タバコと木札

藤ノ千里

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本編

第7話 ヘロヘロと胸騒ぎ

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 また翌朝も、やっぱりおじさんはあの建物にはいなくて、境内の掃除中に本殿の影から現れる。
 ヘロヘロでボロボロで、煙とお酒の匂い。
 あぁ、そうか、彼は夜通しあの儀式のようなものをしているのか。
「おはよー嬢ちゃん」
 おじさんはニッと笑う。きっと、私を心配させない為に。
 悲しいような嬉しいような不思議な感覚に、目頭が熱くなった。
 何か言おうとしたが、上手く言葉にならない。
「ちょい寝てくるな」
 そうしている間におじさんはいつもの建物に消えていく。
 お昼ご飯の時間にはきっちり起きてくるだろう。その時に、あの伝承について聞こう、と思った。


 今日のお昼ご飯はあさりの塩ラーメン。
 細いちぢれ麺が繊細なスープによく合った。
 私はいつものようにひと息に完食し、美味しさの余韻を噛み締めながら食休みを取っていた。
 目の前には食器を洗うおじさんの背中。
 仮眠をとってヘロヘロじゃなくなったおじさんは、いつも通りにしか見えなかった。
「ねぇ、おじさん」
「ん?」
「まがのお伝承って知ってる?」
 おじさんはすぐには答えなかった。その代わり、食器を洗い終わると私の正面に座った。
「曲がる方?」
 困ったような顔だった。
 ここに来てもまだ誤魔化そうとしているのか。
「禍つ方」
 視線を真っ直ぐに受け止める。
 おじさんは視線を逸らして頬を掻いて、それから今度は真剣な顔で私を見た。
「全部読んだ?」
 やっぱりおじさんはあの伝承を知っているのだ。
「読んだ。あれってここの話だよね?」
 おじさんは諦めたようにため息をつく。それが答えだった。
「夜やっているやつは何?」
「・・・早く帰れって言ったろうが」
 おじさんは眉をしかめて窓の外を見る。ポケットからタバコを取り出して、またしまった。
 そのまま数分間沈黙が流れる。
 ご飯前にお風呂に入ったのか、おじさんからは石鹸の匂いがした。
「・・・やっぱ言えねぇ」
 つぶやく声が聞こえる。
 おじさんの横顔は、最初に会った時より少しやつれてる気がした。
「でも、あと少しでなんとかできそうなんだわ」
 私には、おじさんのような不思議な力は無い。だから、おじさんの言葉が本当か嘘かも分からなかった。
「その木札がもし割れたら、それは終わったってことだから、もうバイトは来なくていいぞ」
 返事をするようにカランと音を立てる木札。貰った時よりだいぶ黒ずんでいて、もう小さい文字はほとんど見えない。
 それ以上おじさんは何も言わなかった。
 私は黙って席を立って。そのまま午後の仕事を始めることにした。


 夜の9時頃だった。
 私は、部屋で禍尾伝承を読んでいた。
 本当はこんな怖い話読みたくなかったが、水神様を封印した下りを何故か読んでおかなければならない気がしたのだ。
 水神様を封印した法師というのは北の霊峰からやってきたらしいが、もう一度封印をしてもらおうにも、ここに書いている内容だけではどこに頼めばいいかは分からない。
 だが、曲尾神社を建て封印ごと水神様を囲いこんだ陰陽師は、そのまま神社を治めることになったと書かれていた。
 つまり、あのおじさんは陰陽師だということになる。
 陰陽師。あのおじさんが、陰陽師。
 似合わなすぎて笑ってしまう。
 私の知るおじさんは、だらしなくてセンスがなくて、料理が上手くて優しくて、誤魔化すのは上手いのに嘘は下手で。
 そして、そう、陰陽師なんていう大それた事ができるようなそんな人ではなくて。
 もう一度、伝承を読む。
 封印したのは法師で、それを囲ったのは陰陽師で。
 おじさんは、封印はほとんど壊れてしまい、あとは表面しか残っていない状態と言っていなかっただろうか。
 おじさんが陰陽師なら法師は、封印は一体誰がするんだろうか。
 手元で木札がカランと揺れる。黒くなりすぎてもう「護」の文字が微かにしか読めない。
 胸騒ぎがして窓を開けた。
 曲尾神社の方に視線をやっても、暗くてよく見えない。
 いや、「黒い何か」でよく見えない。
 恐怖が寒気となって体を駆け上がり、全身に鳥肌が立つ。
 水神様だ。禍々しく、人を呪い殺す神だ。
 おじさんは今日もまたあの儀式をしているのだろうか。
 あの儀式であんなに巨大な神様をどうにかできるんだろうか。
「それは終わったってことだから」
 ふと、昼間のおじさんの言葉が蘇る。
 胸騒ぎがして、気づけば何も考えずに家を飛び出していた。
 一体何が終わるのか、私はおじさんに聞いていなかった。
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