけていた少年のビルも、すっかりと成長した。今やそのビルは、年下の子に勉強を教える役を担ってくれている。

「そろそろ次の孤児院ね」

 そのように孤児院を回っていく中で、アイラは『教える』ということの素晴らしさに気が付いた。いつか国家資格である教員試験を受けて、正式に先生になりたいなとアイラは思っていた。

 しかし、この国では貴族令嬢が働くことを良しとはされていない。平民では数人いるそうだが、貴族令嬢で先生になった人は一人もいないのだ。

 それにアイラは貴族を教える先生ではなく、平民たちに教える先生をしたかった。それは前途多難な道だとわかっていたが、アイラはいつか叶えたいと思っていた。

「アイラ、見つけた」
「オスカー様! 何故ここがわかったのですか」
「街のみんなが、アイラはこの孤児院にいるって教えてくれた」

 最近、ロッシュ領民たちはみんなアイラの情報をオスカーに流している。それだけオスカーがみんなから気に入られているということだろう。

「うわぁ……騎士様、大きい」
「すごく強そう。かっこいい」
「ねぇねぇ、力強い?」

 少年たちはやはり騎士に憧れる気持ちがあるのか、オスカーを見て目を輝かせている。逆に少女たちは身体の大きなオスカーが少し怖いのか、アイラの後ろに隠れてしまった。

「おお、強いぞ。ほら、ここに掴まりな」

 オスカーはそう言って、三人の少年を片腕に掴ませるとブンと上にあげた。少年たちは足をバタバタさせて宙に浮いている。

「うわぁ、すげぇ!」
「はっはっは、こんなの朝飯前だ」
「肩車して欲しい」
「いいぞ」

 いつの間にかオスカーには、たくさんの少年たちが群がっていた。

「楽しそう。わ、私もしてほしいな」

 アイラのワンピースの裾をツンツンと引っ張って、まだ幼いマリーが小声でそう言ってきた。マリーの後ろにいる他の少女もそわそわしているので、本当はオスカーに近付きたいようだ。

「オスカー様、この子たちにもしてあげて貰えませんか。女の子だからほどほどにお願いします」
「おう、いいぞ。おいで」
「マリー良かったわね。みんな順番にね」

 ニカッと笑ったオスカーを見て、みんな嬉しそうに飛びついた。

「きゃあっ、高い」
「初めてこんなことされたわ。楽しいっ!」

 オスカーは落とさないように気をつけながら、子どもたちと遊んでくれていた。

 アイラはそれを眺めながら、嬉しそうな子どもたちを見て温かいな気持ちになった。

「オスカー様は、いい父親になりそうね」

 こんな人と結婚したら幸せだろうな、と素直に思ったことにアイラは自分で驚いていた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

貴方だけが私に優しくしてくれた

バンブー竹田
恋愛
人質として隣国の皇帝に嫁がされた王女フィリアは宮殿の端っこの部屋をあてがわれ、お飾りの側妃として空虚な日々をやり過ごすことになった。 そんなフィリアを気遣い、優しくしてくれたのは年下の少年騎士アベルだけだった。 いつの間にかアベルに想いを寄せるようになっていくフィリア。 しかし、ある時、皇帝とアベルの会話を漏れ聞いたフィリアはアベルの優しさの裏の真実を知ってしまってーーー

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

ふたりは片想い 〜騎士団長と司書の恋のゆくえ〜

長岡更紗
恋愛
王立図書館の司書として働いているミシェルが好きになったのは、騎士団長のスタンリー。 幼い頃に助けてもらった時から、スタンリーはミシェルのヒーローだった。 そんなずっと憧れていた人と、18歳で再会し、恋心を募らせながらミシェルはスタンリーと仲良くなっていく。 けれどお互いにお互いの気持ちを勘違いしまくりで……?! 元気いっぱいミシェルと、大人な魅力のスタンリー。そんな二人の恋の行方は。 他サイトにも投稿しています。

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

破滅ルートを全力で回避したら、攻略対象に溺愛されました

平山和人
恋愛
転生したと気付いた時から、乙女ゲームの世界で破滅ルートを回避するために、攻略対象者との接点を全力で避けていた。 王太子の求婚を全力で辞退し、宰相の息子の売り込みを全力で拒否し、騎士団長の威圧を全力で受け流し、攻略対象に顔さえ見せず、隣国に留学した。 ヒロインと王太子が婚約したと聞いた私はすぐさま帰国し、隠居生活を送ろうと心に決めていた。 しかし、そんな私に転生者だったヒロインが接触してくる。逆ハールートを送るためには私が悪役令嬢である必要があるらしい。 ヒロインはあの手この手で私を陥れようとしてくるが、私はそのたびに回避し続ける。私は無事平穏な生活を送れるのだろうか?

この度、青帝陛下の番になりまして

四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。

【完結】小さな村の娘に生まれ変わった私は、また王子に愛されて幸せに暮らします。みんな私の事を小娘扱いするけど、実はお姫様だったのよ!

風見鳥
恋愛
 王妃だった私は病におかされてこの世を去った。でもそれは第二の人生の始まりだった。  新たなスタートは戸惑ったけど森の奥で村を見つけ、食事を与えられ、住む場所を貸してもらい、充実した日々を送る事に。  そんなある日、旅人の商人に手作りのお薬を売ると、それが元夫である第一王子に届き、『是非とも直接お礼を伝えたい』と言われ会いに行く事に。  久しぶりに夫に会えるのはとても嬉しい。でも私が王妃の生まれ変わりだなんて分かるはずがない。そう思っていたのだが…… 「サクッと読めて心に残る小説」を意識して書きました。完結保証です。3連休中に全話投稿します!

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

処理中です...