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第五章 苦しい過去
第四十話 かねてよりの謀り
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元日の夜。
夜も更け、寺の者は皆寝静まっている時分。
私は、さして急ぎでもない文をしたためていた。
ある者を待っているからである。
あの者を待ちわびるのはおそらくこれが最初で最後になるであろうと思うと、どこか愉快ですらあった。
「道明様」
一松の声。来たか。
「よい、ゆけ」
表廊下の一松と内廊下の晴彦へ声をかけると、手筈通りに気配が遠のいてゆく。
さて、ここよりは私の手管しだいか。
静寂を乱す乱雑な足音が近づき、部屋の前へ来た。と共に障子が手荒に開かれる。
「道明僧正!」
仮にも僧ともあろう者が、堂舎をあのように扱うなどと嘆かわしい。
だが、あの様子だと上手く伝わっているようだ。
私は大仰に驚いた様を見せながら、その者の方を見た。
「秀仲様、いかがされたのですか?」
怪しく光る獣のような目、呼気は乱れ、苛立ちにも似た感情が伝わってくる。
秀仲様は、挨拶もせずに部屋に入ると先程より手荒に障子を閉めた。
「聞いたぞ、お主・・・」
ゆっくりとこちらに近づく。醜悪な面持ちに悪しき記憶が蘇るが、それも刹那。
驚いた演技は崩さず、文机から離れる。離れた先には布団があり、秀仲様の目にはさぞ扇情的に映るであろう。
思惑通り秀仲様の喉元からごくりと唾を飲む音を聞くと、畳み掛けるために布団の方へ目を伏せてやる。
袖で口元を隠せば、堪えきれなくなったのであろう、腕を乱雑に引かれた。
「およしくださいませ・・・」
小さな声で否を唱える。この者はこういう仕草を好むのは把握していた。
荒れた吐息が頬にかかる。反射で顔を逸らしてしまい、我ながら僅かに驚く。
この身を使う事など、今更であるというのに。
「お主、ワシが忘れられぬのであろう・・・!」
乱暴な手つきで体に触れられる。激しい嫌悪感。しかし、表には出さない。
「ワシを毎夜思うておると聞いたぞ・・・!」
引き倒されそうになるのを体を捩り逃れる。ちょうど良い具合に肌が露になった。
私が全霊で抵抗しないことに気づき、秀仲様の目が血走り始める。もはや周囲に気を配る余裕もないと見える。
声を上げるには今少しか。
無遠慮な手が着物の中へ伸びる。
「昔のようにまた可愛がってやろう」
瞬間、更なる嫌悪感と共に吐き気を覚えた。
僧門に入った日の夜、伸ばされたのと同じ手。蘇る痛みと屈辱。
否。今の私はあの頃の無力な童では無い。
「お止めくださいませ!秀仲様!」
なるたけ悲愴に聞こえるように声を上げる。
秀仲様が何か口にする前に、障子が再び荒々しく開かれた。
「何をされておいでか!!!」
その者は怒鳴り声を上げながら土足で踏み込んで来る。紅葉寺の僧兵、本郷殿だ。
正に程よい折りであった。本郷殿の目には、さぞかし秀仲様の悪行が非道に映った事であろう。
本郷殿が手荒く秀仲様を取り押さえ、続く僧兵が縄をかける。
「道明僧正様!大事ございませぬか!」
一松が大仰に私に駆け寄る。こやつの小芝居はなかなか板についておるので頼りになる。
着物を整えられながらちらりと秀仲様を伺う。
何やら聞くに絶えない戯言を吐いているが、あの場を目撃した者が耳を貸すわけもない。
沙汰を待つでもなく懲罰房に入れられるであろう。
あぁ、しかし、念の為今ひとつ釘を刺しておくか。
「秀仲様」
口元を袖で抑え、震え声を取り繕う。
下から見上げるように、秀仲様を睨め付けた。
「何をお聞きになったかは存じませぬが、噂の出処はお確かめになられた方が良いかと」
秀仲様の顔色がさっと変わる。これだけで察する事が出来るのであれば、初めから注意を払っておけば良いものを。
色狂いというものはまこと目を曇らせるものなのだな。
僧兵らは秀仲様を伴い部屋を後にする。
「詳しいお話はまた明朝」
言い残し、本郷殿も下がられた。
2人となると、一松も素を見せる。
「道明様、その、お体は・・・」
真に案じているのであろう。安心させるため笑顔を作り頭を撫でてやる。
「そなたのおかげで未遂だ、今日はもう下がれ」
なおも不安げな面持ちであったが、一松は素直に隣室へ下がった。
1人になると、人知れずため息が漏れる。
これで、あの娘へあの者の手が及ぶことはあるまい。
力づくで引かれた腕が痛む。ちりりと胸の奥で古傷が疼いた。
愛おしゅうて堪らぬあの娘。あの娘にだけは、あのような醜悪なものは見せる訳にはいかぬ。
無性に、あの娘の温もりが恋しくなり、口からはまたため息が漏れた。
夜も更け、寺の者は皆寝静まっている時分。
私は、さして急ぎでもない文をしたためていた。
ある者を待っているからである。
あの者を待ちわびるのはおそらくこれが最初で最後になるであろうと思うと、どこか愉快ですらあった。
「道明様」
一松の声。来たか。
「よい、ゆけ」
表廊下の一松と内廊下の晴彦へ声をかけると、手筈通りに気配が遠のいてゆく。
さて、ここよりは私の手管しだいか。
静寂を乱す乱雑な足音が近づき、部屋の前へ来た。と共に障子が手荒に開かれる。
「道明僧正!」
仮にも僧ともあろう者が、堂舎をあのように扱うなどと嘆かわしい。
だが、あの様子だと上手く伝わっているようだ。
私は大仰に驚いた様を見せながら、その者の方を見た。
「秀仲様、いかがされたのですか?」
怪しく光る獣のような目、呼気は乱れ、苛立ちにも似た感情が伝わってくる。
秀仲様は、挨拶もせずに部屋に入ると先程より手荒に障子を閉めた。
「聞いたぞ、お主・・・」
ゆっくりとこちらに近づく。醜悪な面持ちに悪しき記憶が蘇るが、それも刹那。
驚いた演技は崩さず、文机から離れる。離れた先には布団があり、秀仲様の目にはさぞ扇情的に映るであろう。
思惑通り秀仲様の喉元からごくりと唾を飲む音を聞くと、畳み掛けるために布団の方へ目を伏せてやる。
袖で口元を隠せば、堪えきれなくなったのであろう、腕を乱雑に引かれた。
「およしくださいませ・・・」
小さな声で否を唱える。この者はこういう仕草を好むのは把握していた。
荒れた吐息が頬にかかる。反射で顔を逸らしてしまい、我ながら僅かに驚く。
この身を使う事など、今更であるというのに。
「お主、ワシが忘れられぬのであろう・・・!」
乱暴な手つきで体に触れられる。激しい嫌悪感。しかし、表には出さない。
「ワシを毎夜思うておると聞いたぞ・・・!」
引き倒されそうになるのを体を捩り逃れる。ちょうど良い具合に肌が露になった。
私が全霊で抵抗しないことに気づき、秀仲様の目が血走り始める。もはや周囲に気を配る余裕もないと見える。
声を上げるには今少しか。
無遠慮な手が着物の中へ伸びる。
「昔のようにまた可愛がってやろう」
瞬間、更なる嫌悪感と共に吐き気を覚えた。
僧門に入った日の夜、伸ばされたのと同じ手。蘇る痛みと屈辱。
否。今の私はあの頃の無力な童では無い。
「お止めくださいませ!秀仲様!」
なるたけ悲愴に聞こえるように声を上げる。
秀仲様が何か口にする前に、障子が再び荒々しく開かれた。
「何をされておいでか!!!」
その者は怒鳴り声を上げながら土足で踏み込んで来る。紅葉寺の僧兵、本郷殿だ。
正に程よい折りであった。本郷殿の目には、さぞかし秀仲様の悪行が非道に映った事であろう。
本郷殿が手荒く秀仲様を取り押さえ、続く僧兵が縄をかける。
「道明僧正様!大事ございませぬか!」
一松が大仰に私に駆け寄る。こやつの小芝居はなかなか板についておるので頼りになる。
着物を整えられながらちらりと秀仲様を伺う。
何やら聞くに絶えない戯言を吐いているが、あの場を目撃した者が耳を貸すわけもない。
沙汰を待つでもなく懲罰房に入れられるであろう。
あぁ、しかし、念の為今ひとつ釘を刺しておくか。
「秀仲様」
口元を袖で抑え、震え声を取り繕う。
下から見上げるように、秀仲様を睨め付けた。
「何をお聞きになったかは存じませぬが、噂の出処はお確かめになられた方が良いかと」
秀仲様の顔色がさっと変わる。これだけで察する事が出来るのであれば、初めから注意を払っておけば良いものを。
色狂いというものはまこと目を曇らせるものなのだな。
僧兵らは秀仲様を伴い部屋を後にする。
「詳しいお話はまた明朝」
言い残し、本郷殿も下がられた。
2人となると、一松も素を見せる。
「道明様、その、お体は・・・」
真に案じているのであろう。安心させるため笑顔を作り頭を撫でてやる。
「そなたのおかげで未遂だ、今日はもう下がれ」
なおも不安げな面持ちであったが、一松は素直に隣室へ下がった。
1人になると、人知れずため息が漏れる。
これで、あの娘へあの者の手が及ぶことはあるまい。
力づくで引かれた腕が痛む。ちりりと胸の奥で古傷が疼いた。
愛おしゅうて堪らぬあの娘。あの娘にだけは、あのような醜悪なものは見せる訳にはいかぬ。
無性に、あの娘の温もりが恋しくなり、口からはまたため息が漏れた。
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