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本編
5 甘い香り
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私は素早く身なりを整え、リビングに下りた。もちろん旦那様とモーニングを一緒に食べるためだ。彼も特段嫌がる素振りも見せないので、そのまま向かい合わせに座った。
「旦那様、このコーンスープが濃厚で美味しいですよ」
私はスープを飲みながら、そのあまりの美味しさにへにゃりと頬が緩んだ。
旦那様は私をじっと見つめている。その真っ直ぐ射抜くような視線に、私は戸惑いを覚えた。
また食べ物の話かと呆れられている?それとも貴族たるもの食事の席で感情を出すな、と怒られるのだろうか?ファンタニエ家できちんと貴族令嬢としての教養やマナーは教え込まれている。あの飢饉があるまでは、淑女教育もしっかり受けていた。
でも我が家は食事の時はわいわい楽しく話しながら食べていたのだ。もちろん外では品よく食べなさい、と口酸っぱく言われていたけれど。
「不思議と君がそう言うと美味そうに思える」
旦那様はフッと少しだけ笑って、スープをスプーンですくって飲んだ。
「美味そうじゃなくて、本当に美味しいんです!」
「ああ……確かに美味いな」
食卓での会話はそれで終わりになったけれど、普通に話してくれた。それだけで嬉しい。そしてまた玄関にお見送りに行く。
「旦那様、行ってらっしゃいませ!」
「……ああ、行ってくる」
新婚だから行ってきますのキスくらいしてくれたらいいのに、彼は全くその気がないらしくすぐに出て行ってしまう。
さてと……お見送りもしたし、これからは私のお勉強の時間だ。女主人になるために覚えなくてはいけないことが山ほどある。この家やベルナール公爵家のことをよく知る執事のテッドを先生に、様々なことを教えてもらうことにしたのだ。
まだ旦那様は爵位を継いでいないとはいえ、私と結婚したことでお茶会やパーティーのお誘いも山程来ている。彼は社交が苦手らしくあまり参加されないそうなのだが、それを取捨選択して選び返事も返さなくてはいけない。
「私も一緒にさせていただきますので」
テッドが行くべきかの基準を示してくれるので、かなりありがたい。
「ええ、助かるわ。私だけじゃどのお方が大切かわからないもの。それに伯爵家とはお誘いの量が桁違いで驚いたわ」
「爵位を継がれたらさらに増えるかと。しかし権力に擦り寄りたいだけの輩も沢山いるので、気を付けねばなりません」
そうか、そう言う心配もあるのね。みんなが善意のお誘いではないなんて大変だわ。
「でも奥様、徐々にで大丈夫ですよ。無理をしては続きませんから」
その優しい言葉に励まされながら、私は少しずつ色んなことを覚えていった。
ある日いつもの勉強部屋に見慣れない美しいガラスのペンが数本置かれていた。うわぁ……すごい細工で高そう。
「テッド、これは何?綺麗なペンね」
「これは旦那様から奥様にとプレゼントですよ。奥様が色々と頑張っていらっしゃるのをお知りになって、感謝されていました」
ええ!?そうなの?そんな素振り一切見せないのに。私は嬉しくてペンを見つめてニヤニヤしてしまった。
その日帰ってきた旦那様に「ペンありがとうございます!」と勢いよく抱きついたら、数秒で身体を引き剥がされたが「……気に入ったならよかった」と言って下さった。
それからも旦那様からさりげなく王都で超人気のお菓子の差し入れがあったり、勉強の時に『髪の毛が邪魔だわ』なんてテッドにうっかり漏らした次の日には、旦那様から可愛い髪留めが贈られた。
普段は私に興味がなさそうなのに……なんて旦那様は優しいの!毎日私が何をしているか気にかけてくださってるってことよね?
お礼を言ったら「礼を言われるほどのことじゃない」なんてぶっきらぼうに言われてしまった。でも私は嬉しくて仕方がなかった。
そんな生活が三ヶ月程経過したが、私と旦那様との距離は変わっていない。あの抱き締められながら寝た日を境に彼ははっきりと『寝室は別にする』と告げたのだ。それはもう一生『妻』にする気はないと言われたようで、かなりショックを受けた。二つ立てた目標の一つが無理になってしまったのだ。
『俺は結婚自体する気はなかった。最初は後継だなんだと言ったが……元々は親戚の子を養子にすればいいと考えていたのだから、俺達が子作りをする必要はないと気が付いた。安心しろ』
何が安心しろ、だ。好みでない女を抱かなくて良いと安心したのは旦那様の方ではないか。そんなこんなで、私達は未だに清い関係でキスすらも初夜以来全くしていなかった。
だけどほんの僅かに、少しだけ近付いたような気もする。話しかけたら数回に一度は話してくれるようになった。そしてお出迎えも毎日続けた結果……最近は『行ってくる』と『ただいま』の後に頬にキスをしてくれるようになった。
これはある日、私が冗談っぽく言ったのが始まりだ。
『旦那様、私達新婚ですから行ってきますのキスくらいしてもいいと思うんです』
『……君は一体何を言い出すんだ』
その時の彼は頬を染め、照れているようだった。なんか可愛い反応。恥ずかしいのかしら?
『だめですか?だって私の読んでいる恋愛小説では、夫婦はそれが普通だと書いてありましたよ!』
私があからさまにしゅんとした態度を見せると、彼は眉を顰めてふう、と大きなため息をついた。嫌われたかなと反省して、私は何事もなかったかのように取り繕った。
『なーんて、冗談……』
ちゅっ
急に彼の顔が近付き、頬にキスをされた。私はいきなりでびっくりして身体中真っ赤に染まった。
『……これでいいんだろう。行ってくる』
旦那様はそのまま振り向かずに玄関を出て行った。私はキスされた頬を手でおさえてそのままヘナヘナと床にしゃがみこんだ。ドキドキドキドキ……胸の鼓動が早くなった。頬のキスで照れる夫婦がどこにいるのかと思うが、私達には触れ合う機会がほとんどないので仕方がない。
それからは一日に二回、頬にキスをされる生活が続いている。ちなみに私は彼がどんなに朝早くでも起きているし、どんなに夜遅くても待っている。それくらいしか私にはできないから。
しかし旦那様からは今夜は大きな討伐を終えた打ち上げが騎士団であるらしく、遅くなるので先に寝ているように言われていた。
だけど帰って来られるのなら出来るだけ待ちたいと、そう思っていた私は刺繍をしながら待っていた。これは旦那様に渡そうと思っているハンカチだ。凝った図案にしたので、時間がかかるがお守りにしてもらおうと思っていた。
「奥様、無理はなさならいでくださいませ。騎士団の飲み会は朝まで続くなんてことザラですから」
「そうなのね……」
私はチラリと時計を見る。もう日付が変わってしまっているので、寝るべきなのだろう。騎士の男性はお酒を沢山飲む方が多いと聞く。ちなみに旦那様もかなりの酒豪らしい。
「もう寝るわね」
そう言った時に、外から旦那様が帰ってくる気配がした。私は「帰ってこられたわ!」と嬉しくなってぴょんと勢いよくソファーから下り、はしたないけれど走って玄関に向かった。
この家の使用人達は、私がお出迎えの時に走るのだけは見逃してくれる。
「お帰りなさいませ!旦那様っ!」
私が笑顔で出迎えると、彼は私を見て蕩けるような甘い笑顔を見せた。
――ちょっと待って、なんですか?その顔は!?
頭の中がパニックになっていると、旦那様は私の顔を強引に両手で包み込んだ。
「……ただいま」
そしてそのまま強引に何度も濃厚なキスを唇にされて、抱き締められた。
ちゅ、ちゅっ……くちゅっ……
激しいキスと強いアルコールの匂いで、頭も心もクラクラして何も考えられない。
周囲にいる使用人達が息を潜めたのがわかった。私にほとんど触れない旦那様が、こんなことをしているのだ。そりゃあ驚くだろう。私だって驚いて身体がカチンと固まった。
「可愛い……俺の……大事な天使」
彼の胸の中でそんな嬉しいを言われたら、普段なら飛び跳ねて喜んでいるところだ。だけど……今夜は喜べなかった。
なぜなら彼の身体から甘くセクシーな女物の香水の匂いがしたからだ。こんなに香りがうつる程、女性の近くにいたの?
――いつもの彼の匂いじゃない。
私は涙が溢れそうだった。そもそも旦那様に『可愛い』なんて言われるはずがない。だって彼の好みではないのだから。
――あなたは誰と勘違いして私を抱き締めているの?
彼の大事な天使は一体誰なのだろうか?
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「ああ……確かに美味いな」
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「旦那様、行ってらっしゃいませ!」
「……ああ、行ってくる」
新婚だから行ってきますのキスくらいしてくれたらいいのに、彼は全くその気がないらしくすぐに出て行ってしまう。
さてと……お見送りもしたし、これからは私のお勉強の時間だ。女主人になるために覚えなくてはいけないことが山ほどある。この家やベルナール公爵家のことをよく知る執事のテッドを先生に、様々なことを教えてもらうことにしたのだ。
まだ旦那様は爵位を継いでいないとはいえ、私と結婚したことでお茶会やパーティーのお誘いも山程来ている。彼は社交が苦手らしくあまり参加されないそうなのだが、それを取捨選択して選び返事も返さなくてはいけない。
「私も一緒にさせていただきますので」
テッドが行くべきかの基準を示してくれるので、かなりありがたい。
「ええ、助かるわ。私だけじゃどのお方が大切かわからないもの。それに伯爵家とはお誘いの量が桁違いで驚いたわ」
「爵位を継がれたらさらに増えるかと。しかし権力に擦り寄りたいだけの輩も沢山いるので、気を付けねばなりません」
そうか、そう言う心配もあるのね。みんなが善意のお誘いではないなんて大変だわ。
「でも奥様、徐々にで大丈夫ですよ。無理をしては続きませんから」
その優しい言葉に励まされながら、私は少しずつ色んなことを覚えていった。
ある日いつもの勉強部屋に見慣れない美しいガラスのペンが数本置かれていた。うわぁ……すごい細工で高そう。
「テッド、これは何?綺麗なペンね」
「これは旦那様から奥様にとプレゼントですよ。奥様が色々と頑張っていらっしゃるのをお知りになって、感謝されていました」
ええ!?そうなの?そんな素振り一切見せないのに。私は嬉しくてペンを見つめてニヤニヤしてしまった。
その日帰ってきた旦那様に「ペンありがとうございます!」と勢いよく抱きついたら、数秒で身体を引き剥がされたが「……気に入ったならよかった」と言って下さった。
それからも旦那様からさりげなく王都で超人気のお菓子の差し入れがあったり、勉強の時に『髪の毛が邪魔だわ』なんてテッドにうっかり漏らした次の日には、旦那様から可愛い髪留めが贈られた。
普段は私に興味がなさそうなのに……なんて旦那様は優しいの!毎日私が何をしているか気にかけてくださってるってことよね?
お礼を言ったら「礼を言われるほどのことじゃない」なんてぶっきらぼうに言われてしまった。でも私は嬉しくて仕方がなかった。
そんな生活が三ヶ月程経過したが、私と旦那様との距離は変わっていない。あの抱き締められながら寝た日を境に彼ははっきりと『寝室は別にする』と告げたのだ。それはもう一生『妻』にする気はないと言われたようで、かなりショックを受けた。二つ立てた目標の一つが無理になってしまったのだ。
『俺は結婚自体する気はなかった。最初は後継だなんだと言ったが……元々は親戚の子を養子にすればいいと考えていたのだから、俺達が子作りをする必要はないと気が付いた。安心しろ』
何が安心しろ、だ。好みでない女を抱かなくて良いと安心したのは旦那様の方ではないか。そんなこんなで、私達は未だに清い関係でキスすらも初夜以来全くしていなかった。
だけどほんの僅かに、少しだけ近付いたような気もする。話しかけたら数回に一度は話してくれるようになった。そしてお出迎えも毎日続けた結果……最近は『行ってくる』と『ただいま』の後に頬にキスをしてくれるようになった。
これはある日、私が冗談っぽく言ったのが始まりだ。
『旦那様、私達新婚ですから行ってきますのキスくらいしてもいいと思うんです』
『……君は一体何を言い出すんだ』
その時の彼は頬を染め、照れているようだった。なんか可愛い反応。恥ずかしいのかしら?
『だめですか?だって私の読んでいる恋愛小説では、夫婦はそれが普通だと書いてありましたよ!』
私があからさまにしゅんとした態度を見せると、彼は眉を顰めてふう、と大きなため息をついた。嫌われたかなと反省して、私は何事もなかったかのように取り繕った。
『なーんて、冗談……』
ちゅっ
急に彼の顔が近付き、頬にキスをされた。私はいきなりでびっくりして身体中真っ赤に染まった。
『……これでいいんだろう。行ってくる』
旦那様はそのまま振り向かずに玄関を出て行った。私はキスされた頬を手でおさえてそのままヘナヘナと床にしゃがみこんだ。ドキドキドキドキ……胸の鼓動が早くなった。頬のキスで照れる夫婦がどこにいるのかと思うが、私達には触れ合う機会がほとんどないので仕方がない。
それからは一日に二回、頬にキスをされる生活が続いている。ちなみに私は彼がどんなに朝早くでも起きているし、どんなに夜遅くても待っている。それくらいしか私にはできないから。
しかし旦那様からは今夜は大きな討伐を終えた打ち上げが騎士団であるらしく、遅くなるので先に寝ているように言われていた。
だけど帰って来られるのなら出来るだけ待ちたいと、そう思っていた私は刺繍をしながら待っていた。これは旦那様に渡そうと思っているハンカチだ。凝った図案にしたので、時間がかかるがお守りにしてもらおうと思っていた。
「奥様、無理はなさならいでくださいませ。騎士団の飲み会は朝まで続くなんてことザラですから」
「そうなのね……」
私はチラリと時計を見る。もう日付が変わってしまっているので、寝るべきなのだろう。騎士の男性はお酒を沢山飲む方が多いと聞く。ちなみに旦那様もかなりの酒豪らしい。
「もう寝るわね」
そう言った時に、外から旦那様が帰ってくる気配がした。私は「帰ってこられたわ!」と嬉しくなってぴょんと勢いよくソファーから下り、はしたないけれど走って玄関に向かった。
この家の使用人達は、私がお出迎えの時に走るのだけは見逃してくれる。
「お帰りなさいませ!旦那様っ!」
私が笑顔で出迎えると、彼は私を見て蕩けるような甘い笑顔を見せた。
――ちょっと待って、なんですか?その顔は!?
頭の中がパニックになっていると、旦那様は私の顔を強引に両手で包み込んだ。
「……ただいま」
そしてそのまま強引に何度も濃厚なキスを唇にされて、抱き締められた。
ちゅ、ちゅっ……くちゅっ……
激しいキスと強いアルコールの匂いで、頭も心もクラクラして何も考えられない。
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「可愛い……俺の……大事な天使」
彼の胸の中でそんな嬉しいを言われたら、普段なら飛び跳ねて喜んでいるところだ。だけど……今夜は喜べなかった。
なぜなら彼の身体から甘くセクシーな女物の香水の匂いがしたからだ。こんなに香りがうつる程、女性の近くにいたの?
――いつもの彼の匂いじゃない。
私は涙が溢れそうだった。そもそも旦那様に『可愛い』なんて言われるはずがない。だって彼の好みではないのだから。
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