聖女の私にできること

藤ノ千里

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第四章 宴

第四十三話 心の準備

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「夜のお誘いをしているのです」
 僧正様の声が何度も何度も頭の中で反響する。
 お美代さんに心配させない為に表面上は取り繕っていたが、限界は入浴中に訪れた。
 夜のお誘い。つまりは、そういう事だろう。
 記憶の中にある彼の丁寧な物腰が、言葉の生々しさをいっそう引き立てていた。
 あちらの世界にいた時より若く、ハリのある体を見る。
 仮にも子どもまでいた身だ。その行為については充分理解している。
 以前彼に口付けられた胸元に、その感触が思い起こされる。
 無理だ、そんなこと。恥ずかしすぎて死んでしまう。
 返事は聞かれなかった。
 受けるなら侍女にという事は、このまま夜を過ごせば無理に迫っては来ないという事だろう。
 無理だ、と、今度は頭を抱える。
 そうやって一人で悶々と考え込むうちに、この日は少しのぼせてしまった。
 

 のぼせはすぐに収まり、私はお美代さんと一緒に晩ご飯を食べていた。
 お美代さんは社交的で、お喋りで、彼女の日常を聞きながら取る食事はとても楽しい。
 楽しすぎたせいかつい口が緩んでしまった。
「ひとつ聞いてもいい?」
 声に出してから後悔する。
 聞いてしまえば後戻り出来ない気がした。
「はい、何でもどうぞ!」
 お美代さんは茶碗と箸を置き、きちんと私に向き直ってくれる。
 彼女の思いやりと気遣いの心に、「やっぱり今のなし」とは言えなかった。
 「その、もし、仮にだよ?」と頭に付けると、お美代さんはうんうんと力強く頷いた。
「男の人が夜尋ねてくる時って、周りの人に何か言っとかないといけないの?」
 聞き終えたお美代さんの顔がキラキラと輝き出した。
 まずい、失言だったようだ。
「まぁまぁまぁまぁ!」
「あ、待って!違うの!仮に!仮になの!」
 慌てて嘘をつくが、一度エンジンがかかったお美代さんは止まらない。
「そうですね、夜は警らがありますし何かあった時のために私たち侍女も控えておりますでしょう?ですので、お訪ねがある際は前もって教えておいて頂かなくてはその方をお通しできませんし、何よりその際のお声を不審なものと勘違いしてしまうので・・・」
「分かった!分かったからもう大丈夫だから!」
 まくし立てるお美代さんの言葉に、微かにその事を想像してしまい、赤くなった両頬を手で覆った。お美代さんはこれでもかというほどの前のめりだ。
 娯楽の少ないお城暮らしでは人の恋バナほど楽しいものは無いということを、完全に忘れていた。
「姫様!どなたですの?どなたがそのようなお話を??」
 私はお美代さんに弱い。
 彼女の前では取り繕えず素に戻ってしまう。隠し事ですらでき無いに等しいのだ。
 口を開いて、閉じて、また開いて。
「僧正様から、そんな感じのことを言われて・・・」
 小さく呟く。
 彼から感じた感情を思い出し、いても立ってもいられないようなもどかしい気持ちになる。
「まぁ!素敵!では明日は赤飯を用意させますね!!」
「違うの!まだそう決まった訳じゃなくて!!」
 お美代さん、気が早すぎる。
 お福さん譲りの強引さに思わず流されてしまうところだった。
「お断りしてしまったのですか?」
 驚いた顔でお美代さんが言う。
 その場で返答を求められたら迷わずお断りしていたと思う。
 でも、お断りはしてない。させて貰えてない。
 それが、彼の優しさなのかそれとも計算なのか分かりかねていたのだ。
 黙って俯く私に、何かを察した彼女は頭を撫でてくれた。
 手のひらの体温が凄く落ち着く。
「・・・どうなさるおつもりで?」
 分からない。
 考えないといけないことが多すぎて、どうしたらいいのか分からなかった。
「お嫌では無いのですね?」
「たぶん」
 嫌では無い、と思う。
 でも、喜んで受け入れられるほど、楽観的にはなれない。
 それほどまでにあちらの世界とこちらの世界は違いすぎているのだ。
 お美代さんはミーハーではあるが、私の事を一番に考えてくれる良き理解者でもあった。この話だって彼女以外には口が裂けても言えなかっただろう。
「私から申し上げられることはひとつです」
 それは、先ほどまでのワクワクと恋バナをする顔ではなく、妹を想う姉のような微笑みだった。
 お福さんと同じ目元の笑い皺が、どこか懐かしいような、不思議な気分にさせた。
「想い合う相手と出会えるという好機は、そう何度も現れる物ではありません」
 諭すように優しい声が不安な心を包み込む。
「やらぬ後悔よりやる後悔です。もし子が心配なのでしたら、その時は私がどうにかします!」
「ひとつじゃないじゃん」
 なんだか笑いが込み上げてきて二人して笑い合う。
 お美代さんには私の想いなどとっくにお見通しだったようだ。
「では、警らと他の侍女には私からお伝えしておきますので、今夜はもう失礼いたしますね!」
 急に立ち上がると、あっという間膳を片付け足早に去っていってしまった。
 本当はもう少しだけそばに居て欲しかったのだが、私の気持ちを応援してくれる彼女の気遣いがくすぐったくて、嬉しかった。
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