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後編
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王家主催の乗馬の大会は、男性に混じっての参加になる。女性の参加はもちろん私だけ。しかし、幼い頃から愛馬のルルーと育ってきた私は、負ける気がしなかった。
「ハイッ」
私は掛け声をあげながら巧みにルルーを動かし、障害物を次々と飛び越えていった。
観客たちは私とルルーが颯爽と駆け抜ける姿に、驚いているようだった。大会に出るのは初めてなので、みんな私の実力を知らないからだ。
「ドゥドゥ、よくやったわ。ルルー、偉いわね」
「ブルル……」
「よしよし」
ルルーにご褒美をやり、スタート地点に戻ってきた。あと一種目競技があるが、私の優勝は決まったようなものだ。
「ジェシカ嬢はすごいな! あんなに乗馬が上手かったのか」
「伯爵家の御令嬢なのに、なかなか凛々しいですね」
「男に混じって、女があんなことをするなんてはしたない」
「女性とは思えません。ジェシカ様、とっても格好良いですわ」
どうやら賛否両論様々な意見が飛び交っているようだ。でもこんなことは予想範囲内なので、驚くことではない。
「このじゃじゃ馬が。女が男の領域に出てくるんじゃねぇよ」
「……」
「今でもモテないのに、完全に嫁の貰い手がなくなるぞ」
「あはは、まあ乗馬してなくても結果は一緒かもしれねぇけどな」
「そりゃそうか。女らしさのかけらもねぇしな」
さっき私に負けた二位や三位の貴族令息たちが、わざわざ嫌味を言ってきた。馬鹿にするようにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
「……あなた達に関係ないことだわ」
「あーあ、本当に可愛くねぇな。女は大人しく男の言うことだけ聞いていればいいんだよ! 大会は棄権しろよ」
二位の男にドンと突き飛ばされて、私は後ろによろめいた。床に倒れると思った瞬間、何か大きなものに身体を包まれた。
「彼女の魅力がわからないなんて、目が悪いんですね?」
「……っ!」
「それに自分の実力がなくて負けているのに、人の悪口とは。格好悪いですね」
その低い声を出しのは、チェスターだった。どうやら私を守ってくれたらしい。いつこんなに逞しい身体になったのだろうか?
「なんだと!」
「その屑な言動、モテないあなた方らしいです」
チェスターがニコリと笑いながら、そう言うと男たちは怒りでブルブルと震えていた。
「チェスター……?」
「ジェシカ姉さん、大丈夫? 助けるの遅くなってごめんね」
怒っている男たちは、そのまま勢いよく殴りかかってきた。
「お前ちょっと顔がいいからって、調子に乗りやがって!」
「チェスター危ない。逃げて」
あの弱虫だったチェスターが、こんな風に助けてくれるなんて私は信じられなかった。気持ちはとても嬉しかったが、私がどうにかして守らないと。
私は震えながら、チェスターを庇うように必死に手を広げた。
「……ジェシカ姉さんは昔から変わってないね」
そのチェスターの呟きが聞こえてきた瞬間、男たちはみんな倒れていた。チェスターが、一瞬で叩きのめしたからだ。
「チェスター……すごい」
「毎日鍛えてるからね。これからはジェシカ姉さんを守るのは僕の役目だよ。危ない時は絶対に前に出てきちゃダメだからね。ジェシカ姉さんはレディなんだから」
レディ扱いされて驚いている私に、チェスターは目を細めてくしゃりと笑った。
私はチェスターは弟なんかではなく、立派な大人の男性なのだと自覚してしまい……急に恥ずかしくなった。胸がバクバクとうるさく鳴っている。
「あれ、ジェシカ姉さん。なんか顔が赤いけど大丈夫?」
「きゃっ! う、うん。ごめん、大丈夫よ」
チェスターに頬を触られて、私は悲鳴をあげてしまった。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
私は左右に頭をぶんぶんと振った。チェスターは不思議そうに首を傾げている。
「お前、こんなことしてタダで済むと思うなよ」
倒された貴族令息たちが、よろよろと立ち上がってきた。
「あーあ、本当に可愛くねぇな。女は大人しく男の言うことだけ聞いていればいいんだよ! 大会は棄権しろよ」
その時、さっき男が私に言った言葉が聞こえてきた。
「魔電って便利ですよね。こんな風に録音もできる」
チェスターはわざわざ魔電を見せながら、ニッコリと笑った。とてもゾッとする嘘の笑顔だ。
「お前……! さっきの録音してたのか」
「これを大会の運営に提出したら罰せられるのは、あなた方でしょうね? あと世のレディたちにこれを聞かせたらどうなりますかね。こんなレディを馬鹿にしてる男、僕が女なら絶対に嫌だな。そういえば、あなた方……婚約者がいらっしゃいましたっけ?」
チェスターにそう言われて、男たちはサーっと青ざめた。
「僕たちの前に二度と現れるな。それで見逃してやる」
鋭い目でギロリと睨みつけると、男たちは「くそっ」と言いながらその場を去って行った。
「……馬鹿な奴ら」
ふうとため息をつき、チェスターはくるりと振り向いて私の頭をポンポンと優しく撫でてくれた。
「ジェシカ姉さん、もう心配はいらないよ」
「た、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。最後まで頑張ってね。馬に乗っているジェシカ姉さんは、誰よりも輝いているんだから!」
私はチェスターの言葉にハッとした。それは、どこかで聞いたことがあったからだ。
両親の反対を押し切って大会に参加した。みんなが反対しても、チェスターとブルー様だけは応援をしてくれた。だからこそ、私は一番を取らなければいけない。
「……頑張ってくるわ。見てて」
競技のスタート地点に向かった。どうやらさっきの男たちは来ていないようなので、自分から棄権をしたらしい。
私は髪についているブルーのリボンをひと撫でし、精神を集中させた。
「ハイッ」
私はルルーと一緒に、大会の会場を一気に駆け抜けた。そして誰よりも美しく、誰よりも高く飛んだ。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
私はダントツで一位になり、表彰された。恐らく、あの男たちが参加していたとしても勝っていただろうことは明白だった。
観客たちから大きな拍手を受け、誇らしい気持ちだった。
「チェスターにお礼を言わないと」
しかし客席を見渡したが、チェスターはどこにもいなかった。競技中は、彼の声がしていたので絶対に見てくれていたはずなのに。
その時、魔電がピコンと音を立てた。それは久しぶりのブルー様からのメッセージだった。
【ずっと連絡しなくてすみません。優勝おめでとうございます。ベリー様、やはりあなたは誰よりも輝いていました。しかしあなたが本当はとても若いことに驚きました。やはり、私はあなたに逢う勇気がありません】
【嘘をついてごめんなさい。今、どこにいらっしゃいますか? 直接謝りたいです】
【いいえ、もう終わりにしましょう。今までありがとうございました。さようなら】
そのメッセージを見て、私はある場所に向かって走り出した。
――きっと彼はあの場所にいるはずだ。
「さよならなんて嫌だわ!」
私はブルー様の肩を後ろから掴んで、泣きながら叫んだ。
「どうしてここが……?」
「わかるわよ。あなたは傷付いた時はいつも湖のほとりに隠れているもの」
「そっか。やっぱりジェシカ姉さんには敵わないな」
困ったようにハの字に眉を下げたブルー様ことチェスターを、私は抱き締めた。
「ブルー様はあなただったのね、チェスター」
「そうだよ。ごめんね、嘘をついて」
「私こそ今まで気が付かなくてごめんなさい」
よく考えたら私の本の好みを知っているのも、優しい声かけも、いつでも味方でいてくれるのも……全部全部チェスターそのものではないか。
そして、透き通った空のようなブルーの瞳。むしろ今までなぜ気がつかなかったのだろう。
「僕はジェシカ姉さんが好きなんだ。幼い頃から一人の女性として愛してる。どうしても、僕自身を見て欲しくて、マッチングの話を聞いて利用しようと思ったんだ」
「……」
「プロフィールの画面を見せてくれた時に、ジェシカ姉さんの登録内容を必死に覚えて……あとで検索したんだ」
あの時、食い入るように画面を見ていたのはマッチングに興味があったわけではなかったのね。
「もし僕が年下じゃなかったら、恋愛対象になるのかなってずっと思っていたから。でも、いざやり取りを始めたら……すごく楽しくて……本当は僕だって知られて嫌われるのが怖くて言い出せなかった」
チェスターは詰まりながら、小さな声でボソボソと話しはじめた。
「正体を隠していたとしても、ジェシカ姉さんに好かれて嬉しかった。だけど関係が深くなるたびに……本当のことを言ったら、傷つけるって不安になってきた。だから、ブルーの自分は消えようと思ったんだ」
「私こそごめん。チェスターの気持ち全然わかっていなかった。年齢ばかり気にして……大事なことを見失って、あなたを傷付けていたわ」
「……ジェシカ姉さん」
「私もチェスターが好きだってやっと気が付いたの。いつも私を支えてくれてありがとう」
私がニコリと微笑むと、チェスターの美しいブルーの瞳から涙が一筋流れた。
「……本当に僕のこと好き?」
「ええ、大好きよ」
「嬉しい。どうしよう……夢みたいだ」
チェスターは私を強く抱き締め、ぐずぐずと泣き出した。社交界ではクールで格好良くて完璧だと言われているチェスターが、こんな風になるのはきっと私の前だけだろう。
紳士的で大人な男性が好みだったはずなのに、私は泣いているチェスターをとても可愛いと思ってしまった。
「……ごめん。僕格好悪いね。ジェシカ姉さんの前では、スマートな大人でいたいのに」
「ううん、いいの。チェスター、可愛い」
「可愛いって……嬉しくないよ」
「今は可愛いけど、守ってくれた時はとても格好良かった」
そう伝えると、チェスターは頬を染めて照れていた。
「ジェシカ姉さん……いや、もう姉さんって呼ぶのはやめる。弟役はもう終わりにしたいから」
「ええ」
「僕はジェシカを幸せにする。だから、僕と結婚して欲しい」
「……はい、喜んで」
私たちはそのまま、初めての口付けをした。軽く触れるだけだったが、胸がドキドキして張り裂けそうだった。
「私もチェスターを幸せにするね」
「……僕はもう世界一の幸せ者だよ」
嬉しそうにへにゃりと笑ったチェスターは、私の頬を大きな手で包み込んで二度目の口付けをした。
その深く濃厚な口付けは、甘く激しくて私は頭がクラクラした。驚いてチェスターの胸を叩くと、その手に指を絡められ……さらに深く吸いつかれた。
「んんっ……ちょ、ちょっと待って」
私は真っ赤になって、チェスターを必死に止めた。そんなに急に全力を出されたら、気持ちも身体もついていけない。
チェスターは私を見つめながら、濡れた自分の唇をペロリと舐めた。美しい男のその色っぽい仕草は、なかなかの破壊力だ。
「もう待てないよ」
「チェスターが普段と違いすぎて……こ、困る」
「どう困るの?」
耳元で優しく囁かれて、私はビクッと身体が跳ねた。
「胸がドキドキしすぎて……張り裂けそうで……困る」
素直にそう伝えると、チェスターは目を大きく見開きニッと意地悪な笑みを見せた。
「そんな可愛い理由なら、遠慮しないよ」
「ええっ?」
「ジェシカ、愛してる。そのままずっと僕にドキドキしていて」
私はそのままチェスターに数え切れないほどのキスをされた。今までよく弟の仮面を被って我慢していたと思うほど、チェスターは私への激しい愛情を存分に伝えてくれた。
♢♢♢
あんなに文句を言っていた割に、お父様は私の優勝が嬉しかったらしくお祝いの準備をして家で私の帰りを待っていてくれた。
そこに私がチェスターと手を繋いで帰って来たので、我が家はそのまま夜通しパーティが続いた。もちろんチェスターも飛び入り参加だ。
「チェスター、本当にありがとう! このじゃじゃ馬娘を貰ってくれて」
「ラルフさん、とんでもありません。僕は幼い頃からずっと、ジェシカのことを好きだったんですから」
私とチェスターが恋人になったと知って、泣いて喜んだのはお父様だった。
お父様も幼い頃からチェスターを知っているし、親同士も仲良しだ。その上、顔も頭もいいチェスターと私が結婚することは大賛成だった。
「言動は色々問題があるが、とても賢くて優しい娘なんだ。末永く頼む」
「ええ、彼女のこのはよくわかっていますから。安心してください」
お父様の色々問題あるって発言は、失礼すぎるんだけど……と思いながらも私は黙って話を聞いていた。一応褒められてはいるみたいだし。
「そうだ……もうジェシカとすぐに結婚してくれ! 昔から知っているのだから、婚約も何もないだろう! お互い気が変わらないうちに」
「いいのですか?」
「当たり前じゃないか! チェスターは今日から私の息子だ」
「ありがとうございます、お義父さん!」
なんて調子の良いことを言い出して、婚約期間をすっ飛ばしてすぐに結婚することになった。
「最近はマッチング婚なんかが流行っているらしいが、やっぱりよく知っている同士で結婚するのが一番いい!」
「はは、そうですね。そんなもの、僕たちには関係ないことです」
若者文化反対派の古くさい思考のお父様の言葉に、チェスターは何事もなかったかのように話を合わせている。
「……本当はマッチング婚でもあるんだけどね」
「ジェシカ、それはラルフさんの前では絶対に言わない約束だよね」
私がボソリと呟くと、チェスターにギロリと睨まれた。美形が本気で怒るとものすごく怖いので、私はいらないことを言うのをやめた。
「チェスターのおじ様とおば様に挨拶する前に、こんな大事なこと決めちゃっていいの? お父様本気にしているわよ」
「もちろん。僕は五歳から、ジェシカの旦那さんになるって言っていたからね。むしろ『早く捕まえて来い』って言われていたくらいだよ。父上も母上もジェシカのこと大好きだからね」
「……え、五歳から?」
「そうだよ。だからラルフさんにも、常に気に入られるように頑張っていたんだよ」
ニッと悪戯っぽく笑ったチェスターを見て、私は驚いた。確かにチェスターは私の両親やお兄様、それどころか我が家の使用人たちからも好かれている。まさかそれも作戦だったとは、恐れ入った。
「チェスターが、こんなに計画的な男だったなんて」
「ジェシカを手に入れるためならなんだってするさ。誰にも渡したくなかったしね」
「……そ、そう。でも私なんかのどこが良かったのよ? あなたみたいにモテないのに」
私がそう言うと、チェスターはさも当然のようにペラペラと話しだした。
「そんなのいくらでも言えるよ! まずは優しくて正義感が強いところ。馬に乗ってる姿も格好いい。それに、努力家で負けず嫌いなところも好きだな。元気で明るいところも羨ましいし、赤いくりくりした目も可愛いし、柔らかい髪もずっと触れていたくなる。抱き締めたらいい匂いがするし……」
大きな声で褒めだしたチェスターの口を、私は慌てて手で塞いだ。
「ちょっと、恥ずかしいからやめて!」
「どうして? まだ一割くらいしか話していないよ」
「もういいから! わかったから」
チェスターはくすりと笑い、照れている私の顔の近くに寄せて甘い声で囁いた。
「じゃあ、一生かけて全部伝えるね」
「ええっ!」
「年上にはなれないけど、ジェシカ好みのいい男になるから」
そのまま頬にちゅっとキスをしたチェスターを見て、私は真っ赤に頬を染めた。自分がこんなにドキドキする日が来るだなんて思ってもみなかった。
私の結婚相手の理想は、私をありのまま認めて甘やかしてくれる男性だった。それはうんと年上の人じゃないと叶わない願いだと勝手に思っていたが、そうではなかったようだ。
「これからは、ジェシカの身も心もとろとろに甘やかすから」
「み……み……身も!?」
「もちろん」
私はこれからどうなってしまうのか、心配になってきた。私の想像する甘やかすと、彼の想像する甘やかすに見解の違いがありそうな気がするからだ。
「覚悟しておいてね」
チェスターは色っぽく目を伏せて、フッと微笑んだ。
私はチェスターのことを可愛い天使だと思っていたのに、どうやら彼は綺麗な顔をした小悪魔だったようだ。
「……お手柔らかにお願いします」
「善処するね」
ふふっと幸せそうに笑うチェスターを見て、私より一枚も二枚も上手な気がした。
「恋愛に年齢って関係ないわね」
近くにいたのにとても遠回りをした気もするが、この恋はあのマッチングがあったから気が付けたことだ。
どうやら偽のプロフィールで始めたマッチング相手が、私の運命の人だったようです。
END
--------
お読みいただきありがとうございました。
本編はこれで完結になります。
次回、チェスター視点の番外編を一話投稿します。
「ハイッ」
私は掛け声をあげながら巧みにルルーを動かし、障害物を次々と飛び越えていった。
観客たちは私とルルーが颯爽と駆け抜ける姿に、驚いているようだった。大会に出るのは初めてなので、みんな私の実力を知らないからだ。
「ドゥドゥ、よくやったわ。ルルー、偉いわね」
「ブルル……」
「よしよし」
ルルーにご褒美をやり、スタート地点に戻ってきた。あと一種目競技があるが、私の優勝は決まったようなものだ。
「ジェシカ嬢はすごいな! あんなに乗馬が上手かったのか」
「伯爵家の御令嬢なのに、なかなか凛々しいですね」
「男に混じって、女があんなことをするなんてはしたない」
「女性とは思えません。ジェシカ様、とっても格好良いですわ」
どうやら賛否両論様々な意見が飛び交っているようだ。でもこんなことは予想範囲内なので、驚くことではない。
「このじゃじゃ馬が。女が男の領域に出てくるんじゃねぇよ」
「……」
「今でもモテないのに、完全に嫁の貰い手がなくなるぞ」
「あはは、まあ乗馬してなくても結果は一緒かもしれねぇけどな」
「そりゃそうか。女らしさのかけらもねぇしな」
さっき私に負けた二位や三位の貴族令息たちが、わざわざ嫌味を言ってきた。馬鹿にするようにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
「……あなた達に関係ないことだわ」
「あーあ、本当に可愛くねぇな。女は大人しく男の言うことだけ聞いていればいいんだよ! 大会は棄権しろよ」
二位の男にドンと突き飛ばされて、私は後ろによろめいた。床に倒れると思った瞬間、何か大きなものに身体を包まれた。
「彼女の魅力がわからないなんて、目が悪いんですね?」
「……っ!」
「それに自分の実力がなくて負けているのに、人の悪口とは。格好悪いですね」
その低い声を出しのは、チェスターだった。どうやら私を守ってくれたらしい。いつこんなに逞しい身体になったのだろうか?
「なんだと!」
「その屑な言動、モテないあなた方らしいです」
チェスターがニコリと笑いながら、そう言うと男たちは怒りでブルブルと震えていた。
「チェスター……?」
「ジェシカ姉さん、大丈夫? 助けるの遅くなってごめんね」
怒っている男たちは、そのまま勢いよく殴りかかってきた。
「お前ちょっと顔がいいからって、調子に乗りやがって!」
「チェスター危ない。逃げて」
あの弱虫だったチェスターが、こんな風に助けてくれるなんて私は信じられなかった。気持ちはとても嬉しかったが、私がどうにかして守らないと。
私は震えながら、チェスターを庇うように必死に手を広げた。
「……ジェシカ姉さんは昔から変わってないね」
そのチェスターの呟きが聞こえてきた瞬間、男たちはみんな倒れていた。チェスターが、一瞬で叩きのめしたからだ。
「チェスター……すごい」
「毎日鍛えてるからね。これからはジェシカ姉さんを守るのは僕の役目だよ。危ない時は絶対に前に出てきちゃダメだからね。ジェシカ姉さんはレディなんだから」
レディ扱いされて驚いている私に、チェスターは目を細めてくしゃりと笑った。
私はチェスターは弟なんかではなく、立派な大人の男性なのだと自覚してしまい……急に恥ずかしくなった。胸がバクバクとうるさく鳴っている。
「あれ、ジェシカ姉さん。なんか顔が赤いけど大丈夫?」
「きゃっ! う、うん。ごめん、大丈夫よ」
チェスターに頬を触られて、私は悲鳴をあげてしまった。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
私は左右に頭をぶんぶんと振った。チェスターは不思議そうに首を傾げている。
「お前、こんなことしてタダで済むと思うなよ」
倒された貴族令息たちが、よろよろと立ち上がってきた。
「あーあ、本当に可愛くねぇな。女は大人しく男の言うことだけ聞いていればいいんだよ! 大会は棄権しろよ」
その時、さっき男が私に言った言葉が聞こえてきた。
「魔電って便利ですよね。こんな風に録音もできる」
チェスターはわざわざ魔電を見せながら、ニッコリと笑った。とてもゾッとする嘘の笑顔だ。
「お前……! さっきの録音してたのか」
「これを大会の運営に提出したら罰せられるのは、あなた方でしょうね? あと世のレディたちにこれを聞かせたらどうなりますかね。こんなレディを馬鹿にしてる男、僕が女なら絶対に嫌だな。そういえば、あなた方……婚約者がいらっしゃいましたっけ?」
チェスターにそう言われて、男たちはサーっと青ざめた。
「僕たちの前に二度と現れるな。それで見逃してやる」
鋭い目でギロリと睨みつけると、男たちは「くそっ」と言いながらその場を去って行った。
「……馬鹿な奴ら」
ふうとため息をつき、チェスターはくるりと振り向いて私の頭をポンポンと優しく撫でてくれた。
「ジェシカ姉さん、もう心配はいらないよ」
「た、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。最後まで頑張ってね。馬に乗っているジェシカ姉さんは、誰よりも輝いているんだから!」
私はチェスターの言葉にハッとした。それは、どこかで聞いたことがあったからだ。
両親の反対を押し切って大会に参加した。みんなが反対しても、チェスターとブルー様だけは応援をしてくれた。だからこそ、私は一番を取らなければいけない。
「……頑張ってくるわ。見てて」
競技のスタート地点に向かった。どうやらさっきの男たちは来ていないようなので、自分から棄権をしたらしい。
私は髪についているブルーのリボンをひと撫でし、精神を集中させた。
「ハイッ」
私はルルーと一緒に、大会の会場を一気に駆け抜けた。そして誰よりも美しく、誰よりも高く飛んだ。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
私はダントツで一位になり、表彰された。恐らく、あの男たちが参加していたとしても勝っていただろうことは明白だった。
観客たちから大きな拍手を受け、誇らしい気持ちだった。
「チェスターにお礼を言わないと」
しかし客席を見渡したが、チェスターはどこにもいなかった。競技中は、彼の声がしていたので絶対に見てくれていたはずなのに。
その時、魔電がピコンと音を立てた。それは久しぶりのブルー様からのメッセージだった。
【ずっと連絡しなくてすみません。優勝おめでとうございます。ベリー様、やはりあなたは誰よりも輝いていました。しかしあなたが本当はとても若いことに驚きました。やはり、私はあなたに逢う勇気がありません】
【嘘をついてごめんなさい。今、どこにいらっしゃいますか? 直接謝りたいです】
【いいえ、もう終わりにしましょう。今までありがとうございました。さようなら】
そのメッセージを見て、私はある場所に向かって走り出した。
――きっと彼はあの場所にいるはずだ。
「さよならなんて嫌だわ!」
私はブルー様の肩を後ろから掴んで、泣きながら叫んだ。
「どうしてここが……?」
「わかるわよ。あなたは傷付いた時はいつも湖のほとりに隠れているもの」
「そっか。やっぱりジェシカ姉さんには敵わないな」
困ったようにハの字に眉を下げたブルー様ことチェスターを、私は抱き締めた。
「ブルー様はあなただったのね、チェスター」
「そうだよ。ごめんね、嘘をついて」
「私こそ今まで気が付かなくてごめんなさい」
よく考えたら私の本の好みを知っているのも、優しい声かけも、いつでも味方でいてくれるのも……全部全部チェスターそのものではないか。
そして、透き通った空のようなブルーの瞳。むしろ今までなぜ気がつかなかったのだろう。
「僕はジェシカ姉さんが好きなんだ。幼い頃から一人の女性として愛してる。どうしても、僕自身を見て欲しくて、マッチングの話を聞いて利用しようと思ったんだ」
「……」
「プロフィールの画面を見せてくれた時に、ジェシカ姉さんの登録内容を必死に覚えて……あとで検索したんだ」
あの時、食い入るように画面を見ていたのはマッチングに興味があったわけではなかったのね。
「もし僕が年下じゃなかったら、恋愛対象になるのかなってずっと思っていたから。でも、いざやり取りを始めたら……すごく楽しくて……本当は僕だって知られて嫌われるのが怖くて言い出せなかった」
チェスターは詰まりながら、小さな声でボソボソと話しはじめた。
「正体を隠していたとしても、ジェシカ姉さんに好かれて嬉しかった。だけど関係が深くなるたびに……本当のことを言ったら、傷つけるって不安になってきた。だから、ブルーの自分は消えようと思ったんだ」
「私こそごめん。チェスターの気持ち全然わかっていなかった。年齢ばかり気にして……大事なことを見失って、あなたを傷付けていたわ」
「……ジェシカ姉さん」
「私もチェスターが好きだってやっと気が付いたの。いつも私を支えてくれてありがとう」
私がニコリと微笑むと、チェスターの美しいブルーの瞳から涙が一筋流れた。
「……本当に僕のこと好き?」
「ええ、大好きよ」
「嬉しい。どうしよう……夢みたいだ」
チェスターは私を強く抱き締め、ぐずぐずと泣き出した。社交界ではクールで格好良くて完璧だと言われているチェスターが、こんな風になるのはきっと私の前だけだろう。
紳士的で大人な男性が好みだったはずなのに、私は泣いているチェスターをとても可愛いと思ってしまった。
「……ごめん。僕格好悪いね。ジェシカ姉さんの前では、スマートな大人でいたいのに」
「ううん、いいの。チェスター、可愛い」
「可愛いって……嬉しくないよ」
「今は可愛いけど、守ってくれた時はとても格好良かった」
そう伝えると、チェスターは頬を染めて照れていた。
「ジェシカ姉さん……いや、もう姉さんって呼ぶのはやめる。弟役はもう終わりにしたいから」
「ええ」
「僕はジェシカを幸せにする。だから、僕と結婚して欲しい」
「……はい、喜んで」
私たちはそのまま、初めての口付けをした。軽く触れるだけだったが、胸がドキドキして張り裂けそうだった。
「私もチェスターを幸せにするね」
「……僕はもう世界一の幸せ者だよ」
嬉しそうにへにゃりと笑ったチェスターは、私の頬を大きな手で包み込んで二度目の口付けをした。
その深く濃厚な口付けは、甘く激しくて私は頭がクラクラした。驚いてチェスターの胸を叩くと、その手に指を絡められ……さらに深く吸いつかれた。
「んんっ……ちょ、ちょっと待って」
私は真っ赤になって、チェスターを必死に止めた。そんなに急に全力を出されたら、気持ちも身体もついていけない。
チェスターは私を見つめながら、濡れた自分の唇をペロリと舐めた。美しい男のその色っぽい仕草は、なかなかの破壊力だ。
「もう待てないよ」
「チェスターが普段と違いすぎて……こ、困る」
「どう困るの?」
耳元で優しく囁かれて、私はビクッと身体が跳ねた。
「胸がドキドキしすぎて……張り裂けそうで……困る」
素直にそう伝えると、チェスターは目を大きく見開きニッと意地悪な笑みを見せた。
「そんな可愛い理由なら、遠慮しないよ」
「ええっ?」
「ジェシカ、愛してる。そのままずっと僕にドキドキしていて」
私はそのままチェスターに数え切れないほどのキスをされた。今までよく弟の仮面を被って我慢していたと思うほど、チェスターは私への激しい愛情を存分に伝えてくれた。
♢♢♢
あんなに文句を言っていた割に、お父様は私の優勝が嬉しかったらしくお祝いの準備をして家で私の帰りを待っていてくれた。
そこに私がチェスターと手を繋いで帰って来たので、我が家はそのまま夜通しパーティが続いた。もちろんチェスターも飛び入り参加だ。
「チェスター、本当にありがとう! このじゃじゃ馬娘を貰ってくれて」
「ラルフさん、とんでもありません。僕は幼い頃からずっと、ジェシカのことを好きだったんですから」
私とチェスターが恋人になったと知って、泣いて喜んだのはお父様だった。
お父様も幼い頃からチェスターを知っているし、親同士も仲良しだ。その上、顔も頭もいいチェスターと私が結婚することは大賛成だった。
「言動は色々問題があるが、とても賢くて優しい娘なんだ。末永く頼む」
「ええ、彼女のこのはよくわかっていますから。安心してください」
お父様の色々問題あるって発言は、失礼すぎるんだけど……と思いながらも私は黙って話を聞いていた。一応褒められてはいるみたいだし。
「そうだ……もうジェシカとすぐに結婚してくれ! 昔から知っているのだから、婚約も何もないだろう! お互い気が変わらないうちに」
「いいのですか?」
「当たり前じゃないか! チェスターは今日から私の息子だ」
「ありがとうございます、お義父さん!」
なんて調子の良いことを言い出して、婚約期間をすっ飛ばしてすぐに結婚することになった。
「最近はマッチング婚なんかが流行っているらしいが、やっぱりよく知っている同士で結婚するのが一番いい!」
「はは、そうですね。そんなもの、僕たちには関係ないことです」
若者文化反対派の古くさい思考のお父様の言葉に、チェスターは何事もなかったかのように話を合わせている。
「……本当はマッチング婚でもあるんだけどね」
「ジェシカ、それはラルフさんの前では絶対に言わない約束だよね」
私がボソリと呟くと、チェスターにギロリと睨まれた。美形が本気で怒るとものすごく怖いので、私はいらないことを言うのをやめた。
「チェスターのおじ様とおば様に挨拶する前に、こんな大事なこと決めちゃっていいの? お父様本気にしているわよ」
「もちろん。僕は五歳から、ジェシカの旦那さんになるって言っていたからね。むしろ『早く捕まえて来い』って言われていたくらいだよ。父上も母上もジェシカのこと大好きだからね」
「……え、五歳から?」
「そうだよ。だからラルフさんにも、常に気に入られるように頑張っていたんだよ」
ニッと悪戯っぽく笑ったチェスターを見て、私は驚いた。確かにチェスターは私の両親やお兄様、それどころか我が家の使用人たちからも好かれている。まさかそれも作戦だったとは、恐れ入った。
「チェスターが、こんなに計画的な男だったなんて」
「ジェシカを手に入れるためならなんだってするさ。誰にも渡したくなかったしね」
「……そ、そう。でも私なんかのどこが良かったのよ? あなたみたいにモテないのに」
私がそう言うと、チェスターはさも当然のようにペラペラと話しだした。
「そんなのいくらでも言えるよ! まずは優しくて正義感が強いところ。馬に乗ってる姿も格好いい。それに、努力家で負けず嫌いなところも好きだな。元気で明るいところも羨ましいし、赤いくりくりした目も可愛いし、柔らかい髪もずっと触れていたくなる。抱き締めたらいい匂いがするし……」
大きな声で褒めだしたチェスターの口を、私は慌てて手で塞いだ。
「ちょっと、恥ずかしいからやめて!」
「どうして? まだ一割くらいしか話していないよ」
「もういいから! わかったから」
チェスターはくすりと笑い、照れている私の顔の近くに寄せて甘い声で囁いた。
「じゃあ、一生かけて全部伝えるね」
「ええっ!」
「年上にはなれないけど、ジェシカ好みのいい男になるから」
そのまま頬にちゅっとキスをしたチェスターを見て、私は真っ赤に頬を染めた。自分がこんなにドキドキする日が来るだなんて思ってもみなかった。
私の結婚相手の理想は、私をありのまま認めて甘やかしてくれる男性だった。それはうんと年上の人じゃないと叶わない願いだと勝手に思っていたが、そうではなかったようだ。
「これからは、ジェシカの身も心もとろとろに甘やかすから」
「み……み……身も!?」
「もちろん」
私はこれからどうなってしまうのか、心配になってきた。私の想像する甘やかすと、彼の想像する甘やかすに見解の違いがありそうな気がするからだ。
「覚悟しておいてね」
チェスターは色っぽく目を伏せて、フッと微笑んだ。
私はチェスターのことを可愛い天使だと思っていたのに、どうやら彼は綺麗な顔をした小悪魔だったようだ。
「……お手柔らかにお願いします」
「善処するね」
ふふっと幸せそうに笑うチェスターを見て、私より一枚も二枚も上手な気がした。
「恋愛に年齢って関係ないわね」
近くにいたのにとても遠回りをした気もするが、この恋はあのマッチングがあったから気が付けたことだ。
どうやら偽のプロフィールで始めたマッチング相手が、私の運命の人だったようです。
END
--------
お読みいただきありがとうございました。
本編はこれで完結になります。
次回、チェスター視点の番外編を一話投稿します。
応援ありがとうございます!
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