コーヒーゼリー

谷内 朋

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幸福編

ー31ー

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 紅葉もピークを過ぎ、世の中は年末モードに包まれてにわかに騒がしくなっていた。そんな時期に男性とお見合いをする波那は、多少気乗りしないながらも麗未が誕生日プレゼントに買ってくれたカジュアルスーツを着て、指定されたホテルレストランへ向かっていた。
 そこが奇しくも八月上旬が誕生日だった畠中と食事をした場所で、当時の甘い時間を思い出されて何だか落ち着かない。そこは波那の自宅からだと一時間以上掛かるので、ダイヤが乱れても、と余裕を持って出掛けたため早く到着してしまった。
 何だか張り切ってるみたいだな……。そんな事を思いながらも、二十六階にあるそのレストランに入って結婚相談所の名称を告げると奥の個室へ案内される。
 きちんとお断りしよう。波那はあの日と違う昼の景色を眺めながらその事ばかり考えていた。一人モヤモヤと頭を悩ませていると、下からフワフワと昇ってきた二つの風船に視線を奪われる。
 何処からだろう?気になって窓から外を見てみると、ホテルと併設されているチャペルで結婚式が催されていて、演出として風船を上げていた様だ。素敵な総合職女性との結婚を夢見ていたはずなのに、この一年で男性と恋愛している現状が何とも不思議に感じられる。
 「あの瞳に惹かれたからだ……」
 誰も居ない個室でそう呟くと、コンコン。というノック音と共に若い男性ウェイターがメニューを持って中に入ってきた。
 「ご注文はご予約の時点で承っております。お飲み物をお選びください」
 彼は手にしているメニューを波那に手渡す。
 「ストレートティーをお願いします、差し支え無ければ先に頂きたいのですが……」
 かしこまりました。その要望はあっさり了承され、程なくして紅茶が運ばれてくる。波那は少しでも気持ちを落ち着かせようと砂糖を入れ、温められたカップに紅茶を注いでお先にゆっくり口に入れる。体の中がほんのりと温まり、五感を使って紅茶を堪能していたその時、先程とは別のウェイターが一人の男性を連れて個室に入ってくる。
 初めまして。その男性とは畠中だった。彼は仕事用とは少し装いの違うスーツを身に付けていて、なぜか初対面の振りをしてくる。どうして?そう訊ねたかったが恐らく何も答えてはくれないだろう。
 「いかがなさいましたか?」
 普段と違って職場でも使わない馬鹿丁寧な言葉遣いでかえって変な緊張をしてしまう波那だったが、涼しげな態度を崩さない畠中に合わせて仕方無く初対面の振りをする。
 「小泉波那と申します、飲み物先に頂いてます……」
 そう言って軽く会釈する波那を、畠中はにやっと笑って見つめている。彼はその場でコーヒーを注文してウェイターのエスコートで向かいの席に座る。椅子に座り直した波那は、まさか畠中が来るとは思わずばつ悪そうに下を向く。
 「……」
 「今日は来て頂けて嬉しいです、正直ドタキャンも覚悟していましたので」
 「一度お受けした以上さすがにそんな事出来ません……」
 ウェイターが出て行って二人きりになり、何を話せば良いのか戸惑っていると、畠中の方から声を掛けてきた。
 「異性愛者であるはずの貴方がなぜ同性愛者の俺と会おうと思ってくださったんですか?」
 率直な疑問をぶつけられ、波那は正直に答えようと畠中の顔を見た。
 「実は直接お断りしようと思ったんです。今″好きな人″がいますので……」
 「そうですか、断るためにわざわざ?」
 「申し訳ありません……」
 波那がそう言って頭を下げたところで、畠中が注文したコーヒーとは英国式ティーセットが二つ運び込まれてくる。
 「折角ですから頂きませんか?食べずに出るのも失礼ですから」
 畠中は涼しい表情でコーヒーに口を付け、サンドイッチを食べ始める。波那もサンドイッチを一口かじったのだが、変な緊張感は継続されたままで味がよく分からない。二人はその間ほとんど口を聞かず、目の前、軽食を黙々と食していた。
 波那はスコーンを食べ終わったところで向かいに居る畠中をチラッと見る。彼が食事に時間を掛けないのを知っているため、そろそろ完食しているだろうと見立てて、あの。と声を掛けた。
 「何でしょうか?」
 畠中は予測通り食事を終えてコーヒーを飲んでおり、波那は一度紅茶で喉を潤す。
 「貴方はどうして異性愛者の僕と会おうと思われたんですか?断るのは目に見えていたと思うのですが」
 「確かにそうですね……」
 畠中は波那の顔をじっと見て不敵とも取れる笑みを浮かべてみせる。こういった時の彼は多少自信過剰な発言をしてくるのも分かっているので、どう出るのかくるくるした瞳で注視する。
 「追い掛けられるばかりですと正直飽きてしまうんですよね。自分で申し上げるのも変なのですが、これまで相手探しに不自由しませんでしたから」
 「そういった方は嫌いです」
 波那は楽しそうに挑発してくる畠中にムッとした表情を浮かべ、向かいから視線を外して残っているケーキを食べ始める。畠中は再びコーヒーに口を付け、そんな様子を面白そうに見つめていた。
 今モテ自慢しなくても……。最初のうちは不機嫌そのものといった顔付きでいたのだが、ケーキの上品な甘さに段々心が解きほぐされていく。そして食べ終える頃には顔もほころんでスイーツの美味しさをしっかりと堪能していた。
 そのタイミングを見計らった畠中はすっと立ち上がって波那の横まで歩み寄り、いきなり腕を掴んで体を抱き寄せる。波那は一瞬何が起こったのか分からず頭の中が真っ白になり、畠中の胸の中でぼんやりとしていた。しかしそんな事はお構い無しで波那の頬に手を添えて顎を上げ、微かに開いた唇をそっと塞いできた。最初は驚きが勝っていて大きな瞳を見開いていたのだが、いつしか畠中とのキスにうっとりした表情で瞳を閉じ、逞しい体に身を委ねていた。長い口づけを交わした二人の唇がようやく離れ、お互いの顔を見つめ合う。
 「……どうしてこんな事なさるんですか?」
 「貴方を好きになったからです」
 余りにもストレートな告白に波那は赤面してしまい、思わず胸に手をかけて押し退けようとする。しかし右手に硬い感触が伝わって体を離す事が出来なかった。
 ごめんなさい。もしかして痛かったのではないか?そう思って胸から手を外すと、畠中は不思議そうに波那の顔を覗き込む。
 「どうかしましたか?」
 「いえ、胸ポケット辺りに硬い感触があったので……」
 あぁ。畠中は胸の内ポケットを探って古ぼけた懐中時計を見せてきた。それは彼が毎日の様に携帯している物で、どういった経緯でそれを持っているのか、なぜかどうしても聞く事が出来ずにモヤモヤした感覚が残っていた。
 「随分と古そうな物みたいですけど……」
 「えぇ、曾祖父の形見なんです。六年前、当時でも二十年近く絶縁状態だった父が持ってきて、長男という理由で押し付けられました。当然曾祖父の事も知りませんし、肌身離れてくれなくてずっと鬱陶しかったのですが、最近になってようやく馴染んできたんです」
 懐中時計の話を始めた途端、晴れていたはずの外の天気の雲行きが怪しくなり、雷鳴と共に大粒の雨が降り始めた。二人はその音に反応して窓を見ると、まだ午後三時過ぎだというのに空は真っ黒で天気予報で聞いた快晴の言葉を信じていた波那はどうしよう、と渋い表情になる。
 「傘なんて持ってきてないよ……」
 「多分通り雨です、少し待てばやみますよ。雨宿りがてら座って話しませんか?」
 そうですね。二人は元居た椅子に座り直し、向き合って話の続きを始める。
 「これを渡された時は動いていなかったんですが、久し振り……十年ほど振りに会った同級生に骨董時計店を紹介してもらったんです。先月半ばにダメ元で修理をお願いしたら今朝無事に直って時計として使える様になったんです」
 きっと悠麻君の事だ。波那は畠中が中林と和解出来た事を知って嬉しくなる。心なしか畠中の表情がこれまでに無く穏やかになっている様に見受けられて安堵の笑みを浮かべていると、最初の頃の様に顔を逸らさず美しい微笑みを見せてくれた。
 「懐中時計、直って良かったですね」
 「ありがとうございます……」
 畠中は波那のくるくるした瞳を見つめている、を通り越して余りにも真剣に凝視してくるので段々と恥ずかしくなってくる。
 「あの……僕の顔に何か付いてますか?」
 「いえ、その瞳は反則技だな、と思いまして。貴方の瞳、十二歳で亡くなった初恋の女の子とそっくりなんです。勿論それだけではありませんが、ここへ入った瞬間貴方に一目惚れしてしまいました」
 波那は畠中と出逢った営業一課オフィスでの出来事を思い出していた。確か視線感じて……その直後に目が合ったのに顔を逸らされた理由を知る。きっと辛かったんだ、僕が彼の心の古傷を疼かせていたんだ……波那の中で畠中のそれまでの行動が一気に符合していった。
 「でも貴方には"好きな方"がいらっしゃるんですよね?どの様な方なんですか?」
 「それは……」
 波那はどう答えようか言葉に詰まる。しかし黒目がちで艶やかに潤っている畠中の瞳から目を逸らさなかった。彼もまた初恋を彷彿とさせる波那の瞳を見つめている。
 「艶やかな黒目がとても印象的な方でした。まるでコーヒーゼリーの様に澄んだ黒褐色が不思議と魅惑的で、それがずっと頭から離れないんです」
 波那は畠中の反応を窺いながら言ったが、特に何のリアクションも無くほぼ表情を変えずにいる。
 「でも僕はコーヒーゼリーが苦手なんです。あれだけ綺麗に輝いてて媚薬の様な香りを纏っている割に、いざ口に入れてみるとちっとも美味しくないんです。そんな感じの方でした」
 「そうですか。でしたらこの後『賭け』をしませんか?一階の洋菓子店でコーヒーゼリーを買いましょう」
 「あの、先程申し上げました通り……」
 「食べられなければ貴方の勝ちです。完食出来れば俺の勝ち、やってみませんか?」
 畠中は波那の言葉を遮り、勝手に話を進めてしまう。
 「でも……」
 「これは『賭け』です。その気になれば俺を騙すのもアリですよ」
 その頃には多少雨は残っていたが空は明るくなっており、二人は二十六階のレストランから一階の洋菓子店へと移動した。
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