46 / 55
第五章 相愛
第四十五話 睦言
しおりを挟む
どれほどの時間が経っただろうか。
つい先程まで体を支配していた熱が、ゆっくりと引いていく。
汗で湿った素肌同士が触れるのが、くすぐったくも気持ちいい。
落ち着きを取り戻した胸の奥で、僧正様への想いがよりはっきりと形を成しているのが分かった。
「好きです」
初めて気持ちを打ち明けた。
伝わっていることは分かっていても、きちんと言葉で伝えたかった。
僧正様の長い手が頬を撫でる。
「聖女様」
思わず吸い付きたくなる魔性の唇から、余韻をなぞるように甘い声が響いた。
「はい」と答える。
うっとりと私を見つめる瞳は、私以外の何も映していないように見えた。
「あなた様の名を、教えてはいただけませぬか」
私の名前。「聖女」では無い、本当の名前。
この方が、私が記憶喪失であるという話を知らないわけが無い。
なのに、あえて聞いてきたということは、気づいてしまったのだろう。記憶喪失なんて嘘だということに。
気づいた上で、私の過去ではなく名前だけを、聞いてきたのだ。
ただ、私の名前を呼ぶその為だけに。
これほどまでに切ない愛の言葉を聞いたことがなかった。
僧正様の頬に手を当てる。
男の人の感触。立場など関係ない。私を好きな、私が好きなただの男の人だった。
「話します」
この人には何一つ隠し事などしたくなかった。
「私の、これまでの全てを話します」
この人であれば受け止めてくれるという確信があった。
私の心の一部はもう彼のものだった。
あちらの世界での私の事、死んで神に会った事、与えられた力。転生して不安な中お福さんに助けられたこと。
僧正様は時に微笑みながら、時に私の頭を撫でながら、最後まで黙って話を聞いてくれた。
「これで、隠してたことは全部です」
どう聞いても荒唐無稽な、夢物語のような話だっただろう。
それでも、僧正様は少しも疑わずに受け入れてくれているようだった。
「まだ名を聞いておらぬぞ」
夢中で話していたので、本題を忘れてしまっていたようだ。
「そうでした」と少し笑う。
「澄恋です」
苗字はあえて口に出さなかった。あれは、あちらの世界に家族と共に置いてきたものだ。
「すみれ」
確かめるようにゆっくりと、僧正様が私の名を呼ぶ。
それだけでもう胸がいっぱいになった。
「そなたの名も、私だけのものとしたいものだな」
少しいたずらっぽく笑う顔は、多分私にしか見せない顔。
くすぐったさが我慢できなくなって、彼の胸に顔を埋めると、背中をぐいと引き寄せられて更に体が密着した。
「いつもはそんな喋り方なんですね」
やられてばかりいるかとからかい返す。
「まるで殿みたい」と付け加えると、僧正様の腕が更に強く私を締め付けた。
「僧正様、少し痛いです」
たまらず音を上げる。
からかわれるのがそんなに嫌だったのだろうか?
「他の男の話をするでない」
拗ねている。
見目麗しく、人を陥れる事が出来るほど非道で頭の良い彼が、まるで子どものように拗ねた声を出している。
嫉妬しているのだ。
なんて、なんて愛おしいのだろうか。
「道明様」
顔を見上げて名を呼ぶと、まるで分かっていたかのように自然と口と口が触れた。
そして、今になって少しだけ気になることがあった。
「道明様と私って・・・」
「付き合っていることになるんですか?」という言葉を飲み込む。
そもそもここで付き合うという概念があるのか?
歴史には詳しくなかったが、あちらの世界ではこの時代といえばいきなり結婚しているイメージしかない。
結婚。自分で考えた言葉に自分で少し恥ずかしくなってしまう。
「殿にはご理解頂いているゆえ、この城では何も心配いらぬ」
心配いらないということは交際とか事実婚とかそういう事だろうか?
殿がご存知なら、確かにこの城では大丈夫だろうが・・・。
ん?待てよ?殿?
「殿がご存知なんですか???」
思わずガバッと上体を起こす。
この男、もしかして私の部屋に来ることを宣言してから来たのか???
驚く私を他所に、当然だと言わんばかりの顔の僧正様。
常識が違いすぎる。
と、言うことはだ。殿と警備の人、更に私の侍女と僧正様のお小姓さんが私たちの関係を知っている事になる。人数を考えると恥ずかしすぎて目眩がしそうになった。
しかも、この男は断られた時のことなど考えていなかったということだ。
恥ずかしさと手玉に取られた敗北感から、怒りにも似た反発心が顔を出す。抗議の意味を込めて僧正様に背を向けて横になった。
「すみれ?」
言ったところで伝わらないだろうし、どうせまた言いくるめられるに決まっている。
もう僧正様など知らない!
例え謝ったとしても今日はそちらを向いてやるものかと思った。
つい先程まで体を支配していた熱が、ゆっくりと引いていく。
汗で湿った素肌同士が触れるのが、くすぐったくも気持ちいい。
落ち着きを取り戻した胸の奥で、僧正様への想いがよりはっきりと形を成しているのが分かった。
「好きです」
初めて気持ちを打ち明けた。
伝わっていることは分かっていても、きちんと言葉で伝えたかった。
僧正様の長い手が頬を撫でる。
「聖女様」
思わず吸い付きたくなる魔性の唇から、余韻をなぞるように甘い声が響いた。
「はい」と答える。
うっとりと私を見つめる瞳は、私以外の何も映していないように見えた。
「あなた様の名を、教えてはいただけませぬか」
私の名前。「聖女」では無い、本当の名前。
この方が、私が記憶喪失であるという話を知らないわけが無い。
なのに、あえて聞いてきたということは、気づいてしまったのだろう。記憶喪失なんて嘘だということに。
気づいた上で、私の過去ではなく名前だけを、聞いてきたのだ。
ただ、私の名前を呼ぶその為だけに。
これほどまでに切ない愛の言葉を聞いたことがなかった。
僧正様の頬に手を当てる。
男の人の感触。立場など関係ない。私を好きな、私が好きなただの男の人だった。
「話します」
この人には何一つ隠し事などしたくなかった。
「私の、これまでの全てを話します」
この人であれば受け止めてくれるという確信があった。
私の心の一部はもう彼のものだった。
あちらの世界での私の事、死んで神に会った事、与えられた力。転生して不安な中お福さんに助けられたこと。
僧正様は時に微笑みながら、時に私の頭を撫でながら、最後まで黙って話を聞いてくれた。
「これで、隠してたことは全部です」
どう聞いても荒唐無稽な、夢物語のような話だっただろう。
それでも、僧正様は少しも疑わずに受け入れてくれているようだった。
「まだ名を聞いておらぬぞ」
夢中で話していたので、本題を忘れてしまっていたようだ。
「そうでした」と少し笑う。
「澄恋です」
苗字はあえて口に出さなかった。あれは、あちらの世界に家族と共に置いてきたものだ。
「すみれ」
確かめるようにゆっくりと、僧正様が私の名を呼ぶ。
それだけでもう胸がいっぱいになった。
「そなたの名も、私だけのものとしたいものだな」
少しいたずらっぽく笑う顔は、多分私にしか見せない顔。
くすぐったさが我慢できなくなって、彼の胸に顔を埋めると、背中をぐいと引き寄せられて更に体が密着した。
「いつもはそんな喋り方なんですね」
やられてばかりいるかとからかい返す。
「まるで殿みたい」と付け加えると、僧正様の腕が更に強く私を締め付けた。
「僧正様、少し痛いです」
たまらず音を上げる。
からかわれるのがそんなに嫌だったのだろうか?
「他の男の話をするでない」
拗ねている。
見目麗しく、人を陥れる事が出来るほど非道で頭の良い彼が、まるで子どものように拗ねた声を出している。
嫉妬しているのだ。
なんて、なんて愛おしいのだろうか。
「道明様」
顔を見上げて名を呼ぶと、まるで分かっていたかのように自然と口と口が触れた。
そして、今になって少しだけ気になることがあった。
「道明様と私って・・・」
「付き合っていることになるんですか?」という言葉を飲み込む。
そもそもここで付き合うという概念があるのか?
歴史には詳しくなかったが、あちらの世界ではこの時代といえばいきなり結婚しているイメージしかない。
結婚。自分で考えた言葉に自分で少し恥ずかしくなってしまう。
「殿にはご理解頂いているゆえ、この城では何も心配いらぬ」
心配いらないということは交際とか事実婚とかそういう事だろうか?
殿がご存知なら、確かにこの城では大丈夫だろうが・・・。
ん?待てよ?殿?
「殿がご存知なんですか???」
思わずガバッと上体を起こす。
この男、もしかして私の部屋に来ることを宣言してから来たのか???
驚く私を他所に、当然だと言わんばかりの顔の僧正様。
常識が違いすぎる。
と、言うことはだ。殿と警備の人、更に私の侍女と僧正様のお小姓さんが私たちの関係を知っている事になる。人数を考えると恥ずかしすぎて目眩がしそうになった。
しかも、この男は断られた時のことなど考えていなかったということだ。
恥ずかしさと手玉に取られた敗北感から、怒りにも似た反発心が顔を出す。抗議の意味を込めて僧正様に背を向けて横になった。
「すみれ?」
言ったところで伝わらないだろうし、どうせまた言いくるめられるに決まっている。
もう僧正様など知らない!
例え謝ったとしても今日はそちらを向いてやるものかと思った。
13
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています
平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。
生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。
絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。
しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~
サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる