本と別れる君。

林道イト

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本と別れる君。

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「そろそろ落ち着こうと思って。」

久しぶりの呑みの席で、先輩はそう言った。
「今度が最後の舞台になるから、よかったら見にきて。」
先輩の顔に未練はない。お酒好きな彼女は、デカンタ片手にいつもの様子ではにかんでいた。


俺が彼女と知り合ったのは、高校の演劇部。
一学年上の彼女は、少人数の弱小演劇部を引っ張る部長だった。
「やってみよう!」と通る声で元気を振りまく姿が好きだった。
力になりたかった。力になれたらよかった。


「弱小演劇部を大会出場に導く!」
直接彼女の口から聞いたことはないけれど、きっと目指していたんだと思う。

でも、そんな夢物語は台本の中でしか成立しない。
現実で彼女を取り巻いたのは、十分に練習できない活動場所、演劇とは無縁の顧問、なんとなく入部してきたやる気のない部員たち。


「やってみよう!」という声は段々と覇気を失くし、
最終的には「今日はやめておこっか」と優しく、そして申し訳なく笑うようになっていた。


俺は助けたかった。もちろん自分が演劇をやりたいということもあったが。
それ以上に、生き生きと部室に来る先輩を取り戻したかった。

できることはしようとしたんだ、後輩なりに。



ある日、早めに部室へ着いた俺に向かって、
先輩は「つまらなかったら辞めても大丈夫だよ。」と声をかけた。

目が赤くなっていた。ついさっきまで泣いていたんだろう。

それを隠されたのが、頼ってもらえなかったのが情けなくて、



俺は先輩の引退を待たずして、退部届けを出した。





「私が言ったんだから気にしないでいいの!」
許してくれる先輩に甘え、26歳になった今でも、こうして呑みに行く関係でいる。

俺はずるい。分かっている。

だからこそ真っ直ぐで健気な彼女が魅力的に見えるのだろう。
女優の夢を追い続け、小劇場の舞台でコツコツ頑張る彼女が。



…夢を終わらせる時が来たのか。

この決断をするまで、どれほどの葛藤があったのか。
演劇は趣味止まりにして新卒で就職した俺には、とても想像できない。

悩みを打ち明けてくれたら、少しは変わったかもしれないのに。
高校の時と同じで、弱い部分は見せてくれないんだな。
もっとも、俺がそれほどの器ではないということだが。





当日。
仕事は休みを取り、千秋楽公演を見に行った。
舞台に立つ彼女は、主役でこそないが、一言でその空間を支配する。
やっぱり、先輩の演技好きだ。

終演後、「楽屋来ていいよ!」とのLINEが。
向かった先には全てをやり終え、清々しい表情の先輩。

それから、先輩の腰に手を回し、花束を差し入れる背の高い男がいた。



なるほどね。お似合いじゃないか。

先輩、幸せそうだ。





帰りの電車の中、焦点が合わないまま俺は公演のパンフレットを抱える。

何が「悩みを打ち明けてくれたら___」だ。
高校の時とは違う。彼女は新しい幸せを見つけたのだ。
思い違いも甚だしい。

そうか。そうだよな。

先輩いい人だもんな。相手の男の人も気さくだったし。




車窓から差し込む西日が、不意に懐かしい気持ちにさせる。

「式の招待状送るね!」

別れ際の彼女の声は、俺が入部したての時、部室に響く部長の声色そのものだった。
視界いっぱいのオレンジ色が滲む。
数年ぶりに彼女の元気な声が聞けたのだ。良しとしよう。



彼女に渡す差し入れからこっそり抜いてきたディナーチケットを改札のゴミ箱に捨て、イヤホンからお気に入りの音楽を流す。

駅から徒歩7分で着くマンションに、招待状が届くのは一体いつになるのだろうか。
とりあえず、ご祝儀は用意しておくことにしよう。

そんなことを考つつも、今夜くらいは浸らせてほしい。
俺はワインを買いに、近所のスーパーへと足を向けた。


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