聖女の私にできること

藤ノ千里

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第四章 宴

第三十六話 毒と治療

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 毒、という単語にあちらこちらから小さな悲鳴が上がる。
 毒は駄目だ。毒は聖女の業では治せない。
 飲食するなと言うのはこの事だったのかと、僧正様に視線をやり、次に殿を見る。
 殿の様子におかしいところは無い。まだ口にしていなかったのか、それとも症状が出ていないだけか。
 薬草博士であり毒にも造形の深い草順先生は今日は来ていない。木村先生と園田先生は治療出来るだろうが、患者が多ければ手が足りなくなる。
 ベテランの先生方は会場を見渡していた。私も、と思った瞬間すぐ隣からえづくような声が聞こえた。
 信介先生が、蹲りながら吐血していた。
 すぐに木村先生が駆け寄り、症状を確認する。
「恐らく毒によるものです」
 先生の判断はいつも早くて的確だ。間違えることはまずないだろう。
 医師に毒が盛られた。
 園田先生が阿吽の呼吸で治療を開始する。
 食中毒の患者は見た事があったが、毒は初めてだった。
 信介先生の口から吐き出される血に、流れてしまった赤子の色が重なる。
 私には何も出来ない。私は無力だ。
「聖女殿!」
 活を入れるかのような木村先生の声が響く。
「治療を!」
 怒っているかのような声で、木村先生は言った。
 聖女の業を使えというのか?毒なのに?治せないのに?
 またあの無力さを味わえと言うのか?
 泣きそうになり唇を噛み締める。逃げ出してしまいたかった。
「毒は無理でも毒による損傷は治せるやもしれませぬ!」
 確かに、そうかもしれない。でも違うかもしれない。
 治せても助からないかもしれない。
 ふと、田中先生の「思い上がるなよ」という言葉が浮かんだ。
 私は神じゃない。助けられない人もいる。
 だからこそ。だからこそ、毎回全力で患者に向き合わなくてどうする・・・!
「やります!」
 弱気な思いを断ち切るように叫ぶと、私は信介先生の傍らに膝を着いた。


 信介先生は一時かなり危ない状態だったらしい。
 聖女の業は毒を消したりはしない。だが、毒で損傷した内臓を治すことはできるようだった。
 瞬時にそこまで考えたのかと思うと木村先生に感服する。先生の判断で助かった命が、ここにあった。
 大広間の端に急遽作られた診療スペースに、寝かされているのは信介先生のみ。
 参加者はすでに解散しており、膳や座布団も綺麗に片付いている。
 患者は、毒を飲んだのは信介先生一人だった。
 信介先生の治療中に向こう側でゴタゴタと何かしていたようだが、何が起きていたか詳しくは知らない。
 犯人と思われる何人かが警備の人に取り押さえられているのが見えたが、恐らく全員知らない顔だった。
 毒殺だなんて、なんでそんな酷いことを考えられるのか。
 治す側になって、身勝手な犯行への怒りは以前より強く感じるようになっていた。
 信介先生の容態をちらりと確認する。穏やかな寝息、容態は落ち着いている。
 遅効性の毒も一緒に盛られていた可能性を考えて、今夜は園田先生が寝ずの番をしてくれるとのことで、私は着替えを取ってくる間の見守りをしているのだ。
「治してしまわれたのですね」
 廊下に僧正様が立っていた。
「その者はあなたを屠らんと毒を盛ったのですよ」
 物憂げに私を見つめる。
 信介先生が私を殺そうとしたことを、私はもう知っていた。
 治療のさなか無意識に心を読んでしまっていたのだ。
 「なぜ俺の方に毒が?」と混乱しながらも、信介先生の心には私への仄暗い殺意があった。
 それでも、それが分かっても、私は全力でこの患者を治した。
 治したいという思いにブレはなかった。
「ご忠告ありがとうございました」
 僧正様に笑顔を向ける。
 彼はきっと以前からこのことを知っていて、忠告をしてくれたのだ。
 知っていながら、大事にするためにあえてあの場を使ったのだ。
「でも、膳は入れ替えないで欲しかったです」
 信介先生は私に毒を盛り、それが自分のものと入れ替えられたことに気づかず手をつけてしまったのだろう。
 私に忠告したのはあくまでも入れ替えに失敗した時の保険であって、この人は、最初からパフォーマンスのために信介先生を見殺しにするつもりでいたのだ。
 信じられない、と、思う。
 毒を盛る人も、誰かの死を利用する人も。
 そんな人達がいることも、そんな場所で生きていかないといけないということも。
 あちらの世界で安穏と生きていた私には、あまりにも荷が重過ぎて、初めてこの世界に転生したことを後悔した。
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